再会

「面白いんだが、ラストが切なすぎないか?」



 縁さんの言葉で小説の世界から

 一気に現実世界へと引き戻される。


 仮にも、知人だという人が書いた

 小説を読み終えて開口一番がこれだと思うと、

 二人は余程親しい間柄なのだろうか。

 気の置けない間柄と言うように。



「そうですかね、でも私には

 幸せな終わりなんて考えられませんから。

 それに、努力や想いが

 全て報われるというのも詭弁きべんです。

 それでも、ちゃんと恋を終わらせられたら、

 十分じゃないですかね。

 長い間想い続けていたらこじらせてしまって嫌われても、

 忘れられなくなるから――」


「ほぉう、興味深い話だな。詳しく聞かせてくれ」


「お断りします、個人情報ですよ」



 いや、違うかもしれない。


 縁さん曰く、

 同い年で同じ学校に通っていたらしいが、

 親しくなったのは卒業後らしい。

 親しい割には敬語なんだ。



「じゃあ今もあいつのことが好きなのか」


「何のことですか」


「種を売ったときに言っていた奴のことだよ。

 確か、一つ上の先輩とか言っていたな」



 何の話だか僕にはさっぱりで

 すっかり蚊帳の外になってしまっていた。


 だから僕は、大人しくテーブル拭きに回った。



「由野さんは記憶力がいいんですね。

 二年も前のことを」


「そりゃあ忘れないよ。

 深津は初めての客だからね」



 その言葉に対しては、

 流石の僕も口出しせざるを得なかった。



「縁さん、その割には口調が砕けてますよ

 ……それに接客態度じゃないですよ、それ」



 僕の指摘に対して、縁さんは

 何でもないと言うように言ってのける。



「長い付き合いだし、常連だから大丈夫。

 それに、飲みに行くような仲だからな」


「そうなんですか?」



 どちらに訊いたわけでもなかったから、

 彼女が答えたことにも別段、

 違和感を覚えることもない。



「そうですね、たまに飲みに行ったりもします。

 彼女がお酒の美味しいお店を知っているので、

 それで。そういや思い出したけど、

 わざわざ呼び出しておいて、

 話は小説の感想とからかうだけ?

 それなら私は帰るよ」



 唐突に切り替わった口調に戸惑う暇すらなく、

 彼女は腰掛けていた

 椅子から立ち上がろうとする。


 しかし、縁さんはそれを許さない。



「まあ、ちょっと待て。

 本題に入るから、聴いてくれ」


「分かったよ」



 不機嫌そうに、

 立ち上がりかけた椅子に腰掛ける深津さん。



「実はだな、

 深津に会いたいという人がいるんだ」


「誰? もしかして、勝手に許可したの?」



 せき立てる深津さんに、

 縁さんは宥めるように彼女に言い聞かせる。



「まあまあそう慌てるな、落ち着け。

 もちろん、小説家の瀬川夕の

 お前に会いたいと言うわけじゃない。

 それに、個人情報だから訳も聴いたし、

 証拠も見せてもらった。だから大丈夫だ」


「だから誰って」



 彼女の食い気味な態度を抑えるように、

 その言葉で圧する。



「深津が会いたがっている人だよ。

 そろそろかな」



 そこでタイミングを見計らっていたかのように、

 扉が開いて、

 スーツを来た男性がこちらに視線を送る。

 いや、もしかしたら本当にタイミングを

 見計らって入って来たかもしれない。

 二人の雰囲気は一触即発だったから。


 それにしてもあれ、

 あの人見覚えがあるような……

 あ、絶対知り合いだ。



「どうぞこちらです、辻川さん」



 その名前を耳にした途端、彼女の表情が変わった。

 また僕も。

 一瞬硬直したかと思えば、

 すぐさま泣きそうな顔に変わる。

 僕も、冷や汗が止まらないかな。

 名前を聞いて、確信してしまった。

 僕のクラスの担任、辻川先生だった。



「せん、ぱい……? 夕真先輩ですか?」


「久しぶり、深津」



 この意味深な雰囲気に乗じて、

 こっそり隠れられないかな?


