薄幸の彼女(4)

「由野さん、さっきの種って

 どちらも同じもものですよね?」



 やれやれといったように

 彼女は真相を教えてくれた。



「全く、よく気がついたものだな。

 そうだよ、あれはどちらも同じ双子種で、

 自己愛と受容の種だ」


「いつもなら自分で考えることが

 大事だとか言ってるのに、

 今回はえらく干渉しますね」



 すると、由野さんは

 いたく真剣な表情でそれに答える。



「今回の場合はね、

 一つでも選択を誤ると

 多大な影響を与えてしまうんだ。

 それに、自分で選んだと

 思うことが重要なんだ、彼女についてはね。


 彼女の病を治すには、

 もっと別のアプローチが必要でな、

 私はその手助けをしようと思っているんだ。

 周囲の存在に気づくべきなんだよ、彼女は」



 何か具体的なことに対して

 言っているような物言いだった。

 それはいずれ知ることになるんだろう、

 きっと訊いたって教えてくれはしないのだから、

 訊かずに待っておくとしよう。



 それから三日後、

 彼女はやや興奮した様子で店を訪れた。


 彼女は誰かに話したくて

 仕方がなかったようで、

 由野さんが「どうかしましたか」と声をかけると、

 食らいつくように話し始めたのだった。



 ――種に水をあげたら、翌日には芽が出ていて。


 少し軽やかな気持ちで出社しました。

 でも、また過食になってしまうのが怖くて、

 昼食をとることを躊躇していたんです。


 そうしたら、

 会社の同僚の男性から声をかけられました。



『昼食はとらないのか』



 そう言ってくれて。


 私は食欲がないからと、

 意地を張ってしまったんですが、

 そのときにお腹の音が鳴りました。



『ダイエットしたいのかもしれないが、

 飯はちゃんととらないと体を壊すし、

 すぐに痩せるわけでもない。

 それに、

 また会社で倒れられでもしたら迷惑だ』



 なんて言われて、心配されているのか、

 ただ貶されているだけなのか分からなくて、

 最初はとても腹が立ちました。

 すごく、理論的でそこには

 彼の気持ちがないように感じて、

 空しく思ったんです。


 でも、彼は続けてこうも言いました。



『今から食欲が湧く店に

 連れて行ってやるから、ちゃんと食べろ』



 そう言ってくれて、

 彼は不器用だけど私のことを本当に

 心配してくれているんだなって思えました。


 その後、彼は私の腕を引くようにして、

 お店に連れて行ってくれたんです。

 その店に着くと、

 健康定食みたいなものが出てきました。

 それは出汁の利いた優しい味付けのものばかりで、

 心が暖まるような料理でした。


 由野さんがつくったものは

 優しい料理だとするなら、

 その店の料理は実家のお母さんが

 つくってくれたような暖かさでした。


 普通に食べ切れましたし、

 その後吐いたりすることもなかったんです。

 勿論、この店で食事をした後も

 吐いてはいないんですが、

 それ以外の自分で食事をしたときは

 いくらか吐き戻してしまいました。


 こんな風に心配してもらえたのは

 家族や由野さんたち以外に初めてで、

 それが何より嬉しかったんだと思います。


 私のことを他にも気にかけてくれる人がいると

 思えただけでとても気が楽になりました。



 女性は感情的に会話をし、

 男性は理論的に会話をするという話を

 何かで耳にしたことがある。


 これはその典型例だろう。

 主観的な説明で時折、

 自身の受けた感情について丁寧に説明している。

 これは最早、説明というよりも

 物語ると言った方が正しそうだ。

 物語なら、淡々と事実を説明するよりも、

 主観的な感想を挿入した一人語りが合っている。


 なんて、関係ない話はどうでもよく、

 まあ僕の雑念とでも言えばいいだろう。



 それに対して由野さんは、

 日頃から真摯な対応を

 心がけているだけあって、

 柔和な態度でなおかつ、

 彼女に追加情報を求めていた。



「それはいい傾向ですね。

 あとは、ストレスの

 捌け口があればいいんですが」



 由野さんのあっさりしたサラダに対して、

 彼女は豚骨ラーメンヤサイ

 マシニンニクカラメで返答する。



「あの、それでですね。

 私、由野さんのアドバイスを受けてから、

