油絵
和泉
第1話 定禅寺 龍太郎の物
放課後の部室。ペインティングオイル特有のつんと鼻を刺激する匂いがした。天井では大きな羽を持つシーリングファンがゆったりと回っていて、その終わりのない回転に僕はイライラする時もあった。
だけど今は絵を描く事に集中していてさほど気にはならなかった。
僕は油絵を描くのが好きだ。色を重ねることで作り上げるその過程がなんと言っても好きだ。絵の具を紙パレットで調合し、それをキャンバスに塗り付ける。その作業がとても好きだ。特に嫌いな奴の顔を思い浮かべてやれば捗る。顔を消すように色を塗るといい塩梅に混ざり合って新たな色味を出す。それは嫌いな奴が別の何者かに生まれ変わるようで、僕はその光景を気に入っている。
僕はそんな新しい色味を出す事をチェンジと呼んでいた。人が僕の思い通りに動いてくれたら楽だなと常々思っていた。だけどそんな事は実現しない。
だから今日も僕は油絵を描いた。
「すごーい!! これやっぱり
美術室にいた
「うん、そうだよ! どう? これ、会心の出来なんだー」
僕はテンションを作って会話のキャッチボールを返した。
「すっごーい! 上手だね! 何を描いたの?」
彼女は無邪気に僕の絵を覗き込んだ。絵の事は分からない彼女はいつも適当に僕の絵を褒めた。
「人の気持ち。分かるかな?」
「ああ、抽象画ってやつー?」
「まあ、そんなところだね! 難しすぎて
「そ、そんな事ないしっ! 分かるし!!」
浅見さんはそんなことを言って目を細めて見せた。
「それじゃあ僕はもう少し集中したいから……」
「あっ! そうだよね! 邪魔してごめん! 頑張って」
浅見さんはドアを閉めて出て行った。毎日毎日毎日毎日、定刻になると彼女はやって来て僕の絵を褒めては帰っていく。何がしたいのかは全く理解できない。だが僕にとってそれはチェンジしないといけない物だった。
僕は絵の具に手を伸ばして紙パレットに押し出した。
✳︎✳︎✳︎
今日もまた筆を取った。真っ白いキャンバスに描くのは誰にしようか。
またシーリングファンがもたもた回っていた。気が散るな本当に。やっぱり部室にはペインティングオイルの匂いが充満していた。僕はこの匂いは好きでも嫌いでもあった。僕の安心材料でもあるこれは、心のどこかをいつか脅かすんじゃないかと僕は危惧していた。自分でも何故そんなことを思うのかは謎だ。
「やっほー。龍太郎くん捗ってるかなー?」
今日も例に漏れず浅見さんはやってきた。
「うん! 今日も頑張って描いてるよ!」
「あっ! それは抽象画って奴だねー」
浅見さんは勝手に僕の横に並び立つとそう言って得意げな顔をして見せた。
「何かモチーフにしたの?」
「えっとこれはね、実は……靖子をモチーフに描いてみたんだ! どうかな?」
「えっ……」
浅見さんは口を手で覆った。そんな中で僕は落胆していた。全然似ていない。絵の浅見さんと現実の浅見さんは全くと言っていいほど似ても似つかない。まるでどっちかが嘘みたいだ。
「あ、あのさっ! 龍太郎くんにちょっと言いたいことがあるんだけど……明日もここにいるよね?」
「うん、いると思うよ!」
何か余程良いことが起きない限りはね。それこそ全ての人が僕の理想通りに動くとか。
僕はそんな言葉を心の中で付け足した。
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