薄幸の彼女(2)

 彼女は由野さんの不思議な提案に

 目を丸くしたものの、

 何か悟ったように話し始めたんだ。



「私は、今の自分が嫌いです。

 今日、仕事の途中に、

 貧血と栄養失調で倒れてしまいました。


 そんな自分に呆れていた帰り道、

 この悪天候で電車が

 止まってしまったので、暇つぶしも兼ねて、

 すぐ近くの喫茶店に入ろうとしたのですが、

 みんな考えることは同じなようで、

 込み合っていました。

 疲れていた私には却って

 ストレスが溜まりそうで、

 落ち着ける店にと思って、ここに着きました。

 ここは、外観からして

 落ち着いた雰囲気のある店で、

 騒々しくもなさそうだったので、

 入ってみたらら、

 本当にとてもいいお店でした」



 由野さんは彼女の話の中でも、

 ある点に狙いを定め、

 深く掘り下げさせていく。



「貧血と栄養失調で倒れたと、

 おっしゃっていましたが、

 その原因に心当たりはありますか?」



 彼女は、親身に話を聴いてくれるのが

 余程嬉しいのか、

 とても素直に答えた。



「はい、あります。

 恥ずかしながら、食生活がよくなくて。

 ダイエットを始めてから、

 あまり食事をとらなくなったんです。

 それを続けていたら胃が小さくなって、

 だんだん食べ物を食べるのも

 面倒になってきて、

 食べ物を受け付けなくなりました。


 そのせいで、倒れてしまうのに、 

 どうにもできない自分が嫌で、 

 変えたいんです」



 思ったより、深刻な悩みだったが、

 それに対して由野さんは意外な返答をした。



「無理に栄養補給をしようとせず、一度、

 好きなものだけでもいいから、

 一日に一回は

 何かを食べてみてはいかがですか?」



 彼女はその答えに納得したようで、

 電車が動き出すのをスマホで確認すると

 すぐに会計を済ませ、

 店を後にしたのだった。



「彼女は重度の拒食症だ。


 拒食症は精神的なものが関与しているだけに、

 治すには時間がかかる。

 すぐに解決するなんて思わない方がいい」



 安易な僕は、これで解決したかと思いきや、

 そう上手くはいかないもので、

 由野さんの言う通り、

 時間がかかりそうな案件のようだ。



 翌週の木曜日、バイト終わりに

 由野さんを花火大会に誘ってみた。

 しかしながら、

 予想通りの答えを返されてしまった。



「すまないが、私には店があるのでね。

 君は親しくなったとか言う、

 友人たちと楽しんでくるといい。

 ちゃんとシフトは

 開けておいてやるから、案ずるな」



 たまには由野さんも

 骨休めが必要だろうと思い、

 誘ってみたというのに、

 失敗に終わってしまった。


 まあ、ちょっとした下心がないでもないが。


 それにしても、彼女は仕事熱心すぎて、

 プライベートというものが

 あまりないように思う。

 どうしてそこまで根詰めて

 働くことに徹するんだろうか。


 お金の為というよりは、

 何かに対する執着が見え隠れしていた。



 結局花火大会は、鈴木や宮田を誘って、

 男三人で観に行った。

 むさ苦しくなりそうだったが、

 鈴木がとても意外な格好をしてきた為に、

 案外そうでもなかった。



 鈴木は、ミルクチョコレート色した

 ふわふわ猫毛の髪で、

 眼鏡を装着していなかった。


 それに、服装も「かこかわ」というやつで、

 可愛さをアピールしながら、

 格好良さも兼ね備えている、

 という反則的なスタイルだったんだ。

 端的に言うと、

 彼は美形男子だったということだ。

 その理由を訊いてみると、



「女子にモテて、嫌がらせとか、

 面倒な目に遭ったから、

 高校に入ったら

 地味な眼鏡くんになろうと思ってね。

 あ、眼鏡は伊達だよ。

 顔隠すのにちょうどいいからさ」



 だそうだ。

 イケメンにも苦労というものは付き物らしい。

 じゃあどうして

 その格好で来たのかを尋ねると、



「夜だったら分かりにくいし、

 あの格好で遊びに行くのはさすがにダサいから。

 それに、これなら男子三人でも