 と密かに胸に一物抱えていると、

 助け舟がやってきた。



「私たちはおいとましましょう。

 それでは私たちは

 店の奥でおりますので、ごゆっくり」



 颯爽と店の奥に進んでいったはずだった。

 しかしながら縁さんは

 すぐ傍の小部屋に僕も引き込み、

 縁さんはそば耳を立てる。



「何してるんですか」


「気になるだろう、あの二人のこと。

 それに佐藤、辻川さんと知り合いだろう」


「はい、担任です」


「ほぉ、それはなかなか面白そうだな。

 君も知り合いなら一層、気にならないか」


「そりゃあそうですけど……」



 結局、欲望に負けた僕は縁さんに同乗して、

 二人で彼らの会話を盗み聞きし始めた。



「本、読んだよ。面白かった」


「ありがとうございます。

 でも、どうしてわざわざ私なんかに

 会いに来てくれたんですか?」


「あのとき、『大嫌い』なんて

 言ったことを謝ろうと思って。

 本当に、ごめん。

 片思いしてた俺には分かったはずなのに、

 あのときは感情的になってごめん」


「いえ、あれは私が悪いんです。

 先輩に好きな人がいるって分かってたのに、

 諦めきれなくて。

 だから、先輩は悪くありません」


「それと、聞きたいことがあって」



 妙にに言葉を濁す物言いで、

 恥ずかしさを堪えるような声音をしていた。



「何ですか?」



 深津さんの言葉に安堵したであろう辻川先生は、

 ある問い掛けをした。



「あの本に書かれていたことって本当?

 女の子が言った、


『私は先輩が好きなの。振られたとしても、

 きっとずっと

 有馬先輩を想い続けてしまうの』


 って言葉だよ」


「それだけですか、

 もう一つには気づきませんでしたか。

 右ページの一行目の最後の文字、

 全部メッセージなんですよ?

 長いので多少省きますけど、


『私は今でも先輩のことが変わらず好きなままです。

 迷惑かけるのか分かっているのに

 こんなこと云ったりしてごめんなさい

 ――願わくば、もう一度あなたに逢いたい』


 なんて、二百ちょっとの告白です」


「それは気づかなかった……

 後でちゃんと読むから、教えて、あの言葉は本当?」


「今言ったじゃないですか」


「そっか、そうなんだ。

 俺さ、深津のこと誤解していた。

 ミーハーで飽き性で大ざっぱだと

 思ってたけど、違った。

 本読んでたら、繊細で傷つきやすいって気づいたよ。

 今でも深津のことは好きじゃない、

 だけどどうしても会いたいって思わされた」


「そうですよね、

 何年経っても先輩は私を好きにはならない――」


「でもな、このままさよならにするのも嫌なんだ」


「え?」


「深津とちゃんと話して、友達になりたい。

 また、会いたい。

 だから、連絡先を教えてほしい……

 こんな始め方じゃ、ダメかな?」


「先輩は酷いですね。生殺しですよでも、嬉しいです。

 じゃあ、また先輩と会ったり、電話をかけたり、

 メールを送ったりしてもいいんですか?」


「うん、していいよ。だから、交換しよ」


「はい……!」



 ――私はちゃんと過去の恋を清算できた。

 報われなくて宛のない恋にさよならできたのだ。


 あなたが一歩踏み出してくれたから、

 きっとそれだけでこの恋は報われる、大切な恋になる。


 ようやく、どうしようもない恋に

 終止符を打つことができた。



 良くも悪くも、二人の関係は始まったばかり。

 私の恋はようやく進むことができたのだ……!