 彼に摂食障害のことを

 それとなく相談してみました。そうしたら、



『つまり、ストレスのせいで、やけ食いしたり、

 食欲不振になったりしたってことか』



 正確には違いますが、

 そこまで詳しいことを話すわけにもいかないので、

 私は頷きました。


 すると彼はとても

 優しい言葉をかけてくれたんです。



『それなら、そこまで自分を追い詰める前に、

 これからは俺に相談しろ。

 倒れられるよりずっといい』



 なんだかんだ言って、

 私の面倒を見ようとしてくれる

 彼は照れ屋なだけで、

 優しい人だと気づかされました。


 それでも、私は

 昔から人に甘えるのが苦手でした。

 迷惑だと思って答えを渋っている私に、

 痺れを切らした

 彼がこう断言してくれたんです。



『お前の食生活が改善されるまで付き合ってやる。

 強制はしないが、

 お前の健康状態がよくないのは

 いつも見てるから分かる。

 辛いなら早いうちに頼れよ』



 上からな物言いなはずなのに、

 さらっと私のことを

 気にかけてくれていたこととか

 言われたことのせいで、

 すごく温かい言葉に聞こえました。


 他の誰でもなく、しっかり、

 私だけに向けられた言葉でした。



 それに、普段、

 他人に干渉なんてあまりしないはずの彼が、

 そこまでしてくれるのが

 嬉しくて頷きました。



『うん。じゃあ、お願いするね……』



 彼はふっと笑って、

 自然体でこう言いました。



『頼られるのって、案外嬉しいな』



 そう言っていたときの彼はまるで、

 いつもと別人のように爽やかでした」



 これに対して由野さんは、

 少しずつ話を進めていこうと話題の転換を試みる。


 それにしても、

 今の話を真剣に聴いていられるなんて、

 由野さんは本当にすごいと思う。

 前話していた、心理学のことと、 

 何か関係あるんだろうか。



「心配してくれて、

 頼れる人がいるというのはいいことですね。

 少しずつでいいので、気を許したり、

 甘えてみてもいいのではないでしょうか」



 由野さんの提案を

 彼女は受け入れる姿勢を見せた。



「そう、ですね。

 これからは他人に

 甘えるということもしてみようと思います」



 由野さんは三日前と同じように、

 彼女にこう問う。



「ところで夕食はもうお済みでしょうか? 

 もしお済みでないなら、

 ここで夕食を召し上がって行かれませんか?

 本日のおすすめは鶏釜飯定食ですよ」



 ここからはもう相変わらず

 なやりとりで、彼女は頷くんだ。



「はい、お願いします」



 本日のおすすめの、鶏釜飯定食は、

 鶏釜飯、野菜たっぷりのスープ、

 鶏肉のオーブン焼きだ。


 鶏釜飯はいくつか作り置きしておいたものを

 温めなおし、スープも同様、

 鶏肉のオーブン焼きは蜂蜜やスパイス、

 醤油などで漬け込んで、

 注文されてから焼き上げる。


 その為、先に

 釜飯とスープだけを提供してしまう。

 そうすることで、

 待ち時間を抑えることができるんだとか。

 それに、出来立てのものの方が香りも際立って、

 美味しいに決まっている。



「ん、美味しい……」



 ほっこりと頬が緩んでいるのが

 すぐに見て分かる。


 美味しく感じるその味覚も、

 自分自身の感情と関連しているという。

 心が暖かいときはいつもよりも

 食べ物を美味しく感じられて、

 辛いことがあったときは

 食べ物の美味しさが身に沁みる。


 さらに、食べ物を食べ過ぎたり、

 そのせいであまり食べられなかったりしたり、

 断食していた後には、

 ご飯の美味しさが胸に染みる。



「……っ……ん」



 そのあまり、目を潤ませたり、

 泣いてしまうこともあるんだ。

 彼女の場合は、彼に話を聴いてもらい、

 さらにその話を僕らに

 聴いてもらうことで心が満たされたことと、

 摂食障害で「食べること」との

 距離を見失っていた為に、

 その感動は倍増してしまったんだろう。


 それから約二十分が経過し、

 由野さんが焼き立ての

 鶏肉を運んできたときには、

 彼女は夕日のような笑顔を浮かべていた。



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