「自信がないんです」と、

 九月二十八日、彼女が前回、

 店を訪れてから約一ヶ月と

 三週間後に彼女は再び店を訪れた。


 それ自体は悪くないけれど、

 彼女はどこか思い悩んでいるような

 面持ちで店にやってきたんだ。



「どうなされましたか、一条灯さん」



 彼女は由野さんの言葉にひどく驚かされたようで、

 口元を軽く押さえながら、

 どうして、と言った。



「名札、外し忘れてますよ。

 よっぽど、気が動転されているようですね」



 にこやかに由野さんが言うと、

 彼女は恥じらいの表情を浮かべる。



「最近ずっとこうなんです。

 注意力が散漫しているというか、あることが気になって、

 仕事が手に付かないんです」


「と、言いますと?」



 由野さんはそのまま彼女に話を続けさせようと、

 簡潔に返答する。

 それに応じるように、

 彼女も先に結論だけを簡単に言ってくれた。



「以前お話しした彼に告白されたんです」



 なおも由野さんは

 彼女のペースを乱さないよう、続きを促す。



「それでどうしましたか?」



 彼女は途端に伏し目がちになって、

 その意味を口にした。



「断りました。

 私、好かれる理由が分からないんです。

 可愛くもないし、

 まだ摂食障害も完全には治っていないのに、

 それすらも打ち明けられないままで。

 でも、もう一度告白されました、

 結婚を前提に付き合ってほしいと。

 初めは冗談かと思ったんですが、

 二度目で、冗談だとしたら、

『結婚を前提に』なんて言わないはずですから、

 本気なんだと思います。

 だからこそ、一度目に相手の好意を

 素直に信じられなくて断ったのが

 申し訳ないとは思っているんですが、

 私、どうしたらいいか分からなくて

 ……相談に乗ってほしいんです」



 う、うん。その相手って、肝強すぎる。

 どんな精神してるの、

 しかも一度振られたのに結婚を前提にって、

 ば、ハードルが高すぎる。


 下手をすれば、現代社会で

 それはストーカーとさえ扱われかねない。

 ド直球すぎて、少々重い気さえするような。

 相手が彼女でなければ、

 通報されてしまったかもしれない。

 しかし、女性を見る目はあったようだ。

 会ったこともない年上の男性をこんな風に

 侮辱するのはよくないかもしれないが、

 こんなことは第三者の僕でも分かるし、

 客観的な立場にいるから分かり得ることだ。


 その相手の男性は、彼女が初恋なんだろうか、

 彼女の話からすると、

 そう思わせてしまうほどに純情なようだ。

 由野さんはひたすらに

 方策を考えていたようだけれど、

 放り出したように彼女に訊いた。



「前回来店されてから、

 彼に関わることを話していただいてもいいですか?」



 まずは、情報量を増やしていくのかな。

 彼女は別段不思議がることもなく、

 事細かく出来事を語ってくれた。



「あれから彼は私を食事に誘ってくれたり、

 おすすめの料理を教えてくれたりしました。

 少しずつ過食はマシになりましたが、

 その反動で今度は定期的に拒食気味に

 なり始めた私を心配して彼は、

 お弁当をつくってきてくれたんです。


 そして、一緒にご飯を食べながら、

 他愛もない世間話をや家族の話を聞かせてくれて、

 私を和ませてくれました。

 それに、彼のつくるお弁当はとても栄養価が高く、

 彩りも豊かで、出汁や醤油の効いた、

 さっぱりとして、ほのかに甘い、優しい味がしました。


 初めのうちは、

 あまりこってりしたものは食べられませんでしたが、

 少しずつ味の濃いものやこってりしたものも

 食べられるようになってきました。

 それから、気晴らしをしようと言って、

 ボウリングや映画にも誘われたりしました。


 彼と過ごす時間はとても心地好かったです。

 でも、告白をされて戸惑いました、

 彼に好かれる理由が分かりませんから。

 私は彼に頼ってばかりで何もできないうえに、

 迷惑ばかりかけているのも申し訳ないのに、

 どうしようもなくて、情けないです」



 か、可哀想だ相手の男性。

 さっき、ストーカーチックだとか言って、

 すみませんと思うほどに彼はひたむきだった。

 そんなに甲斐甲斐しく世話したり、

 アプローチしているのに、

 その好意に気づかれていなかったなんて、

 ご愁傷様としか言い様がない。


 でも、彼女の口振りから察するには、

 その努力自体は彼女の心に

 響いていると見受けられる。


 色々深く掘り下げてみたい箇所はあるけれど、

 それらを抑えて、この言葉だけを彼女に宛てた。



「彼のことが好きですか?」



 ゆっくりと唾を飲み込むように、彼女は答える。



「…………はい……好き、です」



 また彼女は深く深呼吸をして次の言葉を準備する。



「彼が、彼のことが好きです」



 すっと見上げた彼女の瞳には強い意思が現れていた。

 由野さんはそんな彼女の背中を押すべく、

 勇気を必要とする提案を彼女に持ちかける。



「そ、れは」



 彼女の後ろ向きな言葉を封じるように、

 由野さんはその続きを言わせない。

 また、あるヒントを与える。

 あれーおかしいな、

 僕のときよりも随分サービスが

 いいような気がするんだけれども。


 女性に対しての方が優しい。少しだけ、嫉妬感。



「大人になると、

 好きという気持ちだけでは行動できませんよね。

 でも、彼にそれらを話して、

 一条さんをまるごと受け入れるとしてくれたら、

 大人も納得する打算的な理由にもなりませんか。

 あなたのことが好きで、寛容で、優しくて、

 面倒見がよい彼なら、

 あなただって彼を受け止められませんかねー」



 由野さんは彼女を甜言蜜語のような言葉で、攻め倒す。

 ある意味、言及している。

 由野さんは少し意地悪っぽく、

 けれど一つの道標を与えて。



「でも、」



 またもや、彼女の負の言葉を制する。



「あなたの好きなものはなんですか。

 それがあなたの願いを叶える鍵となるでしょう」



 彼女の目から不安の色が消えて、

 清々しい色が射していた。



「はい、話してみます。 

 それでダメなら、それまでですからね」



 そして、決して商売も忘れないのが由野さんだ。



「ところで、飲み物でも飲んでいかれませんか?

 どうぞ、メニュー表です」



 彼女はメニュー表を快く受け取り、

 ドリンクのページを開くと、

 大した時間をとることもなく、注文する。



「ラズベリーと

 甘夏蜜柑のスムージーお願いします」



 由野さんは爽やかな笑顔を見せ、

 颯爽と厨房に消えていった。

 それから五分と経たないうちに、

 由野さんは涼しげなグラスを手に、

 フロアに戻ってきた。


 美味しそうだ。



「いただきます」



 キラキラした眼差しでスムージーを見つめ、合掌すると、

 それに刺さったストローに口を付けて、一言。



「んー、美味しい!」



 女性は、やっぱり笑っている方が綺麗で、いいな。

 特に、美味しいものを食べて、笑うところはツボだ。



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