彼女

 この店に勤務して二日目、

 七月十五日の金曜日。


 雇用形態はシフト制である。


 昨日と今日は

 連続で勤務しているが、

 これはいわゆる

 研修というやつで、

 僕が自ら、

 早く仕事を覚えたいからと

 シフト詰めてもらった。


 しかしながら、

 僕には不可解な点がある。



「僕をバイトとして雇ったりして、

 平気なんですか?」



 婉曲に訊いてみたけれども、

 簡潔に言えば、

 この店は僕を雇うほど

 余裕があるのか、ということだ。


 通い詰めていた僕の推測では

 到底無理なはずなんだが。



「失礼だな、

 ちゃんとやっているし、

 それなりに売り上げはあるんだ。


 週五回、一日八時間近く、

 それも何人もとなれば話は別だが、

 君一人を週二、三回、

 一日四~五時間程度くらいなら

 雇う余裕はあるさ。


 安心しろ、

 その場の気分で決めたことではない。


 ちゃんと考えた末に、

 君をバイトとして雇うと言ったんだ」



 そうだ、

 この人はそういう人だった。


 回りくどくて、

 時に面倒臭く感じることも

 あるけれど、

 熟慮断行する

 性格の持ち主だったな。



 因みに、給料を振り込むための

 口座は持っている。


 将来の自分の為に

 お金を貯めておきなさいと、

 学費の口座とは別に

 開設されていた。


 僕は母から通帳と

 キャッシュカードを受け取り、

 暗証番号を聞いた。


 昨日早速、

 暗証番号の変更手続きを

 済ませたところだ。


 母が考えた暗証番号は、

 僕の誕生日から取った

「0907」だった。



 そんな安易な暗証番号で

 よく今までやってこられたな、

 ある種、

 感心の境地に至ってしまう。


 昭和生まれの人間の

 セキュリティに関する危機感って

 どうなっているんだか。


 しかし今まで何も

 なかったところを考えると、

 物理的なセキュリティには

 強いと見える。


 母は強し、だからなあ。

 それは違うか。



 ふと単純な疑問が生じた。


 単な好奇心が口から

 零れ落ちただけの

 言葉だったんだ。



「由野さんって、

 歳はいくつなんですか?」



 僕はけして、

 誘導尋問なんて大層なことを

 行おうとしたのではない。


 由野さんが口を滑らせて、

 ボロ、『本性』

 それもほんの一部の姿を

 見せたにすぎないんだ。



「失礼だな、

 女性に歳を訊いてはいけない

 と習わなかったのか……あ」


「え」


「…………」



 寸秒の沈黙が流れ、そして。



「ぅぇええええ! ?」


「し、失礼だな。

 私はれっきとした女性だぞ」



 彼、もとい、

 由野さんは開き直り出した。



 確かに、

 女性を男性だと認識していて、

 女性だと言われて驚くのは

 失礼だというのは分かっている。


 だがしかし、

 彼女の場合は

 それに適用されないはずだ。



「だって、由野さん、

 思いっ切り

 男装してるじゃないですか!」



 中性的だとか、

 イケメンだとかそういう以前に、

 彼は男装をしている。


 男性なら普通の店員ではあるが、

 女性なら、

 ギャルソンを着ているのは

 男装になるだろう。


 それに……密かに

 彼女のシャツの

 ボタン付近に目を当ててみる。


 うん、仕方ないよなぁ。



「おい佐藤、今、

 とても失礼なことを

 考えていなかったか。


 それも、侮辱に値する

 程度のことを。


 まあいい、どれだけ言っても

 納得しなさそうだからな。


 少し待っていろ、

 その間はテーブルとカウンターを

 アルコールスプレーで

 除菌しておいてくれ。


 すぐに戻ってくる」



 スプレーボトルと布巾を手渡すと、

 彼女は颯爽と

 店の奥に姿を眩ました。


 よし、仕事するか。



 約五分後、

 カウンターとテーブルの

 除菌を終えた頃に彼女は

 別人のような姿で店内に戻ってきた。


 何なら、

 同一人物かさえも疑わしい。



「待たせたな、佐藤」



 しかし、

 その彼女から滲み出る爽やか

 イケメンなオーラと、

 透徹な声は確かに

 由野さんであることを

 保証してくれた。



「…………」



 絶句する他なかった。


 いつも見慣れていた

 性別行方不明者イケメンが

 こんな美女だったなんて……

 なんとも表現し難いが、

 華があり、

 身体のしなやかな曲線美は

 見るものを虜にしてしまいそうだ。


 それと、

 どこから沸いてきたんだろう、

 それ。



 こんなことを考えていたら、

 また怒られそうだ。


 これに関する思考はここで

 お終いにしておくとしようか。



「そ、そんなに変か?


 久しぶりにこの格好をすると、

 落ち着かない。


 店もあることだ、

 着替えてくるよ」



 誤解を生ませたままでは

 申し訳ないと、

 僕は彼女の服の袖を掴む。



「変じゃ、ないですよ。

 思っていたよりも、

 すごく美人だったので、

 つい、言葉を失ってしまいました」


「そうか。

 でもやはり、

 仕事がやりづらくなるから、

 着替えてくる」



 何でもないような口調だったけれど、

 きっと彼女は

 照れているに違いない。


 普段、

 あれだけ熟慮している彼女だ、

 今の言葉も深読みして、

 一人で赤面しているんだろうな。



 そして、

 男装で戻ってきた時には、

 済ました顔を見せるんだ。



 まだ今日は労働を始めて、

 一時間と経っていない。


 今日の仕事はこれからですよ、

 由野さん。



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