彼が遺した日記


『十二月三十一日 

 縁はカウンセラーを目指しているらしい。

 縁ならきっと

 立派なカウンセラーになれると思う。

 すごく優しい女の子だから。

 来年もいい年を迎えられますように。』


 隣を見ると、彼女は照れ臭そうに

 耳まで赤く染め上げていた。



『一月八日

 三学期が始まる始業式、

 縁が上級生に言い寄られているところを見かけた。

 そのときはなんとか追い払ったけど、

 それを見て、憤りを覚えた。


 縁もいつか、

 誰かと付き合うようになるのかと想像して、

 泣きそうに胸が痛かった。』


 どうやら日記は毎日

 付けているものではないようだった。

 何かがあったとき、

 気持ちの整理をしたいとき用に

 書き記しているようにも思える。


 この後の内容は、大体予想がつく。



『一月九日

 クラスの男子と縁が親しそうに

 話しているところを見て、ヤキモチを妬いた。

 そのせいで、縁に対して

 抱いていた気持ちが恋だと気づかされた。


 今さらになってこんな気持ちに

 気づいたところでどうすればいいのか分からない。


 抱き締めたり、キスをしたり、

 そういうことをしたいという気持ちは勿論ある。

 だけど、告白することで、

 今の関係が壊れてしまうかもしれないと思うと、

 怖くて、告白なんてできそうにない。』


 隣の縁さんは複雑な表情で日記を見つめている。

 自分への恋心が綴られている恥ずかしさと、

 彼の男の部分を知ってしまった

 気まずさのせいだろう。



『一月十一日

 縁と「付き合う」ということについて話した。

 まだ分からないけれど、

 いつか好きな人ができたらそうなりたいな、

 と話してくれた。

 僕は、縁の「好きな人」ではない。

 ただ、いつかそうなれるといいな。

 誰よりも近くで、

 その笑顔を向けられる存在になりたい。』



 またもや、彼女は赤面していたが、

 どうにも気になることがあったので構わず、

 質問を投げかけた。



「もしかして縁さんって、

 誰とも付き合ったことないんですか?」


「……うだ」


「え?」


「悪いか?

