第三種「受容の種」ー自分を受け容れるー

薄幸の彼女


 この頃、梅雨でもないのに

 一週間ほど雨が降り続いている。

 七月の下旬にもなってまで、

 梅雨というのはあまり好ましくない。

 せめて、今週末までに

 雨が止んでほしいと願っている。


 そこまで、

 雨が嫌いというわけでなくとも、

 長期の雨は人を不快にさせるものだ。

 この悪天候のせいか、

 彼女もご機嫌斜めだった。



「なあ佐藤。

 雨の日は、雨宿りに喫茶店なんかに

 寄るものじゃないのか」


「突然の雨ならそうですけど、

 こうも降り続いているんじゃ、

 傘は持ってるでしょうし、

 必要に駆られない限り、

 わざわざ外出する気にはなりませんよ」



 苦笑気味に僕が答えると、

 彼女は一層、不機嫌になり、

 ぶつくさと文句を言い始めた。



「雨なんて、嫌いだ。

 湿気で髪がべたつくし、

 買い物も億劫になるし……」



 客足も途絶えた五時過ぎでは、

 憂鬱になってしまう

 気持ちも分からなくはない。


 しかし、そろそろ

 準備時間も終了してしまう頃だ、

 彼女のエンジンをかけなくてはいけない。



「夜になったら、客足も増えるでしょうし、

 準備時間も終わりますよ。

 そろそろ準備にかかりませんか?」 



 すると彼女は、

 はっとしたように厨房へと駆けていった。


 僕はというと、

 バイトに来る度の仕事始めを行っている。

 心の種の世話だ。



 種の世話と言っても、

 この店で育てている種には大きく分けて、

 二つ種類がある。



 一つは、ものが生る「樹」、

 もう一つは、何も芽生えてこない「種」だ。


 そして、さらに部類分けして、

「心の種の生る樹」「心の実の生る樹」、

 最後の一つだけは不明で、

 彼女も僕も「種」と呼んでいる。


 いつしか、芽生えることを祈って、

 そう呼び始めたらしい。



 樹と種の世話は、水やりと、

 たまに専用の肥料を与えることだ。

 水やり自体は、そこまで重要ではないらしく、

「真心込めて世話をする」

 という行為自体に意味があるとか。

 店で出しているスイーツに使われているのも、

 これからできた果実などを使っている。


 定期的に生産するためにも、

 僕にこの仕事を任せたようだ。

 それこそ、彼女曰く、


「君のように素直で純朴な少年が育てた方が、

 樹も健やかに育つだろう。

 それに、客にもその方がウケがいい」


 というやつである。



 僕はその言葉を褒め言葉として

 受け取っておくことにした。

 そう捉える方が世話も楽しくなる。



 その他の仕事は、店の内外問わず掃除、

 皿洗い、食材などのストックの点検、

 接客、レジ打ち、後片付け、

 たまに買い出しが仕事となるらしい。

 まだ今は働き始めたばかりで、

 主な仕事は、樹と種の世話、掃除、

 皿洗い、簡単な接客と後片付けだ。


 あれ、意外とできることが多かった。

 時間が余ると、

 あらゆる場所の掃除をさせられるため、

 閑古鳥が鳴く状態だけは極力回避したいものだ。



 彼女の夜用の仕込みが終わり、

 僕も掃除が一段落して一息ついていると、

 しとしとと、穏やかに降り続いていた雨が、

 いつしか、窓を叩くような強い雨に変わっていて、

 空模様は鬱を彷彿させた。



「この雨じゃ、電車も止まってそうですね。

 僕、帰られるかな」


「すまないが、私には店があるのでな。 

 雨が止むことを祈ってるよ」



 そうした会話をしていると、

 カラリ、と店の扉の開く音が聞こえた。


 咄嗟に振り返り、挨拶のように、

 その言葉を口にする。



「いらっしゃいませ」



 十五度程度のお辞儀で、

 僕は彼女を迎えた。



「いらっしゃいませ。

 お席は、カウンターとテーブル、

 どちらになさいますか?」



 雨でうだっていた彼女は、

 瞬時に営業スマイルに切り替え、

 そつなく接客をこなす。

 本当に、切り替えが早いな、この人。



「カウンターで、お願いします」



 この雨のせいか、この女性も

 さっきの由野さんのように元気がなく、

 萎れた花のような印象を受けた。

 まるで生気が失われていたからだ。


 うだるような蒸し暑さに、

 由野さんは彼女にあの日と同じく、

 マスカットティーを差し出した。



「どうぞ。

 すっきりした甘さで飲みやすいですよ」



 彼女は小さく頷き、ちびちびと飲んでいく。

 どうやら、食事目的で

 この店に立ち寄ったわけではなさそうだ。

 深く腰掛けられた椅子からして、

 長居目的だろう。

 さしずめ、電車の運行休止の

 待ち時間の暇潰しと思われる。


 よく見てみると、

 彼女は肌の色が透き通るように青白く、

 やけにほっそりした体格で、頬は痩けている。

 ストレス性のものか、

 生活習慣によるものかは判別つかないが、

 あまり健康体とは言えない。


 由野さんも似たようなことを考えていたのか、

 彼女に声をかけた。



「よろしければ、お食事はいかがですか?

 食欲がなければ、

 サラダや雑炊などもおつくりしますが、

 どうでしょう」



 彼女は考えた末、

 食事をとることにしたようだ。



「じゃあ、雑炊をお願いします」



 相変わらず、力なく、

 細々と、芯のない声でそう言った。



「では、トマトと

 玉葱の雑炊でよろしいですか?」


「はい」



 彼女は由野さんと会話する度に、

 声が小さくなっていった。


 疲れているときに由野さんを見ると、

 格好いいと思う反面、

 眩しく感じてしまうのかもしれない。



 それから十分ほど経つと、

 由野さんが一人用の土鍋を持って、やってきた。


 この短時間だから、

 炊いた米を煮たんだろう。

 それでも、出汁のいい匂いが漂っている。

 食欲がないときには、

 出汁を使った料理は持ってこいだ。

 疲れているときにこそ、

 出汁は身体によく沁みる。


 熱々の雑炊を前に

 彼女は律儀に手を合わせて、

 いただきますと言った。


 そして、レンゲを手に取り、息を吹きかけ、

 それを口に放り込む。

 口をパクパクさせて、熱を追い払うと、

 また、小声でこう言った。



「美味しい」



 由野さん特製の雑炊で、

 心まで暖まった彼女は気が楽になったのか、

 僕らに話しかけてくれた。



「電車が、運行休止になってしまったので、

 それまで時間を潰そうと思って、

 ここに入りました。

 ここで

 待たせてもらってもいいですか?」



 ここで由野さんは優しい声で、

 彼女に囁くように、提案をする。

 それはもう、催眠術の如く。



「それでは暇つぶしも兼ねて、

 日常生活のストレスや

 愚痴を吐き出してしまうのは

 いかがですか?」



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