好きなひとと変化(2)

 夏休みが終わり、

 秋も色づき始めた十月十五日の土曜日に、

 彼は再び店に姿を現した。


 と言っても、

 これは僕が彼と久しく

 会っていないことを指すだけで、

 彼自身は週に一度か二度程度は、

 この店に足を運んでいるらしいが。



「こんばんは。君とは、久しぶりだね」



 どことなく、

 デジャブのような気がしたが、

 実際に同じ会話をしたのを思い出す。



「いらっしゃいませ、お久しぶりです氷川さん。

 あれからどうで……いえ、

 その鉢を見れば、一目瞭然ですね」



 二ヶ月前、彼がこの店に

 足を運んだときに見せてくれた鉢植えには、

 二つの小さな花が咲いていた。

 今は、それが果実になっている。

 甘く熟していそうな桃だ。

 種がこれだけ育っているだけあって、

 彼の心も、

 恋もそのような結果なんだろう。


 彼は白桃の赤みと同じような顔をして、

 結果を報せてくれた。



「そうですね。

 でも、あれから好きな人に告白して、

 一度振られました。

 それから、最後と思って、

 もう一度告白しました。

 そうしたら、

 考える為に二週間待ってと言われ、

 約束通りのその二週間後に、

 告白を受け入れてもらえました」



 一度振られたのに、告白するのもすごいが、

 それを受け入れた相手も大概だ。


 気になりながらも

 掘り下げた質問ができずにいると、

 彼女が問いかけた。



「よければ、どんな告白をしたのか

 伺ってもよろしいですか?」



 生き生きと彼は答える。



「はい。


『灯さんが好きです。

 結婚を前提に

 お付き合いしてください』です」



 彼は、はにかみながらそう言った。

 僕は告白の言葉に驚愕した。


 付き合ってもいない人にする

 告白にしては甚だ重いものだ。

 それは相手も悩むだろう。

 しかし、告白を受け入れてくれたということは、

 相手の方にもそれなりに好意があり、

 プロポーズを持ち出すような

 度胸に惚れたのかもしれない。

 はたまた、一度目に告白されて、

 断ってから彼のことが気になり始めた頃に、

 二度目の告白をされたことだってあり得る。

 それはその人のみぞ知ることだ。


 ただ、それ以上に

 相手の名前を聞いた途端に、

 強い衝撃を受けた。



 彼女はククッと意味深な笑みを漏らすと、

 彼にこう言う。



「では、実を一つ、頂戴しますね」



 実をもぎ取り、その表面をそっと撫でる。

 そして、その実から

 光り輝く何かを取り出し、

 それを液体の入った小瓶に詰めた。


 彼女はそのことを口にしなかった。

 また、知るときがあるんだろう。

 なら、僕も黙っていることにする。

 そう遠くないうちに、

 彼はそれに気づくだろうから。



「もう一つの実はどうなさいますか?

 自分をよく知るにはいい果実ですよ」


「調理のサービスをお願いします」



 彼女は、彼の果実を用いて

 白桃のコンポートをつくった。

 彼はそれを口にして、静かに呟く。



「表現力を得るには、

 自分自身を理解することと、

 自分の考えを深めることが

 必要だったんですね」



 じっくりと味わうように

 それを完食した彼は

 また彼女に感謝の言葉を連ねる。


 淡々と僕は一人語りをしているが、

 感情的な言葉を口にしよう。

 とても美味しそうだなぁ、

 白桃のコンポート。

 非常に食べたくて堪らない。

 今度、祖父母の家から

 送られてきた栗を貢いで、

 つくってもらうとしよう。


 と、一人で勝手に

 妄想を繰り広げている間に、

 彼は感銘を受けていた。

 一人だけ、この場に

 相応しくないように思えてならない。



「ありがとうございます、

 自分のことを知られてよかったです。

 今まで以上に自分のことが

 好きになれました。

 あと、もう一つ、

 お願いがあるのですが……」



 頼み事をしようとする彼に、

 彼女は優しく受け応える。



「どうぞ、おっしゃってください」



 彼は怖ず怖ずと、

 単語をいくつかに分けて、

 お願い事というのを話し始めた。



「初デートに、

 ここで食事をしたいのですが、

 一週間後の夜七時に予約できますか?」



 渋っていた割には、

 えらく具体的なお願いだ。

 何だかんだ言って、

 快諾してもらえることに

 気づいていたように聞こえる。

 勿論、その勘は正しい。



「勿論ですよ。

 お値段は三千円程度の、

 おまかせコースでよろしいですか?」


 