 むさ苦しくならないしね」



 妖しげな笑みを浮かべて、彼はそう言った。

 その直後、彼の言葉の意味を知ることになる。



「今から花火観に行くんですよね。

 よかったら一緒に観ませんか?」


「ねえ、お姉さんたちと一緒に

 どこか遊びに行かない?」



 彼がイケメンの素性を晒しているために、

 女性が次から次へと声をかけてくる。

 彼はそれを甘いマスクで

 上手くかわしていった。


 花火はもちろん綺麗だったが、

 周囲の視線が気になり、

 それどころではない部分もあった。


 イケメンの力って怖い。

 ついでに、その面に寄ってくる

 肉食女子も怖かった。

「系」なんていう可愛いものじゃない。

 あれは、

 獲物を狩るときのハイエナの眼だ。



 二週間後、彼女は大きく変化を遂げ、

 再び店に救いを求めてやってきた。


 簡潔に言おう、彼女は太り、

 ややぽっちゃり体型に

 様変わりしていたんだ。


 この二週間で何があったのかと思えば、

 それは由野さんの

 アドバイスが与えた影響だった。


 彼女の話を要約すると、

 こういうことらしい。



 由野さんのアドバイスを受け、

 本当は大好きなケーキを口にし、

 それから、スナック菓子、

 脂っこいものにはまってしまう。


 そのせいで、高カロリーなうえに

 消化しにくいものばかりを摂取するようになり、

 短期間の間に太ってしまったそうだ。

 そのうえ、食べることが

 ストレス解消となってしまったので、

 拒食症が過食症に変わっただけだった。

 しかも、そのことを会社内で噂されており、

 それを耳にした彼女は焦って、

 この店を訪れたそうだ。


 つまりは、助けを求めてやってきた。

 由野さんの言う通りになってしまった。


 彼女は近況、最近の食生活などを話し、

 由野さんのアドバイスを欲する。

 由野さんは今までの話を鑑みて、

 摂食障害の原因は

 過去のトラウマにあるのではないかと推測した。



「あなたは、過去に

 トラウマになるような経験はありましたか?」



 そう問うと、彼女は驚嘆の音を漏らし、

 彼女の口から真実が告げられる。



「多分そうなんだと思います」



 という切り出しから始まり、

 彼女の小学生時代のことが語られた。


 ――それはまだ私が小学六年生だった頃、

 私は勉強ができて、

 食べることが生きがいだというくらい

 大好きな、ぽっちゃりした女の子だったんです。


 その頃の私は、自分のことが好きでした。


 体型は、身長百五十センチ程度で、

 五十キロ前後のぽっちゃり度合いです。

 BMI二十二を少し越すくらいなので、

 どちらかというと

 健康体という領域を出ませんでした。



 私には好きな男の子がいました。

 クラスでは目立たない男の子だったけれど、

 いつも優しく接してくれて、

 庇ってくれていたから、

 彼に恋をするには十分な理由でした。


 バレンタインにお礼も兼ねて、気持ちを伝える為、

 チョコレートを手作りしました。

 誰にも見つからないよう、

 こっそり渡すつもりだったのに、

 それをいつもいじめてくる

 男子たちが見つけてしまって、取り上げられました。

 そのうえ、普段からよく

 彼が庇ってくれていたこともあって、

 彼に渡すものだと知られてしまいました。


 そのせいで、標的は私から彼へと移り変わり、

 男子たちは彼をからかい始めました。


 男子たちがしつこくて、

 我慢の限界に達しただけなんだと思いますが、

 彼はこう言い放ちました。



「うるさいな、

 一条のことなんかすきじゃない」



 そう断言されました。

 男子たちがやーい振られた、

 振られたとからかってくる言葉よりも、

 彼の言葉だけが胸に突き刺さりました。


 そのことをきっかけに、

 彼は私と口も利いてくれなくなりました。

 私にとっての、

 唯一の支えだった彼は

 私から離れていってしまい、

 張りつめていた理性の糸がプツン、

 と切れてしまったんだと思います。



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