第67話 礼を言うべき? …吾妻君サイド

「は? 」

「だぁかぁらぁ~、修斗の彼女よりも私の方がいい女だって話」


 バイトの時間が終わり、「お疲れ様でした」と声をかけてから男子更衣室へ向かい、制服を脱いで私服に着替えて早々に帰ろうとした時、更衣室の前にいた舞先輩に捕まった。

 彼女曰く、伊藤がサラリーマン二人にコナをかけていたが、二人は自分にデレデレで、それを見た伊藤が走って逃げた……って、言っている意味がわからない。

 店から帰る時に声をかけてくれたが、特にかわった様子はなかったし、遥達も何も言っていなかったけど。


 思わず睨み付けるような視線になってしまったが、舞先輩は得意気に胸をそらしているだけで、普通の奴らみたいにビビることはないようだ。彼女が誇らしそうに主張しているのは、ただの脂肪の塊にしか思えないのだが、舞先輩はあたかもそれが誰もが欲しがる至上の物とでも思っているようだ。


「伊藤がサラリーマンと一緒にいたんすか? 」

「そうよ。二人に囲まれて腕なんか組んでね」


 腕をつかまれて逃げれなかった……と。


「そこに先輩が? 」

「二階フロアーは私の担当だからね。あの二人、店でナンパして二階席に連れ込む常連で顔見知りなの。いつもバイト終わりに飲もうって誘ってきてウザイのよね」


 自分はモテる自慢か、舞先輩は髪の毛をかきあげて鼻をひくつかせている。

 そんな先輩はどうでもいいが、やはり可愛い伊藤は変な奴らに目をつけられていたという訳か。遥の野郎、明日一発ブン殴ってやらないとだ。


「いつもは断ってるんだけど、私が一言どうしようかなぁって悩んで見せたら、あんたの彼女なんかほったらかしで私に食いついてきたわよ。やっぱり、大人の男は見る目があるわ」


 なるほど、目の前の脂肪の塊に目がくらんだ訳か。グッジョブだ脂肪の塊!


「それで? 」


 伊藤が無事に逃げられたかが聞きたかったんだが、舞先輩は何を勘違いしたか、脂肪の塊を俺の腕に押し付けるようにしなだれかかってきた。


「あら、私が彼らと飲みに行ったか気になる? やぁね、そんな安売りしないわ」


 全然、全く、これっぽっちも気にならない。


 俺は無造作に舞先輩を引き離した。こんなにしょっちゅう脂肪の塊を押し付けてくるのは、安売りしてるってことだと思うんだが。興味ないし、不愉快でしかないから本当に止めて欲しい。


「それはまぁどうでもいいんですけど……」


 一瞬、伊藤の危機を助けてくれたことに礼を言うべきか悩み、やはり言うのは止めた。本人に助けた意識はなさそうだし、何より関わり合いたくないというのが一番だ。礼なんか言えば、確実に見返り求められそうだしな。


「……お疲れっした」

「ちょっ……ちょっと! 」


 舞先輩の横を素通りし、足早に店の裏口から出る。

 伊藤はもう家についてる筈だ。

 歩きながらスマホを出して伊藤に電話をかける。

 十コール待って出なかったら切ろうとスマホを耳に当て、九コール目で伊藤が出た。


『吾妻君? バイトお疲れ様。今帰り? 』

「うん、そう」

『今日はバイトにお邪魔してごめんね』

「いや大丈夫」


 自分から電話をかけておいて、会話のとっかかりはいつも伊藤だ。自分から話すと、可愛いとか好きだとかが駄々溢れそうで、必要以上に寡黙になっちまう。

 元から喋る方じゃないから、ただ立っているだけで怖いと言われることが多いけど、伊藤に嫌な思いをさせてないか少し不安だ。


「今日……大丈夫だったか? 」

『帰り? 遥君と佳苗ちゃんが送ってくれたから快適だったよ』


 帰りじゃなくて、ナンパされたことを聞きたかったんだが……。


『吾妻君、テキパキ仕事しててカッコ良かったよ。接客初めてなんでしょう? 制服もシンプルだけど似合ってた』

「伊藤だってテキパキ仕事してたじゃないか」


 前に見たバイト中の伊藤のエプロン姿を思い出す。いや、可愛すぎで心配だ。


『うちは昔から知ってる喫茶店だし、席数も少ないもん。来るのもご近所さんばっかだから、気安いよ』

「若いサラリーマンとかはこない?」

『サラリーマン? 来るのはおじちゃんやおばちゃんばっかだよ。来ても商店街の人達とか? あ、でも最近は俊平君目当ての近所の若妻とかくるかも』

「若妻は駄目だろ」

『うん、俊平君も困ってるみたい』


 電話の向こうでクスクス笑う声が可愛すぎる。耳元で囁かれてるようで、気を抜くと下半身が熱を持ちそうになる。けど、俺以外の男子の名前を伊藤の口から聞くのはいただけない。


 ナンパのことは聞けなかったが、特にショックを受けてるとか、無理して元気そうに振る舞っているとかなさそうだ。


「あのさ、バイト先に来てくれるのは嬉しいけど、やっぱり酒出す時間帯は止めた方がいいと思う」

『うん……そうだね。私もまだああいう雰囲気は早いと思うし。やっぱり少し怖かった』


 わずかに揺れた伊藤の声音に、抱き締めてやりたいという気持ちでいっぱいになる。


『あのね……、実はトイレ出た時にドアを男の人にぶつけちゃって、少しその人にからまれたの。でも、舞先輩が間に入ってくれて。私、怖くてお礼も言わずに逃げちゃったんだ』


 ナンパじゃないのか? いや、ドアがぶつかったのはきっかけで、それを理由にしたナンパだな。

 バイト先はいわゆるナンパスポットとしても有名らしいが、それはお互いに同意があって楽しむものだろう。伊藤に同意がある筈もないんだから、理由をつけてナンパしようとした男は下衆野郎だ。


 伊藤はひたすら舞先輩にお礼をと気にしているようだけど、大丈夫だからと軽く流した。本人に助けた意識がないのだから、お礼をしたら逆に変なことになるだろうしな。そんなことより、俺の頭の中は下衆野郎共への怒りがフツフツとわいていた。次に来た時には、つきっきりで接客してやると心に決めた。


 実際、その後そのサラリーマン達は数回飲みに来たが、俺が毎回接客し、奴らが女子に声をかける度に後ろで警戒して見ていれば、なぜかナンパは不発に終わり、いつの間にか店に来なくなった。舞先輩曰く、「あんなに後ろから睨み付けてたら女の子があんたにビビって逃げるじゃないの」ということらしく、どうやら俺が間接的にナンパの邪魔をしていたらしい。


 二度とくるな!



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