幸せのお裾分け

 翌日、昼からバイト。五日ぶりの由野さん。



「由野さん」


「何だ」



 彼女はこちらを向こうとせず、

 僕に背を向けたまま返事をした。

 そんな態度とられたら、

 余計にからかいたくなってしまうのに。



「由野さん、昨日は忙しい中、

 文化祭に来てくれてありがとうございます」



 身体をビクン、と震わせるも、

 一向にこちらを向く気配はない。



「贅沢甘味セット、美味しかったですか?」



 そっぽ向いたまま、彼女はポツリ呟いた。



「まあまあだな」


「ありがとうございます」



 心からの笑みでそっと彼女の背中を見据えながら、

 僕は今日も今日とて心の樹と種の世話をする。


 本当に恥ずかしがり屋な人だ、けれど、

 それが可愛いと思えてしまうあたり、

 僕はもうすっかり彼女に懐柔されているんだろう。



 それから二日後、今度は体育大会が開幕した。

 僕はあまり足が速い男子というわけでもないので、

 二人三脚に出場した。

 クラス別対抗にもなっているので、

 相手は同じクラスの宮田だった。


 宮田は僕よりも身長が十センチ近く大きいため、

 不釣り合いに思えたが、

 半ば彼が僕を引っ張っていく形で足を進められ、

 見事一位になることができたんだ。

 コンパクトな脚は小刻みに素早く走るのに、

 功を奏したんだろう。


 最終結果、

 僕らのクラスが属する紅組は敗退してしまったが、

 クラス単位では十九クラス中、

 五位と中々の好成績を収めることができた。

 この調子だと、

 今週末のどちらかは打ち上げを開催するだろう。


 辻川先生も上機嫌で、

 HR中にこっそりとみんなにジュースと

 プチシュークリームを振る舞ってくれた。



「他のクラスには内緒だぞ?」



 と、人差し指を鼻の前に押し当てて、ウィンクする。

 茶目っ気溢れるその言動は

 彼のように人望がある先生でないと、

 どん引きされるか、教室中の空気が凍てつく。

 イケメンではないが、イケメン風で気さくな人の方が、

 却って嫌みがなく、人から好かれるのかもしれないな。



「先生、ありがとー!」


「先生大好き!」



 教室のそこら中から感謝の言葉なんかが飛び交う。



「こんなときばかりそんなこと言って、現金だな」



 そう言いながらも、彼の眼差しは穏やかで、

 口角は緩く上がっていた。

 いやまあ、こんなときだからこそ、

 軽口で好きだとか言えるんだろうけれども。

 本気さを滲み出すような「好き」は口にはできない、

 色々な事情が絡んでくるからだ。


 何はともあれ、こういう小さなサプライズは嬉しい。

 特に、食べ物は値段云々ではなく、胸にしっかり残る。

 お腹が空いているときに食べ物を恵んでもらうと、

 とてつもなく大きな恩を覚えるから。



「いただきます。ん、んまい」



 お腹と心に染みた。辻川先生に感謝だ。


 主な学校行事を終えた十月の十二日、

 今日も元気に夕からバイトである。

 特にこの時期は、食欲の秋に当たる。

 秋の味覚が勢ぞろい、栗、梨、柿、

 秋刀魚、鰯などがそれだ。

 今日の上がりは九時頃だし、

 まかないをいただけると期待している。

 何なら、切望しているほどだ。



 いつものように、樹と種の世話を済ませ、

 掃除、後片付け、洗い物などを

 済ませているうちにいつしか、七時を回っていた。

 今日はあまり客の入りがよくなくて、

 少しばかりやる気を失いかけていたら、

 不意に扉がカラリと音を立てて、開かれたんだ。


 僕の視界には見覚えのある人影が飛び込んできた。



「こんにちは、お久しぶりです。

 いらっしゃいませ、一条さん」



 会いたいと思っていたせいか、

 どの順序で話せばいいか分からなくなる。


 そんな僕を穏やかな眼差しで

 見てくれる彼女の手には、

 あの日の鉢植えを入れた袋がぶら下げられていた。



「いらっしゃいませ、一条さん。

 お好きな席にどうぞ、

 お話はそれからにしましょう」



 嬉しさのあまり接客を忘れる僕に取って代わって、

 大人な対応をとった。

 彼女は定着しつつあるカウンターに腰掛けて、

