始まる終焉

 一連の出来事が終結し、

 僕は軽やかな気分で

 帰路に就いた。

 部屋に足を踏み入れると、 


 ――ここまで言わずもがな

 ではあるが、

 一応言葉にしておく。



 鉢植えに実が二つ成っていた。


 多分、甘夏だろう。


 ナツダイダイの改良種、

 別名、甘夏蜜柑、甘夏柑という。


 オレンジ色も、白色の花も、

 同じ種類の実をつけていた。



 明日、

 この鉢を店に持って行こう。


 けれど、

 学校に持って行っては、

 逐一管理ができないし、

 無くしてしまう……

 のは嫌だった。



 僕に勇気を与えてくれて、

 僕の望む道へと

 導いてくれた

 大切な種と鉢植えだから。


 よし、一度家に帰ってから

 店に向かうことにしよう。


 そうすればお金も

 余裕を持たせた額を

 持っていける。


 二つもあるから、

 彼に調理してもらおうかな。


 ――自分を知るにはいいものだよ。



 彼はそう言っていたから。


 今日まで一連の出来事を

 通じて思うんだ、

 対人関係を築くにはまず、

 自分のことを知るべきだって。


 自身を知らずして、

 他人の痛みは分かるまい。



 僕は少しでも

 マシな人間になりたい。


 目の前の現実から

 逃げずに立ち向かうんだ、

 大切なものを失わない為に。


 悩んでいたら、

 相談に乗ってあげよう。


 疲れているように見えたら、

 励ましてあげる。



 そうして本当に

 困っているときに、

 先の道を照らしてあげるんだ。


 大事なものを見失わない為に、

 思い病んでしまわぬように、

 もう戻れなくなってしまう前に、

 その手を差し伸べられたなら。



 翌朝、登校して教室に向かうと

 いつもと変わらぬ

 風景が広がっていた。


 読書をする鈴木くんと

 その他に数人のクラスメート。


 あんなことがあっても

 周囲は蚊帳の外と言えば、

 それだ。



 変わったことと言えば。


 教室の扉の取っ手に手をかけ、

 ガラリと戸を引いた。



「おはよう!」



 声を張って、

 挨拶ができるように

 なったことだろうか。


 そして、鈴木くんが

 振り向いて手を振ってくれた。


 うん、きっとこれぐらいの

 変化が僕には合っている。


 噛みしめられるよ。



 僕はホームルームが終わるなり、

 教室から一目散に駆けだした。


 早く、あの鉢の生長を

 彼に見せたいと思ったから。


 自転車のペダルを全力で漕ぐと、

 汗だくで家にたどり着いた。



 洗面所の棚から

 タオルを取り出して、

 頬に滴る汗を拭った。


 鞄をリュックに持ち替え、

 その中に紙袋に入れた

 鉢植えを仕舞い込んだ。


 その隣に財布も入れて、

 それを担ぐと、家を後にした。



 店の軒下に自転車を駐める。


 入り口の前に立ち、

 深呼吸をした。


 ここからは例に倣って、

 扉を三回ノックする。


 彼の透き通る声で迎え入れられ、

 僕は挨拶よりも先に

 鞄から取り出した

 鉢植えを提示してみせた。



「願いは叶ったようだね。

 どうする、

 二つ目の方は調理するかい?」


「はい、

 よろしくお願いします」



 彼は確認を取ると、

 その手で丁寧に実をもいだ。


 そして愛おしそうに実を眺めて、

 それは大層に感嘆していた。



「これは、

 とてもいい甘夏柑じゃないか。


 色づきも薫りも

 硬さも実に素晴らしい。


 ああ、これは腕が鳴るよ。

 これなら、敢えて素材を

 生かしたものにするのも

 ありだが、

 量が多いわけでも

 ないしなあ……」



 悩んでそうな口振りだったが、

 とても楽しそうな

 顔をしていた。


 それから三十分と

 かからないうちに

 甘夏を使った

 デザートが振る舞われた。



「ココアのパンナコッタに

 甘夏柑のソースをかけてみた。


 少々こってりしているが、

 甘夏柑がいい

 アクセントになっている。

 是非、食べてみてくれ」



 濃厚で口の中で薫る

 カカオの奥深さに

 ねっとりとした重みのある

 食感が堪らない。


 そこに、酸味の利いた

 甘夏ソースが

 新たな変化を加えて、

 もう最高だった。



 甘夏は、他の蜜柑よりも

 酸味が少ないことが売りだけれど、

 甘夏にもしっかり

 酸味はあるんだ。


 ヘタレだけど、芯はある僕だ。


 そして彼は、けして

 甘やかしてはくれないけれど、

 確かな優しさが

 そこに存在していた。


 この店は彼の持ち得る人格と

 彼の料理の腕と、あと、

 あの独特な雰囲気で

 成り立っている。


 この、

 どこか変わっているのに、

 落ち着いてしまえる

 この空間が僕は気に入ったんだ。



 僕はココアのパンナコッタを

 器の底までこそいで

 食べ尽くした後も、

 店に居座り続けた。


 今までに食べた彼のつくった

 スイーツについて語り、

 いじめも鈴木くんや宮田くんと

 友達になれたことなどを

 語り尽くしてしまうほどに語った。



 日も暮れてきて、

 帰ろうとすると、

 彼はお土産を持たせてくれた。


 さっきの甘夏の残りで

 ジャムをつくってくれたらしい。


 今日の代金は、

 パンナコッタと

 お土産のジャムを合わせて、

 四百円だった。


 相変わらず良心的すぎて、

 逆に不安になるほどだ。 



 それからすっかりこの店が

 お気に入りに

 なってしまった僕は、

 週に一度程度で

「stray sheep」に

 足を運ぶようになった。


 この頻度で通うのは、

