第50話 練習しちゃやだ

 今日は吾妻君が帰ってくる日。

 私はこの三日間モヤモヤが消えず、でもそれを吾妻君に聞くのは会って顔を見ながら……って思ったから、差し障りのない挨拶のような短文ラインしか吾妻君に返せずにいた。

 今日もおはようのラインとバイトのシフト確認のようなバイトの開始終了時間を告げただけだ。


 バイトが忙しいお昼時などは何も考えなくてよいけど、元からそんなに混んでいる喫茶店じゃないから(おじさんおばさんゴメン! )、どうしても色々考えちゃって……。俊平君は何も言わないけど心配そうにチラチラ気にしてくれるし、笑顔が大事な接客業なのに、常連さん達にも心配されちゃうくらいで申し訳ない。


「莉奈ちゃん、今日は早くあがっていいよ」

「でも……」

「親父も今日は早く帰ってくるって言ってたし、夜は客少ないからさ」


 おばさんの入院中は、昼は限定ランチとして品数を減らしておじさんが作りおきしたランチメニューを出し、夜は夜メニューを一旦お休みさせてもらっているから、確かに夕飯を食べに来るようなお客さんはいない。その為営業時間も短縮させてもらっていた。


 時計を見るとまだ六時。お客さんもチラホラとは入っている。


「ほら、明日は休みだろ。今日は早く帰ってゆっくりしなね」


 更衣室に押しやられ、私はエプロンを外してスマホを取り出した。バイト中は連絡をとることはしないけれど、吾妻君がいつ帰ってくるかどうしても気になって、サイレントモードにしてポケットに忍ばせていたんだけど……、もう帰って来てるだろう吾妻君からの連絡はない。


 会いたいって言ったんだけど、そりゃ今日は疲れてるだろうし、荷ほどきもあるって言ってたけど、【帰るよ】とか【ついたよ】とかラインくらいいれてくれても……。


 元からマメなタイプじゃないし、言葉とかあまりくれないけどさ。私から告白したし、彼女になってって言わせた感半端ないし、私の方がいっぱいいーっぱい好きで、もしかしたら吾妻君の幼馴染みである佳苗ちゃんの友達特権でお付き合いしてくれたのかもしれない。


 そんなこんなをグズグズ考えていたら、ピコンとラインの着信がついた。


 吾妻:喫茶店前にいる。終わるまで待ってる


 エッ?

 来てるの?


 会いたいとは言ったけれど、約束はしていなかったし、何より早上がりさせてもらってグズグズしてたから今の時間だけど、本来はあと一時間はバイトの筈だったのに。


 私は慌てて鞄を手に持って裏口から表に出た。

 吾妻君はガードレールに腰かけて、ジッと喫茶店を見ていた。ジーンズに黒いTシャツ着てるだけなのに……凄くカッコいい。


「吾妻君お帰りなさい」

「ただいま。まだバイトじゃなかったか? 」


 私が駆け寄ると、吾妻君の手が私の頭をポンポンとした。


「俊平君にあがっていいって言われて」

「まだ具合悪い? 」

「違うよ、ほら、今は夜メニュー出してないから夜はお客さん少ないの。それだけだよ」


 吾妻君に手をつながれて歩き出す。もうすぐ七時だけど、夏だからかまだ明るい。


「吾妻君、お夕飯は? 」

「まだ」

「なら、うちで食べていって」

「でも、急に行くのは迷惑だろ」


 私は頭を振る。

 もし母親がいたとしても連れてらっしゃいって言われるだろうけれど、昨日からうちの親はパパの実家に帰省中だ。私はバイトがあるから一人で家に残ったの。


「大丈夫。今日は私が作るし。吾妻君は何食べたい? って言っても、オムライスとかスパゲッティとか簡単なのしかできないけど」

「伊藤が作るの? ……伊藤の料理食べたいかも」


 お互い実家暮らしだし、なかなかお料理を披露する機会はない。披露できるくらいの腕もないんだけどね。でも、あのこと(雅先輩とのHな練習の有無)を聞くのに、人がいっぱいいるレストランやファミレスでは気が引ける。回りが気になって聞ける気がしない。


