【第四種:昇華の種ーしたもいー】

「名前」/シナリオ

【名前】


 あの日以来、

 彼女との間に小さな溝を生んでしまった僕は、

 距離感の取り方を測りかねていた。


 だからそれは、一種の意志疎通の手段として、

 訊いてみたにすぎない質問だった。



「今さらなんですが、

 由野さんの名前って何て言うんですか。

 そう言えば、知らなかったと思いまして」



 彼女は目をきょとん、とさせて僕の顔を見つめた。

 どうして急にそんなことを

 訊いてくるのかと思っているのだろうか。


 僕はただ、確かめたかった。

 想像とすら呼べやしない僕の浅ましい空想がどうか、

 本当にその通りでありますようにと願って。

 確証という判を押して欲しかった。


(――でも、知りたくない)


 せめぎ合う心を抑えて、耳を澄ませていた。



「縁だ。私の名前は、縁だよ」



 僕は束の間、意識が朦朧としてしまい、

 すぐには反応できなかった。



「……っき、綺麗な名前ですね!

 あの――これから縁さんって呼んでもいいですか?」


「ああ、構わないよ」


「由野縁、って妙に文学的な氏名ですよね。

 人と人とを結ぶ、

 縁さんにぴったりの名前です!」



 にっこりと笑ってみせたつもりだったが、

 上手く笑えていただろうか。

 上手く、騙せていただろうか――。





【シナリオ】



 季節は猛暑は少し通り過ぎただろうか

 という八月の半ばだ。


 高校二年生の夏休みともなると、

 そろそろ進路のことについて

 考えなくてはならない時期になってくる。

 そこで教師陣は二年生全体に課題を出した。

 オープンキャンパスやら体験入学やらに行き、

 あわよくば、早いうちに

 進学先を決めさせようという企みである。


 ――というのは流石に被害妄想的であるが、

 まあ簡単にいうと、進路のことも視野に入れろよ、

 ということだろう。


 しかし、僕はバイトまっしぐらで、

 最近では近所のマダムたちに

 人気が出始めてきたくらいだ。

 縁さんはそのマダムたちからおかずなどのお裾分け、

 という名の差し入れをいただいたりして、

 夕食には困らないそうだ。


 その影響か僕もお菓子をもらうようになり、

 彼女が何に対してかヤキモチを妬いていた。

 因みに最近、店の裏で家庭菜園を始めた。

 

 その野菜は出来次第、店の料理に使用していて、

 割と好評価を得ている。

 大方それは、別の意味で

 人気を博していると思えるけれど、

 売り上げに貢献しているならよしとしようか。



 今日は平日だが、

 夏休み真っ只中な僕にはあまり関係がない。

 強いていうなら、平日は近所のマダムたちが多く、

 差し入れをもらうことがよくあるというくらいだ。

 店の休憩もじき終わることだし、

 今のうちにさっさと済ませてしまおうか。

 

 最近では、店が暇なときなんかは、

 彼女の家事を押しつけられている。

 掃除、洗濯物、洗い物など、家事全般だ。

 掃除や食器の洗い物なんかはまだいいが、

 洗濯物は目の遣り場に困るし、

 どう扱っていいのか分からないものがあるので、

 それぐらいは自分でやってほしいと心から願っている。

 健全な男子高校生の反応は、こういうものだと思う。

 何というか、申し訳ない気分になってくる。


 目に見えない距離が生まれたかと

 思っていたのに、この有様だ。

 縁さん、ちょっと無防備すぎやしませんかね。

 僕はこれでも一応男だ、まあだからと言って、

 変な気を起こすことはないけども。


 以前は兎も角として、今はないと言える。

 恥じらいは抱いても、

 そんな気を起こすなんてあり得ないから。




 夕方五時夜の部の開店直後に、

 扉がカラリと音を立てて開かれた。


 こんな時間に、開店と同時に

 客が入るなんて珍しいと思っていたら、

 それはどうやら彼女の知り合いのようだった。



 ――俺はただの凡人だ。何もできないわけでもなく、何ができるわけでもない普通の男。けれどそんな俺にも可愛い幼なじみがいる。

 一番近くて、一番親しい間柄、何でも知っている、「親友」。

 お互いそう思っていて、ずっと変わらないと思い込んでいた。

 しかし、永遠に続くものなんてないと知った。

 可愛くて、明るくて、優しい彼女には彼氏ができて。

 もう高校生だし、彼氏がいてもおかしくはない年頃だ。そう分かっていたはずなのに、君に彼氏ができたと聞かされた途端、喉につっかえるようなものがあった。

 そのとき初めて君への気持ちが友情なんかじゃなく、恋心だったと気づかされてしまったんだ。こんな想い知りたくなかった。知らないまま、笑顔で君の背中を押したかったよ。

 きっかけは最悪な「君からの報告」、気づいたと同時に失恋が決まってしまう切ない恋。


 もっと早く気づけていれば何か変わっただろうか。


 後悔しても仕方ないと思い直してみる。俺と君が幼なじみであることは変わらないし、関係が変わるわけでもない。きっとこのままでいられるから。


 ――しかし、俺の淡い願いさえも叶わなくて、今まで通りにはならなかった。

 君がいなくなって、君の大切さに気づく。想いは相手がいないうち募るものだというけれど、それは事実だったようだ。会えないうちにどんどん気持ちが溢れてくる。会いたい、声が聞きたい、笑顔が見たい、触れたいのに。このままではきっと君を傷つけてしまう、そう感じた。


 不思議な店を見かけ、入店し、店主が声をかけてくれる。その容姿と彼女の持つ不思議な雰囲気に魅せられて、気を引かれる。注文を済ませ、注文の品を運んでくると彼女が悩みなどはありませんか、と尋ねてきた。俺は不信感を抱きながらも、誰かにこの胸の内を暴露してしまいたい衝動に駆られ、恋心を語った。そして、この恋を諦めたいことを話した。店主は諭すように説得してくれるが、決心は揺るがなかった。 

 もう届かないなら、早急に打ち消してしまいから。

 しかし、それならと店主は俺にその想いを打ち消すのではなく、「昇華」することを薦めてきた。店主からその術を教えてもらい、俺はこの想いを消さず、心の内に留めた。


 その二年後、俺は作家デビューを果たし、自身の本を出版する。君のお陰で、こんなものが作れたよ、ありがとう。君に、読んでもらえたらな、密かに気持ちを忍ばせている。

 久しぶりに君から連絡があった。その直後、君が俺に会いに来てくれて。幾年分もの思いの丈を込めて、今度こそ想いを告げるよ。そして、ちゃんと失恋して、この恋を終わらせよう。


「聞いてほしいことがあるんだ。それは、どうしようもないくらい情けない奴の話なんだけど、聞いてくれる?」


 久々で声が上擦りそうだ、胸も痛いくらいに振動して、募らせたオモイを身体で感じる。

君はきょとんとした目で暫く俺を見つめると、昔みたいににこっと笑ってくれて、


「いいよっ!」


 そう答えてくれた。あぁ、本当に君が好きだな。君の答えなんて聞くまでもないけれど、この想いさえ伝えられたなら満足だよ。


  ―終―

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る