 その鉢植えを由野さんに差し出した。


 彼女に水を差し出すついでに、

 鉢植えを確認してみると、実は紅く熟れた「苺」だった。

 苺は一粒だけ実っているが、

 花はいくつか蕾をつけている。

 これから咲く予定の花はたくさんありそうだ。


 それから彼女の結果報告が始まる。



「彼に、摂食障害のことや、

 それの原因と思われる過去の

 トラウマについて語り尽くしました。

 それこそ、私怨さえも交えて。

 それでも彼はそのことを知ったうえで、

 私のことが好きだと言ってくれたんです。


『それら全部まとめて君だから、俺は過去を経験してきた、

 今ここにいる君が好きだよ。

 全部まとめて受け入れて、心身ともに支えたい。

 できるなら、ずっと傍に居たいと思ってる』


 そう言ってくれて。

 これ以上の言葉はないと思いました。

 同時にこれ以上望むこともないと感じました。


 こんなに世話のかかる面倒な自分を必要としてくれて、

 好きだと言ってくれて、ずっと傍に居たいって……

 その言葉だけで私は幸せでした。


 この手を掴まずして、

 この先私は幸せを得ることはできないでしょうね。

 私にとって、彼は最高の相手です。


 勿論、私はその答えを受け入れました。

 この人となら、私も精一杯頑張ることができて、

 いつまでも寄り添える

 夫婦になれるような気がしましたから」



 告白を受けたことは分かったが、

 それは結婚の方なのか交際についてなのか

 明確には分からない。

 意外とせっかちな由野さんは

 それを明確にしようと彼女を急かす。



「というと、

 具体的にはどのようになりましたか?」


「はい、先日の三日に

 交際を始めさせてもらいました」



 ほっ、なんだ、交際の方だけだったか。 

 とんでもない展開が始まるかと思って、

 冷や冷やしてしまったよ。


 その後、一粒のお代を受け取った由野さんは

 彼女に鉢植えを返し、

 そのまま育て続けることを薦めた。


 植物セラピーという観点からすると、

 このまま種を育てることはとてもいいことらしい。

 僕も育てている。

 心の平安を維持させるためだろう。

 彼という一番の精神安定がいる限りは、

 大丈夫そうだろうけれども。

 少しでも離れたときなんかには、役に立つだろう。

 若しくは、彼といてもそれはそれとして、

 ささやかでも、いい影響を与えるはずだ。



 この日の彼女はマフィンを購入して、

 早々に帰っていった。


 少し寂しい気もするが、

 彼女が幸せになれたようで嬉しい。

 何よりも、自分自身を受け入れられたということが

 一番の喜びだ。

 自分を受け入れてほしいと思う先は、

 他でもない自分だから。



 翌週末、二十二日の土曜日に、

 氷川さんと一条さんが二人揃って、店を訪れた。


 これはどういうことだろうかと思ったけれど、

 今までのことを整理すると

 そういうことかと今さら気づかされる。

 もっと早く気づいていても、不思議はなかったくらいだ。


 氷川さんの頼みでセッティングした

 二人の初デートは見事、成功を奏した。


 由野さんが彼に教えて、

 一条さんに食べさせた料理などを

 参考にメニューを設定したんだ。

 デザートは白桃と苺のタルトだった。

 一条さんの好きなタルトに、

 氷川さんの「白桃」、

 一条さんの「苺」を二人に見立ててつくってみたものだ。

 勿論、フルーツは代用品だけれど。


 こんなにも喜んでくれる人がいるというのは、

 働きがいがある。

 生計を立てるために、働かなくてはいけないけれど、

 それでも自分のしたいことや、

 やりがいのあることを

 仕事にできたらいいなと思ってしまう。


 世の中、そんなに甘くないことは

 分かっているつもりだけれど、

 それぐらいの希望がないと人生つまらない。

 ささやかでいいので

 光と癒しを与えてくださいということだ。



 今日、彼らの記念日は、

 僕にとっても思い出に残る日となるにちがいない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る