 という縁さんのナレーション。

 会話が終了したその間にすかさず僕らは出て行き、

 こう問いかける。



「二人とも、今夜の予定は?」


「ないけど」


「ないですが……」


「ではここが夕食をとらないか?」


「え、でも」


「案ずるな、お客としてではなく、

 一人の友人として言った言葉だ。

 金は払わせないよ」



 お互いを見合う二人。



「どうする?」


「先輩がいいならいいですけど」


「それじゃあせっかくだし、

 お言葉に甘えさせてもらおうよ」


「えっ」


「せっかく会えたんだから深津ともう少し話したいし、

 久しぶりに由野とも話してみたいなと思って」


「どうして由野さんと?」


「ちょっとした知り合いだよ。

 親しい友人が同じで、そのよしみで知り合ったんだ。

 それに、由野は深津と仲がいいみたいだし、

 俺の知らない深津の話を

 聞けるかなって思ったんだけど、嫌だった?」



 縁さんは敢えて、

 辻川先生と知り合いなことには口を閉ざしていた。



「い、嫌じゃないです」


「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね由野」


「四人で食べるなら、鍋がいいな」


「え、僕の予定は無視ですか。それに夏ですよ」



 あ、そう言えば、先生ってこと忘れてた。

 バイトは原則禁止だけど、

 これって処分の対象になるのかな。



「あ、そうだ。佐藤バイトやってたのか……

 と言うべきだろうが、先生も面倒事はごめんだ。

 他の先生にはバレないようにしろよ。

 因みに、今日のことも口外するな、分かったか?」



 とりあえず、一安心した。


「はい!」


 話が一段落したと確認した

 縁さんは僕に話題を振ってくる。



「夏に鍋を食べるのも乙だぞ。

 特にキムチ鍋なんかがうまい」


「あ、それはちょっと分かるかも」


「キムチ鍋と言えば、

 キムチを油で炒めてから

 入れると美味しいって言いますね!」


「三対一でキムチ鍋決定だな。

 よし佐藤来い、冷蔵庫の中身を確認するぞ」



 今し方六時になり、

 確認を終えたらしい縁さんは二人に言った。



「すまないが、

 二人で買い出しに行ってきてくれないか。

 白菜もキャベツもニラも肉もないんだ。

 あと、〆に生そばも買ってきてほしい」


「分かった。深津、行こう」


「助かるよ。これで買ってきてくれ」



 縁さんは五千円札をさっと手渡す。

 お、男前だ!

 これは縁さんなりの二人への気遣いらしい。

 

 この後、買い出しから帰ってきた

 二人も合わせて四人で鍋を楽しんだ。

 しかし、二人の買ってきたものの中には、

 お酒も含まれていたため、

 三人ともかなり饒舌で強烈な印象を植え付けられた。


 中でも、先生の変貌が一番強烈だった。

 いつもの好青年風の先生像を破壊するごとく、

 先生方の愚痴をぶちまけていた。

 確かにこれは、口外できない。

 けれど、こういう人の本性を見られるのも

 新鮮で面白いかもしれない。



「なあ、佐藤もそう思うよな?

 あの――は俺のことを目の敵にしてるだろ?」



 こんな、絡み酒でさえなければ。


 そして、楽しい?

 宴も終わる頃には二人はすっかり打ち解け、

 旧知の仲のように酒を酌み交わしていた。


 よかったと思うのも束の間、

 千鳥足になるまで泥酔した縁さんは

 僕が介抱することになった。


 ある程度、意識がはっきりしている先生は

 深津さんを送るとのことで、

 そっちは任せたということだろう。

 しかし僕は縁さんの家の鍵の在処を知るわけでもなく、

 仕方なしに店の小部屋に置かれた

 簡易のソファベッドに寝かせることにした。


 クローゼットを開いてタオルケットを見つけ出し、

 それを寝静まった彼女にそっとかけてやる。



「おやすみなさい」



 一言だけ声を掛けて僕は店の裏口から出て、

 外から施錠した。

 この扉は鍵なしタイプで暗証番号で出入りし、

 出る際は暗証番号なしでも出られて、

 外からそのまま施錠することができる。


 おやすみなさいと言ったとき、

 思わず髪を撫でてしまった。


 触れてはいけないのに、

 あのことを忘れてはいけないのに、

 どうして近寄ろうとしてしまうんだろう。

 芽生えてはいけない

 オモいが育ってしまいそうで怖い。



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