第二種「感情」ー表現する術ー

薄情で冷血な彼


 この店は、午前九時に開店し、

 四時から五時の間に

 一時間程度の休憩を挟む。


 彼女自身の定期的な休憩であり、

 準備時間である。


 そして、六時から夜の営業が始まり、

 閉店は十時となっているが、

 九時以降は新しい客を入れず、

 ラストオーダーは九時半と、

 随分強気なスタイルだ。


 本当にどうしてこれで

 やっていけているのか不思議で、

 愚問と知りながらも、

 訊かずにはいられなかった。



「どうしてこんなに

 夜早く切り上げているのに、

 店が成り立っているんですか?」


「そんなことはないだろう、

 一応十時まで営業しているだけマシな方だ。

 一人で切り盛りする分には、

 長い方だと思うが」



 と、そっぽ向いてしまった。

 しかも、

 頬にいっぱいに空気を溜め込んで、

 子どもみたいだ。

 普段とのギャップに

 吹き出してしまいそうになる。



「あ、でも。

 

 平日の昼はよく、

 近所のご婦人たちが

 足を運んでくれているから、

 昼間は常連客で賑わっている。


 それに、この格好をしていると、

 どうも男に間違われてね。

 男の一人暮らしは大変だろうって、

 度々おかずなんかの

 差し入れを頂いているんだ。

 お陰で、食費も浮くし、

 手間が減るからとても助かっているよ」



 お得意の爽やかな営業スマイルを浮かべる。


 この場合に至っては、本気だろうけれど、

 彼女はやっぱり女性を誑かす

 テクやフェロモンを持ち合わせている、

 計算高い大人だった。



 客はそれなりに入っているが、

 皆、既に殆ど食事を終え、

 お喋りに興じているようだ。

 だから僕らがこうして

 くだらない会話をする余裕があるんだ。


 新たな客も入らなくなってきて、

 丁度七時半を回った頃に、

 外側から店の扉が開かれた。

 僕も慌てて、接客態度に切り替える。



「いらっしゃいませ、何名様ですか?」



 彼は適度にスーツを着崩しているが、

 それが上手く堅苦しさをなくしていて、

 由野さんとは別種類のイケメンだった。


 由野さんが陰のある

 ミステリアスイケメンなら、

 彼は正当派イケメン

 といったところだろうか。



「一人です」


「では、カウンターと

 テーブルのどちらになさいますか?」



 さきほど、一組の客が帰ったばかりで、

 どちらにも対応ができる。



「カウンターで、お願いします」



 彼はどこか、疲れているように見えた。

 何か、嫌なことでもあったのだろうか。

 そういうときにこそ、

 彼女の料理を食べるべきだ。

 昨日、賄いを食べさせてもらったが、

 こちらも笑顔になるほど美味しかった。



「それでは、

 お好きな場所にお座りください」



 そう促すと彼は、

 右端の壁に寄りかかるようにして腰掛けた。



「メニューをどうぞ。

 ご注文が決まりましたら、

 またお呼びください」



 そう言って、僕は一端彼から離れた。


 また別のお客が会計を済ませたので、

 後片付けに向かったんだ。


 それから間もなく声を掛けられ、

 彼はハンバーグ定食を注文した。

 注文がくるまでの間、

 彼は何をするでもなく、

 じっと座って待っていた。


 定食が出来上がり、それを運ぶと、

 彼の表情が少しだけ和らいだ。

 食べ物は気持ちを軽くしてくれる。

 それに、由野さんの料理は

 匂いだけでもお腹が空いてしまう。



「ぐぅぅう」



 本当にお腹の虫が鳴ってしまった。

 お客がまだいるのに、恥ずかしい。

 すると、それに気づいた

 由野さんが声をかけてくれた。



「佐藤、腹が空いているなら、

 休憩を取ってもいいぞ。

 今、そんなに人もいないから大丈夫だ。

 もう賄いは用意した方がいいか?」


「はい、お願いします」



 腹の虫には勝てず、即答してしまった。


 由野さんのつくる賄いが

 出来上がるのを待つ間、

 テーブルの後片付けに取りかかっていた。

 食器を洗い場にまで運び、

 テーブルをアルコールで除菌する。


 新たに食器の洗い物でもしようかと、

 店の台所に足を踏み入れると、

 丁度彼女が

 賄いをつくり終えたところだった。



「ほら、賄いだ。

 しっかり、腹ごしらえしてこい」


「はい、ありがとうございます」



 賄いを乗せたトレイを受け取ると、

 僕はどこに座るべきか迷ってしまった。


 僕の特等席は

 カウンターの右から二番目の席だったが、

 今はバイトの身分で、そうもいかない。

 カウンターとテーブルの境を

 うろちょろしていると、彼に声をかけられた。



「よかったら、隣、どうぞ」



 彼は自分の隣の席を指すが、

 それはどうだろう。

 バイトのくせに、

 客と並んで食べてもいいんだろうか、

 うーん。


 それを見かねた

 由野さんが助け舟を出してくれた。



「彼がいいと言うなら、

 甘えさせてもらうといい」



 さらに、視線でこうも云ってきた。

 ここで断る方が失礼に値する、と。


 視線だけでここまで分かる僕すごい、

 と思ったが、

 彼女が言いそうなことを

 推測しただけなので

 別にすごくも何ともなかった。



「それでは、お言葉に甘えて、

 お隣、失礼します」



 多少遠慮しながらも、

 所詮、食欲には抗えない。

 開き直り、威勢よく合掌する。



「いただきます!」



 五目ご飯を貪り、

 ポテトサラダも口に押し込む。


 どっちも美味しいけれど、

 僕としては豚のしょうが焼きに

 魅力を感じる。

 そうして、

 十分程度で平らげてしまった。



「ご馳走様でした!」



 それを隣で見ていた彼が

 クスクスと笑みを零す。



「とても美味しそうに

 ご飯を食べるんだね」



 じっと見られていたのかと恥ずかしいが、

 何もおかしなことはしていない。

 胸を張っていよう。



「はい!

 ここの料理はとても美味しいですから。

 特に、デザートが美味しくて、

 甘いものが苦手な方にもおすすめです」


「そっか、君が言うなら間違いなさそうだね

 ……僕も

 君みたいだったらよかったのかな」



 溜息混じりの言葉が、

 閑静な店内でやけに重く響いた。



「何かあったんですか?

 よければ、そのお話聞かせてください」



 彼は少し戸惑っていたようだったが、

 ポツリポツリと、

 言葉を紡ぎ出してくれた。



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