 そしてまた、

 彼女もサクサクと話を進めていく。



「はい、大丈夫です」


「かしこまりました。

 二名様、一週間後の

 夜七時にお待ちしております」



 初デートにここを選ぶなんて、

 余程この店を気に入ったのだろう。

 あるいは、

 それだけ彼女に感謝していると言える。

 彼女はあっさり予約を承諾してしまったが、

 準備はどうするつもりなんだろうか。


 初デートの、ディナーコースだ、

 彼女なら、とことんこだわりそうに思う。

 それを一人で請け負うのは、

 少々辛い気がするが……



「佐藤、予定は開いているな。

 シフトを入れておくが、問題ないな?」


「了解です」



 この有無を言わせない眼光の鋭さと口調は、

 相変わらずだ。

 多分、そうだと思いましたよ。

 この状況だし、彼の恋の成り行きも

 気になるから承諾したんだ。

 そう自分に言い聞かせることで、

 自分の中の社畜性に蓋をした。

 しかし、それで喜ぶ人がいるなら、

 悪くないだろう。



「ありがとうございます。じゃあ、また来週に」


「はい、お待ちしております」



 僕も彼に釣られて、返事した。

 そうして彼は店を去っていった。


 それからの一週間は川のように流れた。

 彼らの初デートに華を添える為、

 また、思い出となる

 二人のイベントを彩るために色々研究を重ねた。


 由野さんが彼から聞いた話などを元に、

 料理の案を出し、試作もした。

 因みにそれは賄いとして、

 美味しくいただきました。



 そして一週間後、彼らは七時少し前に、

 この店を訪れた。

 僕はその二時間前の五時に準備を始めていた。


 今日は由野さんの

 粋な計らいで貸し切りにするらしい。

 しかも、今夜を試験として、

 今後のコース予約や貸し切りの

 参考にするというのだから、

 やっぱり彼女はちゃっかりしている。


 照明は渋いオレンジ色で、

 必要最低限度まで照明の数を減らした。

 ロマンチックな雰囲気を

 演出するためだと彼女は言っていたが、

 そういうもので気持ちが

 盛り上がったりするんだろか。


 僕の考えは余所に、

 彼らは初々しい雰囲気を醸しながら、

 ゆっくりと席に着く。

 その所作はどれもがぎこちなく、もどかしい。

 彼らの緊張を壊すように、

 由野さんは声を掛ける。



「それでは、順に料理を

 お運びしてもよろしいでしょうか?」



 緊張のせいか、言葉もなく頷く彼。

 この料理を目にすれば、

 きっと話さずにはいられなくなるだろう。

 思った通り、彼らは料理を見るなり、

 言葉を交わし始めた。

 彼女の料理を口にすると、

 二人とも甘い笑顔を浮かべていた。


 最後の料理になり、

 僕はやや緊張気味に

 それを席へと運ぶ。



「お待たせ致しました、食後のスイーツの、

 苺と白桃のタルトになります。

 ごゆっくり、お召し上がりください」



 彼らは目を丸くして、それを見つめた。

 そして、お互いの顔を見合わせて笑い、

 それを口に含んだ。

 彼女さんが至福の表情を浮かべ、

 彼がそれを嬉しそうに見つめながら、

 タルトを頬張っていた。


 不意に、二人の身体から光が放たれ、

 光の球がふわふわと宙を泳ぎ、

 由野さんの手元に着地する。



「不思議なこともあるものだな」



 と、伏し目がちに、ぼそりと呟いて。

 彼女はそれをどこから取り出したのか、

 見覚えのある小瓶に詰め込んだ。

 そして小瓶を光に透かしては、

 それを愛おしそうに、

 けれど、切なげに眺めていた。


 彼らも僕も、きっと、彼女でさえも、

 気づかぬうちに、それは芽を咲かせた。

 長年くすぶらせてきた思いのように、

 この店の隅で、ひっそりと、

 命を芽吹かせていたんだ。


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