ふたりきりのトクベツじかん


 彼女はすっきりした顔で

 店を後にしたはずだった。

 だから、次に彼女が

 店を訪れるときは嬉しい報告か何かだと、

 僕は勝手に思い込んでいたんだ。



 それから五、六日後は店が盆休みだった。

 仕事、商売熱心な由野さんが決めた、

 数少ない定休日だ。


 それ以外の休みは週に一回のペースで

 火曜日か木曜日辺りに店を閉めているが、

 それは食材の仕入れやストックを

 用意しておく為の閉店日なだけであって、

 由野さんの休みではない。

 本当の休みだとしても、

 半日などといった、

 丸一日の休みではないんだ。


 仕事馬鹿とも言える由野さんが盆休みとして、

 店の定休日に設定している訳とはなんだろう。

 帰省するか、それとも、

 誰か親しい人が亡くなったとか、

 そういうことなのかな。


 まあ何にしても、

 僕にそれを追究する権利なんて

 持ち合わせていないんだけれども。

 誰にだって知られたくない過去や、 

 思い出したくない

 黒歴史なんかがあったとしても

 何一つ不思議なことはない。


 実際、僕にも

 触れられたくない過去はあるから。

 それを知ることで、お互いが傷つく真実なら、

 僕はそれに蓋をしておきたいと思う。

 知るべき過去があるなら、

 知らなくていい過去だってあるはずだ。



 プライベートな話には干渉しなければいい、

 哀しい話なんてもう沢山だ。



 十四日の日曜日、

 由野さんから呼び出された。


 それは初めての由野さんからメール。



「今夜、時間はあるか? 

 あれば八時頃、店に来てくれ」



 メールの文面的に、

 バイトに入ってほしい

 というわけでもなさそうだ。


 何より、八時からだと

 僕は最高でも二時間しか働けない。



 いつもと変わらぬ命令口調、

 それなのに何か違うと感じてしまう。

 どうしてだか、

「来てくれ」の文字が

「来てほしい」の意味に思えて仕方なかった。


 いつもながら分かりにくい

 彼女の言葉に翻弄されながらも、

 結局僕は店に向けて

 自転車を走らせてしまった。

 由野さんがそこでずっと

 待っているような気がして、放っておけなかった。

 用件の内容も分からないのに、

 迂闊だとは思うけれど、

 どうしても由野さんには

 そうせざるを得なかったんだ。



 たまに見せる、

 遠くを見据えるような切ない横顔が、

 いたく儚げに映って見えたから。

 僕は由野さんを放ってはおけないのだろう。


 店の目前までたどり着くと、

 店先で立ったまま待っている

 由野さんの姿が見えた。

 僕は急いで自転車を軒下に停め、

 彼女の元へ駆け寄る。



「由野さん、お待たせしました!」



 息を切らしたまま、慌ててそう言う僕に

 彼女は落ち着いた様子で僕に言葉を掛ける。



「別にそこまで待ってないよ。

 それに、急に呼び出したのはこっちだからな、

 遅くなったとしても怒ることはないさ」



 ふと、彼女を見上げてみると、

 今日はえらく女性らしい格好をしていた。

 白地に淡い青色をした

 菊柄の女性用の浴衣が、

 儚げな彼女にはとてもよく似合っていた。

 ウィッグの下に隠れた長い髪を束ね、

 それをかんざしで留めている。

 そのせいか、首もとの襟足が強調されて、

 妙に艶っぽく見えた。



 いつもの格好とのギャップで、

 彼女に見とれていると、何かを差し出される。



「君もこれに着替えてくれ。着方は分かるか?」



 それは男性用の浴衣だった。 


 なぜ、由野さんが……もしかして、男装用に?


 色々と妄想しながらも

 そんなことは訊けるはずもなく、

 訊かれたことに答えるだけだ。



「はい、なんとなくなら分かると思います。

 そんなに綺麗には、

 着られないと思いますけれど、

 それでもいいですか?」


「ああ、それでいい。

 別にかしこまったことをするわけではないから、

 大体で構わない。

 雰囲気を出す為に必要だと思っただけだ」



 その言葉にふと疑問を感じたけれど、

 それについて考える暇もなく、

 彼女に店の奥の小部屋に押し込まれてしまう。


 さっさと着替えよう、そういや、

 由野さんから誘われたことなんてあるだろうか、

 いや、ない。

 断られた経験ならあるけれども。



 適当に浴衣を身に纏い、

 扉を開けると彼女がそこで待ってくれていた。



「さあ、こっちだ」



 彼女はそう言って、僕の手を強引に引き、

 店の奥へと歩みを進める。

 一番奥の扉を開くと、店の外へ出てしまった。


 けれど、そこにはまた一つ建物があったんだ。


 彼女はなおも僕の手を掴んだままで、

 さらに足を進めた。



「これだよ」



 彼女が指さす方へ目を遣ると、

 水の入ったバケツと

 長方形のナイロンの包みがあった。


 確認するように、彼女の顔を見てみる。



「花火をしよう」




 彼女はそう言うと、

 言い訳のように理由を説明し始める。



「以前、君の誘いを断ってしまっただろう。

 あのときは安易に断ってしまったが、

 今にして思えば、

 あれは私に休めという

 君からの粋な計らいだったのに、

 気づけなかった。


 かと言って、そんなに

 長時間休みを取れる暇はあまりないし、

 今日は定休日だから余裕があると思ったんだ。

 どうせなら、花火をやり直そうと思って、

 君を誘ってみたんだ。


 誘うタイミングが掴めず、

 急になってしまったが、迷惑ではなかったか?」



 そんなはっきりと

 由野さんの為に誘ったと言われてしまうと、

 心苦しい。

 あんなにも、誰かの為なら、

 しっかりとした対応がとれるのに、

 自分のこととなると

 急に弱気で分かりづらくなる。


 普段の僕に対する少し横柄な態度は、

 素の自分と

 バランスをとるためだったのかな。



「大丈夫です、暇だったんで。

 いやー、手持ち花火なんて、久しぶりですよ。

 せっかくだから、目一杯楽しみましょう!」


「ああ、そうだな」



 彼女はほっとしたように、

 穏やかな微笑みを浮かべる。


 無防備な笑みは僕の心を動揺させた。

 由野さんって、こんな表情もできたんだ、

 と失礼な気持ちを抱きながら。


 同封されていた蝋燭に火をつけ、

 僕らは花火を始める。

 ゴウゴウ、シュウシュウと煙を発生させて、

 眩い光で宵の空間を灯す。

 と、じっくりと花火を観賞して

 楽しむ僕とは相反して、

 由野さんは花火を二個持ちして交差させたり、

 手元で踊らせたりして

 子どものように無邪気に遊んでいた。


 大人の彼女の方が自由気ままに遊んでいて、

 僕よりずっと子どもみたいだ。

 しかし、それは普段の仕事詰めな生活に対して、

 至極当たり前なことなんだろう。


 過密なスケジュールな中の、

 僕と花火をするほんのひととき。


 彼女にとって、

 それは安らぎや癒しになるんだろうか。

 手元の花火よりも

 花火ではしゃぐ彼女を見つめては、

 途方もないことを考えていた。



 彼女が用意した花火も残り僅かになり、

 彼女はようやく僕の方を向いた。


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