薄情で冷血な彼(4)

「由野さん、種を食べて

 大惨事になったって話、本当ですか?」



 すると彼女は

 馬鹿にするように鼻で笑った。



「そんなわけあるか。

 嘘に決まっているだろう。


 ああでも言わないと、

 勝手に種を食べる輩がいるからね。

 忠告はしておいたから、後は自己責任だ。

 安全も保証できないのに、

 勝手に食べることを

 許すわけにもいかないからな」


「どうして食べられると困るんですか?」



 彼女の表情が束の間、固まった。

 しかし、彼女はそれを

 何事もなかったように

 あっさり答えを出した。



「せっかく調理するサービスを行っているのに、

 勝手に食べられては利益が減ってしまうだろう。

 これを機に、

 常連客になってくれるかもしれないしな」



 商いの鑑みたいなことを言って、

 にかっと笑みを浮かべるけれど、

 さきほどあった間は誤魔化せていない。

 あの間だけでなく、彼に

 種を食べてはいけないことを説明した時も、

 苦汁を嘗めたような表情で、

 物々しく語っていた。


 けれど僕には、その訳を

 言及することはできなかった。

 そこには彼女の人格を構築する

 何かがあったように思えて、

 僕にはそこまで踏み込む義理はないから。



「そう言えば、ここって

 精神が病んでいるときに足を踏み入れるって、

 彼も言っていたんですが、

 彼もそうなんですか?」



 僕がそうであったように。

 それは敢えて、口にせず。

 彼女には伝わっていると思ったから。



「そうだな、君の場合は

『抑鬱』の傾向が見られた。


 自己評価が低く、

 誰かに助けや救いを求めている者は、

 抑鬱である可能性が高いんだよ。


 だから私は、君が

 前向きになれるような対応を心がけた」



 あれで? と思ったが、口には出さない。

 出してないはずだったが。

 どうやら顔に出ていたらしい。



「失礼だな、過度に優しい態度をとっても、

 君が依存的になるばかりだから、ある程度、

 自分の力で成し遂げてほしかったんだ」


「そう、だったんですか。

 なら、彼はどうなんですか?」



 本題の彼について話題を転換してみる。



「彼は、『対人恐怖症』かと思ったが、

 どちらかと言うと、

『強迫神経症』の気が疑われるな。


 自分に対しての

 自己評価が低いようにも思えたが、

 あれは他人から言われたことを

 気にしすぎている故の言動だ。

 ある考えがどうしても頭を離れないことを

『強迫観念』と呼ぶんだ。


 まだ、『強迫神経症』には至っていないが、

 進行すると、日常生活に支障を来す、

 それになってしまう。


 今のうちに、

 正しい対処を取らねばならない」



 随分、長ったらしい説明だが、

 いたく丁寧である。



「由野さん、えらく詳しいですね。

 精神分析学でも学んでいたんですか?」



 彼女の表情がみるみる強ばる。

 しかし、それは僕に向けられた

 悪意ではないようで、

 彼女は必死に取り繕って答えようとする。



「昔ね、人の行動原理や

 心理学というものに興味が湧いてね、

 図書館なんかで、

 本を読み漁ったりしたもんだ。


 あれは、趣味や興味の範疇にすぎなくて、

 素人に毛が生えた程度のものだよ」



 しかしながら、そういう彼女の声は、

 胸に迫るような何かがあった。

 唇を噛んで、

 必死に耐えているのがまる分かりで。


 またもや、僕は言及せずにいた。


 いつか、いつの日にか、

 知るべきその日まで待つとしよう。


 ――なんて言って、格好つけているだけで、

 本当は怖いんだ。

 それを知ることは禁忌のように思えてならない。


 それこそ、僕の心を破壊してしまう

 何かのような気がして。



 それから僕は暫く彼と

 顔を合わせることはなかった。

 彼は確か、由野さんに

 習い事の申し出をしていたのに、

 彼とこの店で会ったのは

 あれきり一度だってない。


 しかし、彼女は連絡を

 とってないわけでもなさそうだ。

 もしかして、僕のシフトが入っていないときに、

 彼女は彼にものを教えているのだろうか。

 それは一体何の為に。


 僕がまだバイト入りたててで、

 教えることが沢山あるからかな。

 そう思っておこう、その方が楽だ。



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