好きなひとと変化

 あれから一ヶ月が経ち、

 今日は八月十五日、終戦日だ。


 何もこんな日まで

 働くことはないと思うのだが、彼女曰く、


「こんな日だからこそ営業するんだ。

 今日はお盆の最終日で外食で

 済ませようという人が多いからな。

 書き入れ時だよ」


 らしい。


 因みに、僕の親戚回りは

 初日と二日目で済ませてしまい、

 家族からしっかり稼いでこいと

 了承を得てしまった。

 そういうわけで今日は、

 十時から一時までと五時から八時までの

 ダブルシフトだ。


 そろそろ客足が伸びそうな十二時前、

 という頃に、カラリ、扉の開く音がして、

 僕は構える。

 すると、彼が現れた、

 その手に見覚えのある鉢植えを抱えて。



「こんにちは。君は、久しぶりだね」


「はい、お久しぶりです。いらっしゃいませ」


「こんにちは、氷川さん」



 彼女は

 健やかな笑顔で彼を迎え入れた。


 どことなく、

 彼に受ける印象が変わったように思える。

 彼女の言葉で初めて知ったが、

 彼の名前は氷川というらしい。



「氷川さん、雰囲気が変わりましたね。

 何か、

 心境の変化でもありましたか?」



 柔和な態度で彼女は彼に問いかける。

 彼も、それを嬉々とした表情で答えた。



「最近よく、そう言われます。

 俺、好きな人ができたんです!」



 一人称が僕から俺に変わっている。

 これも種が為す、心境の変化だろうか。


 それとも元々は

 こういう一人称だったんだろうか。

 少なくとも、

 自分に自信を持てたようでよかった。


 以前、来店したときの彼は、

 否定され、傷つけられた直後だったからか、

 どこか軟弱な印象を抱かされたけれど、

 今日は清々しい雰囲気を身に纏っている。



「そうでしたか、おめでとうございます。

 好きな人ができてからどうですか、

 自分自身で

 何か変わったと思うことはありますか?」



 活発にはきはきと、彼は語り始めた。



「はい。その人を好きになってから、

 相手の話に親身になれるようになりました。

 また、好かれたくて

 見栄を張ったりすることも、

 その人だけ特別扱いして

 しまいたくなるような気持ちも、

 その人のことを考えるだけで

 胸がいっぱいになったり、

 思わず嬉しくなってしまう気持ちさえも。

 分かってしまうんです。


 自分の心に花が咲いたみたいに、

 日々が彩られたものに変わりました」



 以前も俯いていたわけではないけれど、

 前を向いていなかったその彼は、

 しっかり背筋を張り、前を向いて、

 相手の目を捉えながら会話をしている。


 そして、彼が持つ鉢には、

 小さな花が二つ咲いていた。



「氷川さんは、幸せですか?」



 ふと、口を吐いて出た疑問だった。

 心の花の影響力が

 僕個人のものでないと信じたかった為に。



「はい、幸せです」



 言い切りの口調に

 変わっていることが何よりの証拠だろう。



「氷川さんが幸せで何よりです」



 ここを訪れた人が

 幸せになってくれるのは嬉しい。

 少しでも、誰かの

 役に立てたような気になれるから。



「ありがとうございます、また来ますね」



 それに、笑顔は気持ちを穏やかにし、

 またその笑顔を見るための

 原動力を生み出す力がある。


 次会うときには、

 彼の恋は成就しているだろうか。

 今の彼は素敵な人だから、

 誠心誠意を込めて、相手に想いを伝えたら、

 その恋は叶うように思う。


 単純だけど、相手の為に、

 由野さんの元で習い事まで始めたんだ、

 それも「好き」と自覚する前から。

 悪く言えば、重いけれども、

 純情でひたむきなんだ。


 彼が初めて好きになった人は

 きっと素敵な人なんだろう。


 その相手が氷川さんの想いを

 受け止めてくれるように祈ろう。



 また暫くの間、彼と会うことはなかった。

 しかしながら彼女は

 彼と会っているような様子だ。

 相変わらず、僕のシフトが入っていない日に、

 習い事を続けているんだろうな。


 どれぐらい彼の腕は上達しただろうか、

 その努力が相手に伝わるといい、

 それでなくても、

 努力が実を結ぶ日があるはずだ。


 ただ、彼は少々、

 思い込みが激しいところがあるから、

 それが変な方向に

 突っ走らないといいけれども……

 彼は今まで執心するようなことが

 あまりなかったらしいから、夢中になるあまり、

 相手に嫌われるような言動をとるかもしれない。


 気をつけてください、氷川さん。

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