 バイトをしていない

 高校生の財力では

 それぐらいがせいぜいだからだ。



 そして、期末テストを

 一週間前に控えた二十四日、

 金曜日のこと。


 この日も例のごとく、

 店に居座っていた。



 しかし、中間テストの結果が

 あまり好ましくない、というか、

 平均点よりも低く、

 欠点スレスレだった。


 そういうわけで、

 期末は中間分を取り返す点数を

 取らなければならないんだ。


 人目を気にしながらも、

 カウンターで一人、

 テスト勉強を始める。


 黙々と課題をこなしているうちに、

 だんだんと

 店内の客数が減っていき、

 気づけば客は僕一人になっていた。



「どうした、テスト勉強か」


「はい、でも、

 なかなか課題が進まなくて……」



 僕の話を聞いて見かねた彼は、

 僕に勉強を教えてくれた。



「今は客がいないから、

 特別に勉強を見てやる。

 どの問題が分からないんだ?」


「はい、この、大問一の

 問三がよく分からなくて」


「それは、

 前後文から推測するんだ。


 問題文にある単語の付近に

 答えが隠れていることが

 多いからそれを頼りに

 問題を解いてみるのもありだ」


「えっと、次は――」


「それは、公式を

 暗記していれば解けるだろ。

 公式と簡単な用法を

 セットで覚える必要がある。


 公式だけを丸暗記しようと

 するから分からなくなるんだ――」



 夕方まで教えてもらったお陰で、

 僕は期末テストで

 平均点以上を取ることができた。


 苦手な教科以外は、

 時間さえ割けば大抵なんとかなる。


 返却されていない教科もあるが、

 問題視するほどのものはない。



 テストも終わったことだし、

 結果報告をしに行こう。


 学校は短縮で、

 昼食は親から昼食代を渡された。


 今日は朝起きると、

 書き置きと共に

 お金が置かれていた。



 早朝会議でもあるんだろう、

 ご苦労様です。



 昼食と結果報告の為に

 店を訪れると、

 開口一番に、君は暇なのか、

 と訊かれた。


「まあ部活もバイトも

 やってないので、

 暇と言えば暇ですね。


 それよりも、

 店長さんのお陰で

 テストでいつもより

 いい点が取れましたよ!


 ありがとうございます」



 けれど彼はそんなことには

 興味もなさげに曖昧な返事をする。



「そうか、良かったな」


「ところで君はこれからも

 店に通い続けるつもりなのか?」



 それは遠回しに長居することを

 揶揄しているんだろうか。


 彼の真意は分からないまま、

 答えるしかなかった。



「はい、そうですね。

 この店が気に入りましたから」


「そんなに通い続けていると

 金が底を付くだろう」


「大丈夫ですよ、

 ちゃんとやりくりしてます」


「いや、でも――」


「そんなに」



 長居されるのが迷惑ですか? 


 そう言おうとしたはずの僕の声は、

 彼の言葉でかき消されてしまう。



「そこまでこの店が好きなら、

 ここで働くといい。


 ここでバイトとして

 働くつもりはないか?」



 なんて、不器用な人なんだろう。


 僕の答えなんて

 決まりきっている。



「はい、喜んで!」



 そして、形式的に

 一応は履歴書のようなものを

 書かされた。


 その他に、

 印鑑や親の同意などが

 必要になってくるので、

 正式には明日から採用らしい。


 僕の親なら、

 反対はしないと思うけれど。



 社会勉強にもなるし、

 学費の何割か

 貯金しておけと言われそうだ。




 家にその話を持ち帰ると、

 両親はやはり賛成してくれた。


 いっそのこと、

 家事全般こなせるように

 なってこいとまで

 言われてしまった。


 僕の予想をある意味上回った。


 母は強い、色んな意味で。



 翌七月十四日、

 僕は印鑑の代わりに、

 シャチハタを持参していった。


 印鑑を無くすと大変だから、

 シヤチハタを持って

 行きなさいと言われたんだ。


 バイトには

 それくらいのもので十分らしい。


 そして、

 バイトの採用の紙に捺印し、

 本採用となった。



「働くとなると、

 名前を知らないと不便なので、

 名前教えて

 もらってもいいですか?


 履歴書にも書きましたが、

 僕は佐藤昇汰です」



 束の間、

 彼の表情が驚いていたように

 見えたのは気のせいだったか。


 彼はにこやかな笑みを浮かべ、

 名前を教えてくれた。



「由野(よしの)だ」


「はい、由野さん。

 これからよろしくお願いします!」


「ああ、よろしくな佐藤」



 こうして僕は正当な理由で、

 この店に居着くこととなった。



 しかし、こんな不思議な店で

 働くことになるなんて、

 この店に足を踏み入れたときには

 予想だにしていなかったはずだ。



 蛇足にはなるが、

 僕はあのとき鈴木くんが

 黒田くんに何を囁いていたのか、

 何をもって彼に

 圧力をかけていたかの

 答えを知っていた。


 僅かながら、聞こえてきたんだ。



「佐藤に、

 お前がアイツのこと

 好きってことバラすって」



 僕はそれを知ってなお、

 彼にああ言った。


 それが一番

 効果覿面だと思ったからだ。



 その通りに事は進んでいる、

 上手く纏まって良かった。


 そして同時にこれは、

 彼女と僕との奇妙な

 関係の始まりでもあった。


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