 私達はスーパーで買い物をし、私の家に帰る。

 夕飯はオムライスになった。

 家に玉子も玉ねぎもあったから、鶏肉と飲み物、少しのお菓子を買った。


 吾妻君にはリビングでテレビを見ていてもらい、ご飯が炊けるまでに鶏肉と玉ねぎを炒めておく。


「何か手伝えるか? 」

「大丈夫だよ。すぐできるからね」


 なんか……新婚さんみたい。


 ご飯が炊き上がるまであと十分かかる。私は買ってきたオレンジジュースを吾妻君のところへ持って行き、待ち時間を吾妻君の横に座りテレビを見ることにする。


「おばさん達は帰るの遅いのか?」

「うん? 遅いっていうか、今日は帰ってこない……かな」


 親がいない隙を狙ってみたいに思われるのが嫌だったから、あえて親が泊まりで帰省中とは言わずに吾妻君を家に連れてきてしまった。

 吾妻君とくっつくの好きだし、チューだって好きだし、……それ以上は痛かったから怖いけど、他でされるくらいなら頑張る気は満々だ。

 だから、全く下心がなく連れてきた訳じゃないけど、まずはそれに至る前に話をしないといけない。それがメインだから。


「……あの……ね、……チュッ、チュク……ウゥ」


 話をしようと吾妻君を見上げたら、ガッツリ後頭部に手を回され、口腔内を蹂躙された。吾妻君の手は大きくて、私の後頭部を押さえながら、指で私の耳たぶを捏ねたり耳穴に指を突っ込んだり。

 くすぐったいだけじゃない感覚が私の身体に広がって、私は吾妻君の舌を一生懸命捕らえる。話をしないといけないのに、身体の力が抜けてしまい、されるがままソファーに押し倒された。


 どれくらいそうしていたかわからない。舌をからめ、お互いの唾液を嚥下し、身体は隙間なくくっついている。それが心地好くてもっともっととしがみつく。吾妻君も離さないとばかりに私をしっかりホールドする。

 吾妻君の唇が私の唇から離れ、顎に首筋にと下がってくる。いつの間にか吾妻君の手は私のシャツの中に入っていて、知らない間にブラのホックは外されていた。


 これが練習の成果なの?!!!


 ピンク色に染まっていた視界が、いきなりクリアになる。明らかに最初の時よりも動作が滑らかだ。


「練習……したの? 」

「え……あぁ……うん……まぁ」


 まるで視界が狭まったみたいな感覚に襲われた。音まで遠くに聞こえて、全部の感覚がいきなり鈍くなったようで、吾妻君のキスも愛撫も何も感じなくなる。

 涙がボロボロ出てきて、次第に号泣の域まで達してしまう。可愛らしくポロポロ溢れる涙じゃなくて、幼児が泣き叫ぶみたいな激しいやつ。


「伊藤?! 」


 吾妻君はいきなり激しく泣き叫びだした私に戸惑い、すぐに慌てて起き上がると私の腕を引っ張り起こした。私を膝の上に抱えるようにして背中を擦る。


「ごめんな、ごめんな。怖かったか? 嫌だったか? もうしないから、伊藤が嫌がること絶対しないから! 泣き止めよ、な」


 私の号泣がおさまるまで吾妻君は背中を擦ってくれた。


「嫌がる……こと……しない? 」


 エグエグ言いながら言う私に、吾妻君は何回もうなずく。


「練習……しちゃ……やだ」

「え? 」

「他の人……や。」


 雅先輩とか、舞先輩とか、誰とも嫌だ! 私だけ……私も吾妻君だけなのに。


「私……以外……見ちゃやなの」


 見るのも、見せるのも、触るのも触らせるのも、全部私だけ。私だけがいい。


 号泣はおさまったものの、しばらくグズグズ泣き続け、吾妻君はそんな私の背中を一生懸命擦ってくれた。

 そして私以外は見ない、練習もしないと、固く約束してくれた。



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