彼からの贈り物


「これは、縁ちゃん宛の手紙よ。読んであげて」


 縁さんはちらりと僕に視線を向ける。



「僕も読んでいいんですか?」


「構わないだろう。

 これは私宛の手紙だというなら、

 閲覧を決めるのは私の権利のはずだ」



 縁さんが手紙を開いた。



『縁へ

 これを君が読む頃に、

 僕はきっと浮き世にはいないでしょう。

 手紙を遺すべきかどうか悩みましたが、

 遺すことに決めました。

 縁が僕の死に責任を感じて

 ほしくなかったからです。

 僕が死ぬ理由は大腸癌という病か、

 事件や事故に巻き込まれたせいだと思います。


 だから決して、縁のせいじゃない。


 心の種は育ててくれていますか。

 実は食べてくれましたか。


 信じられないと思いますが、

 それは夢の中で

 死神と名乗る者にもらったものです。


 願いを叶える代わりに寿命をもらう、

 と言われましたが、

 多分このことだったのだと思います。


 死神と名乗る彼が与えてくれた奇跡だと思いました。


 日記を見ていれば分かるかと思いますが、

 それは、君に贈った僕の海馬です。


 僕の海馬を君に贈りたかったんです。

 初めは、僕の記憶の全てを伝えたかった。

 でも、今はもう僕の気持ちをただ知ってくれたら、

 それで本望です。


 それから僕が死んだら、僕のことは気にせず、

 恋愛を楽しんでください。


 僕に義理立てするよりも、

 自分の幸せを優先してください。


 僕は縁が笑って、

 幸せでいられることを何よりも望みます。


 たった一つの今際の願いです。

 どうか、幸せになってください。            

                 透夜より』



 縁さんは肩を震わせて涙を堪えていたが、

 ポロリ、一滴の涙が流れた。



「それとね、二人に話しておきたいことがあるの。

 実はね、お葬式が終わった後に、

 小学生くらいの男の子と

 その母親が線香を上げに来てくれたの。

 誰かと思ったら、

 あの子が助けた男の子だったの。


 あの子は、赤信号なのに

 いきなり道路に飛び込んだから、

 自殺だと思っていたわ。


 でもね、本当は、信号が変わるまでに

 渡りきれなかった男の子を助けようとして、

 それに気づかなかったトラックに

 はねられてしまったの。


 男の子はあの子が道路から突き飛ばしたお陰で、

 擦り傷で済んだらしいわ。


 怒りや憎しみよりも、ほっとしたの。

 あの子は自殺をしたんじゃないって知れて、

 すごく嬉しかったから。

 救われたような気持ちになったわ。


 だから、縁ちゃんのせいじゃないのよ」



 暖かくて、優しい言葉と彼の最期の真実は、

 僕らの心を救うのに十分だった。



「もしよかったら、

 今から透夜のお墓参りに行かない?

 あなたはお墓の場所を知らないでしょう」


「いいえ、場所は知っています。

 透夜の兄の葉月さんが教えてくれたんです。

 私の店を探し出して、

 墓まで連れて行ってくれました。

 でも、一緒に行かせてください。

 そうするべきだと思いますから」



 真っ直ぐな眼差しで

 縁さんは鏡子おばさんを見つめた。


 そして僕らは、三人で墓参りをしたんだ。



 僕だけが不完全燃焼のまま、

 浪川家訪問は幕を閉じた。


 遅めの昼食をとろうと、二人で店に足を運ぶ。

 昼食は縁さんが作り置きしておいた

 香辛料の効いたハヤシライスを食し、

 腹を満たした。


 食後のティータイムを二人で楽しんでいると、

 彼女は

「少し話したいことがある。聞いてくれるだろうか」

 と言ってきた。


 真剣な眼をしていたこともあり、

 僕は二つ返事をする。


 それを確認した彼女はおもむろに立ち上がり、

 種を育てている部屋へと消えていき、

 一分と経たないうちに席に着く。



「この玉虫色の種は、私が初めて育てた種だ。

 そしてこちらの空色の種は、

 君が育ててから生った種だよ」



 だから何だろうと思ったけれど、

 続きがあるようで、

 僕は黙って耳を澄ませていた。



「互いの種を交換して、育てないか?」


「どうして、種を交換するんですか?

 理由を教えてください」



 質問に質問で答えないように

 気をつけていた僕だが、

 理由を訊かずにはいられなかった。



「お互いのことをもっと知り合いたいんだ」



 それは単純で明確な答えだったから、

 黙っていることが辛くて、

 僕は言いそびれたあのことを口にする。



「実は、浪川透夜と従兄弟なんですよ。

 家が近かったこともあって、

 彼にはよく面倒見てもらいました」



 その続きの言葉は彼女によって遮られてしまう。



「知っていたよ」


「えっ」


「君が、透夜が可愛がっていた

 従兄弟の昇汰だということも、

 君が私のことを

 知っているかもしれないということもね」



 息が詰まるような気がした。



「いつからですか、

 いつから気づいていたんですか?」


「君の名前を知ったときだよ。

 初めから、なんとなくそうじゃないかと

 思っていたんだ。


 君だって、そうではなかったか?

 私の名前を知ったときに、気づいたんだろう」



 あのときの妙な間はそれだったのか。



「そうですよ。

 でも、だったらどうして

 僕をバイトとして雇ったりしたんですか?」


「恨まれているかもしれないとも思ったが、

 それ以上に、透夜があれだけ愛でるように

 話をしていた『昇汰』という人物を

 知りたいと思ったんだ。

 

 君と関われば、

 私も何か変われるような気がしてな」



 とうにいがそんな風に

 僕の話をしてくれていたことを知れたのは嬉しい。


 だけれど、そこまで事情を

 把握されていることが辛かった。



「がっかりしたでしょう。

 とうにいから聞かされていた

『昇汰』とは全然違うはずですから」



 だって僕はまだ、

 とうにいのことを断ち切れていない。


 もうすぐで九年になるというのに、

 未だにその影に縋りついている。



「そんなことはないさ。


 君は、少し甘え下手で、

 芯はしっかりしているのに

 自分の意見を上手く言い出せなくて、

 謙虚で、我慢しやすくて、臆病なところがある。


 でも、真面目で、素直で、優しくて、

 よく笑いかけてくれる

 ――透夜から聞いたままの、素敵な男の子だよ」



 それは、時を越えて、とうにいが預けて、

 彼女が届けてくれた贈り物。


 二つが重なって生まれた奇跡に、

 僕は胸を熱くする。



「そう、だといいんですけどね……」



 これ以上言葉が見つからなかった。

 それなのに彼女は最後の一押しをしてしまう。

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