 この年で誰とも付き合ったことがなくて。

 店を開業することで精一杯で、

 色恋に現を抜かす暇などなかったんだ。

 それに、透夜のことがあったのに、

 そう簡単に恋なんてできるわけないだろう」



 また自責するように、彼女は目を伏せてしまう。



「いいえ。ただ気になったので訊いたまでです。

 馬鹿になんてしませんよ」


「そ、そうか。じゃあ、続きを読もう」



 再び、彼女の手元の日記へと視線を落とす。



『一月十二日

 どうにも告白する勇気が出ない。

 僕は臆病で口下手だから、

 上手く伝えられる自信がないや。

 僕の記憶ごと全部あげられたらいいのに。

 記憶の中にある縁への好きの気持ちごと全て。』


 今度は、縁さんの頬も紅く染まらず、

 日記に綴られている言葉を読み解くように、

 ただその文字の羅列を見据えていた。


 どこか呪文めいたその言葉に、既視感があった。


 聞いたことがあるというわけではないけれど、

 そこはかとなく知っているような気がする。

 けれどもあまりに情報量が少なすぎる故、

 日記を読み進めていく。



『一月十三日

 今日は不思議な夢を見た。

 朝、目が覚めたら、

 手の中に小さな巾着を握り締めていた。

 紐を緩めて中身を取り出すと、

 ビー玉みたいに綺麗なものが三つと、

 説明書みたいな紙が一枚入っていた。

 これを土に植えてみる。』



 多分、これは。



『一月十四日

 朝、目が覚めると、種が育っていて、

 双葉が芽を出していた。


 一つは実が生るらしく、

 もう一つは種が生るらしい。


 これから生る二粒の色違いの種と、

 元からあった透明な種を縁に渡して、

 それらを育て、そのうち一つの実を食べると、

 全てを伝えられるようだ。


 しかしそれにしても、

 随分回りくどいような気がするが、

 記憶の写しを渡すのだから仕方ないのかな。』



 種は、彼が育てたものだったと記されている。

 だとしたら、

 彼女が口にしたアレは……おそらく。



『一月十六日

 最近腸の調子がいたく悪いので、

 消化器科のある行きつけの病院に行ってみた。

 僕は昔から胃と腸の調子がよくなかった。


 そこで、明確な原因は分からなかったけれど、

 腸の動きがおかしいからと、

 大腸癌の検査を受けるように言われた。


 母と父に相談すると、

 すぐに受けるよう言われ、

 翌日、母と共に病院へ出向くことになった。


 なんだか、怖い。』



 昔から、胃腸が弱いらしいことは

 なんとなく知ってはいた。だけれども。



『一月二十三日

 大腸がんの検査を受けた。

 悪性腫瘍が見つかったと言い渡された。

 つまり、癌だ。

 それもステージⅢaだという。


 五年生存率は

 七十七・七パーセントほどあるというが、

 それはあくまで五年間生きていられる可能性で、

 平均寿命や還暦まで生きながらえることを

 保証してくれるものではない。


 僕の五年先まではある程度保証されているが、

 運が悪ければ残りの約二十パーセントに

 遭遇するかもしれないのだ。


 あの夢の意味は死期が近づいていることを

 教えてくれたのだろう。

 素敵な贈り物を添えて。

 限られた少ない時間を大事に生きるために。


 ありがとう、

 僕も勇気を出してみることにするよ。

 種も、もう花を咲かせている、

 時期に種をつけるだろうから。』



 とうにいは病気が原因で死んだのだろうか。

 そうだとしたら、腑に落ちない点がある。

 あのとき種が見せた映像では、

 とうにいは車に引かれて事切れていたはずだ。

 何かあるはずだと日記の続きに目を遣る。



『一月三十一日

 朝、ふと鉢植えに目を遣ると、種が生っていた。

 その種を摘み取り、

 元々種が入れられていた巾着に詰めた。


 夕方、母と一緒に病院に向かい、

 診察してもらうと病状が

 悪化していることが判明した。


 こんなに短期間で悪化すると、

 元々から危険性が高かったのかもしれない。


 また寿命が縮んでしまった。

 死ぬ確率が生存率に近づいてきている。

 だから、今のうちに手紙を書くことにした。


 縁に贈る種の説明書を書いた。

 家族や大事な人たちへ手紙を書いた。


 そのせいで、珍しく夜更かしをしてしまった。

 明日というか今日は、

 睡眠不足で居眠りしてしまうかもしれない。』



 この「説明書」というのは、

 説明と愛情が綴られていた手紙のことだろう。



『二月六日

 縁に告白して、見事に玉砕した。

 でも、種は受け取ってもらえて良かった。

 却って、振られて良かったのかもしれないな、

 僕は何年生きられるかも分からない癌患者だ。

 思い合えても、幸せにはできないだろうから。

 そう言えば、来週にはバレンタインがある。

 縁の好きなチョコレートを駅前に買いに行こう。』



 あれは、とうにいの

 形見に近しいものだったんだ。


 だから、

 彼女は壊れ物のように大事にしていた。



『二月十二日 

 今日は昇汰と久々に遊んだ。

 数ヶ月ぶり程度だけどその間が長く感じられた。

 素直で可愛い。

 こうして昇汰に構ってやれるのも

 あとどれくらいだろうか。


 昇汰の恋愛事情なんかも聴きたい。

 そして昇汰を送るついでに、

 縁に渡すチョコレートは買っておいた。


 喜んでくれるといいな。

 縁が喜んでくれると、僕も嬉しい。

 

 君は僕にとって特別な存在だ。

 この感情は未知数で恋というだけでは足りなくて、

 上手く解明できない。

 でも、君がいるだけで心が落ち着いて、癒されるよ

 ――ああそうだ、君は僕のカウンセラーだ。』



 それが最後の日記となった。

 その翌日に、彼は亡くなってしまったのだから。


 隣に目を遣ると、

 縁さんは今にも泣き出しそうで、

 必死に涙を堪えていた。



「読み、終わりました……」



 片手で目元を覆いながら、

 鏡子おばさんに日記を返した。


 すると、鏡子おばさんは

 手にしていたものを縁さんに差し出した。



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