奇しきゆかり


 桜の散り際に、その朗報は舞い込んできた。



「私たち、結婚したんです」



 聞き慣れた女性はそう語り、

 隣の男性と共に由野さんと歓談している。


 今日、四月十七日は一条さんの誕生日だ。

 その件で、食事かと思いきや、

 それだけではなかったようだ。



「ついさきほど、婚姻届けを提出してきまして、

 夫婦になりました」



 今度は隣の氷川さんが由野さんにそう話す。

 余程、話したくてたまらなかったんだろう。


 彼らは昨年の七月中、下旬にこの店を訪れ、

 その縁で、同年十月に付き合うことになった。

 それ以来、彼らはすっかりこの店を気に入り、

 よく足を運んでくれる常連客だ。


 彼らはまだ話したいことがあるようで、

 そわそわしている。



「八月に式を挙げようと思っているんですが、

 お二人でその式に来てくれませんか?」



 関係ないと思っていたところに、

 急に白羽の矢が立った。



「え、僕もですか!?」


 そのせいで、思わず声を荒らげてしまった。



「はい、お二人にはお世話になったので是非、

 式にはお呼びしたいと思ったんですが、

 無理、ですか……?」



 結局、四ヶ月後の挙式に僕らは参加した。

 日付は八月三日、氷川さんの誕生日だった。

 規模は三十人程度。


 服装は制服でいいと思っていたけれど、

 由野さんが以前彼女のお父さんが着ていたという

 スーツを貸してくれた。

 実際、着てみると、

 僕には少し大きめのサイズ感だったが、

 それくらいなら平気だと

 この服を借りて式に出ることになった。



 純白のウェディングドレスを纏った一条、

 ではなく灯さんは普段とは別人のように綺麗だった。

 また、白い清潔感溢れるタキシードを着こなす

 透さんはやっぱり様になっていた。


 食事はとても高級感を漂わせるもので、

 遠慮がちになってしまう。

 僕はまだ学生だから、

 ご祝儀はいいと由野さんに言われたが、

 手ぶらなのも心苦しいので、

 粉末だしの詰め合わせを購入しておいた。

 渋いセレクトかもしれないが、

 結婚家庭に贈るなら実用的なものの方がいいと思ったんだ。



 ブーケトスは、彼らの友人たちに譲るべきだと思い、

 後方に二人で肩を並べて立っていた。

 しかし、灯さんのブーケトスは勢いがよすぎたせいか、

 前方の彼らの友人たちの集団を飛び越え、

 僕らのところまでやってきてしまった。

 そして、受け取る手を伸ばすまでもなく、

 ブーケは自分の意志があるかのように

 由野さんの腕の中に飛び込んだ。



「あ」



 会場一同の視線を集めた瞬間だった。


 帰り際、二人に祝福の言葉をかけ、彼女はご祝儀を、

 僕は粉末だしセットを手渡した。

 中身が見える包装になっていて、

 それを見た二人は大層喜んでくれた。

 出汁はある意味、

 二人を繋ぐきっかけだったから、と。




 帰り道、由野さんは祝福のブーケを抱えながら、

 複雑な表情を浮かべていた。



「どうしたんですか、由野さん。

 ブーケトス取れたのに、嬉しくないんですか?

 幸せの兆しですよ?」


「いや、そんなことはないが、

 ただ、私なんかが幸せになってもいいのかと思ってな」



 ニカッと白い歯を見せて笑う彼女だったけれど、

 上手く笑えていなかった。

 だから、僕は溜まらず、こんな質問を投げかけたんだ。



「どうして、由野さんは色んな人を救っているのに、

 幸せになっちゃいけないんですか」


 疑問形よりももっと、

 重くのし掛かる思いからだった。



「私はね、自分のやっていることを

 善行だと思っているわけではないんだよ。

 あくまでエゴだと自覚してやっていることなんだ。

 決して他人のためなんかじゃない、自分のためだ。

 そこをわきまえないと、

 全ては狂ってしまうんだよ、全て、ね」



 ククッと高笑い気味に彼女は声を上げて笑う。

 全然答えになっていないのに、

 何かを教えてくれているような気がした。



「つまりそれは、

 由野さんがしたいようにしている、

 ということですか?」



 しかし、僕の問いに彼女は首を振る。



「いや……そうではないんだよ。

 私の場合は、エゴでやっていることではあるが、

 やりたいことをやりたいようにやっている、

 というのとも違っていてね。


 私は、

 罪滅ぼしのためにやっているのだから――」



 彼女はそう言うと俯いたまま、

 矛盾しているかもしれないがね。

 と、呟くように、嘆いていた。


 そして、本来の質問に対する

 答えを思い出したかのように、答えてくれて。



「ああ、どうしてかだったね。

 それはね、私が間接的だが、

 人をしまったことがあるからだよ」



 僕は怖くなって、喉から声を失った。


 嘘ですよね、冗談だと言ってくださいよ。


 そんな僕の心の声を辿り、追い詰めるように、

 彼女はなおも続けた。



「冗談じゃないよ」



 最後に聞いたその言葉がやけに涙を誘って、

 僕はいつしか泣いていたんだ。

 その涙を掬う手は行方しれず。

 ただ、触れられない壁が生まれてしまうばかりだった。



 ――どうして慰めてくれないんですか。

 涙を掬ってくれませんか、励ましてくれませんか。

 いつもの堂々した態度は

 何処に消えてしまったんですか。


 そんな僕の心の声はただの独白に終わり、

 初めて彼女と僕の間にある壁を体感することになった。


 それは彼女と出逢って一年の夏。



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