僕が忘れていたもの(2)

 それから暫くして、僕は店を後にする。



 家に帰ると、

 今夜のおかずは鶏のからあげで、

 僕はご飯を二杯もおかわりした。

 そのせいで、

 風呂から上がるまでの間、

 胃の膨張感に襲われていた。

 ようやくそれも治まり、

 部屋に戻ると、

 窓辺のある変化に視線が吸い寄せられる。


 胸を高鳴らせて、

 鉢に顔を近づけた。



「あ、やっぱり。咲いてる……!」



 オレンジ色の花がそっと咲いている。


 周りの葉を邪魔することなく、

 寧ろ、背景と一体化するように

 優しく笑っていた。


 このとき僕は、

 自分の知らないうちに

 蕾がついていたことを知ったんだ。

 その一輪の花を愛でていると、

 もう一つ、小さな蕾が

 ついていることに気づいた。


 今日見た液体の色は

 琥珀色をしていた、

 つまり、今咲いている花の方だろう。


 だとするなら、これは一体。


 どんな思いを秘めた花なのかな。




 週明けの月曜日に、

 ちゃんとけじめをつけよう。


 いじめも終わらせて、

 彼らとのいざこざも

 終わらせてしまうんだ。


 だってこれは、

 僕と彼らとの問題なんだから。



 六月十三日、つまるところ、

 翌週の月曜日のこと。


 僕は本音をぶちまけた。



 昼休憩、クラスメートの

 多くの視線が集まる中、

 僕は彼らに声を掛ける。


「ねぇ」


 たった一言で彼らを振り向かせ、

 その後は、



「黒田くん、水山くん、高野くん、

 ちょっと話があるんだけど、いい?」



 これだけのことを言うのに

 多くの酸素を消費してしまった、

 大事なことはまだ

 始まってすらいないのに。


 既に精神力が

 半分を切っていそうだ、

 こんな状態でこの先やっていけるのかと

 途方に暮れそうになるが、

 ここで諦めたら元も子もない。

 ただの意気地なしに逆戻りだ。


 今は彼らの返答を待つほかない。



 彼らは少しして、

 お互いの顔を見合わせ、

 苦渋の表情を浮かべてみせる。

 視線で言葉を交わし終えると、

 リーダー格である黒田くんから

 返事の言葉が発された。


「わかった」



 たった一言の中に

 どんな意味が込められたのかは知り得ない。

 ただ、歓迎されたもの

 ではないことだけは確かだ。


 だからこそ、

 最初に一番嫌なことを言うね。

 こんなことを言うのは、

 緊張してしまうよ。



「みんなに、

『いじめ』を止めてほしいんだ。

 そんな卑怯で外道なことは

 もう終わりにしようよ」



 途端に、彼らの僕を見る目が変わった。

 罪悪感に満ちた目から、

 怒りを宿している目に移る。


 これでいい、怒りの矛先は

 僕に向くべきだったんだ。



「ずっとみんなのやってることは

 間違ってるって分かってたのに、

 言えなくてごめん。

 それと、あのとき声をかけてくれたこと、

 ずっと感謝してるよ、すごく嬉しかった。

 だから、そんなみんなに

『いじめ』なんて格好悪いこと、

 してほしくないんだ」



 静まり返る空気の中、

 黒田くんだけが声を発する。



「なんだ、はっきり言えるんだな。

 俺らといるとき、

 何か言いたそうにしてるのに、

 気を遣って何も言わないし、

 空気ばっかり読むとか、

 そういうところに苛ついてた。

 それなのに、嫌いにもなれないから、

 ムカついて、どうしようもなかった。

 それなのに、鈴木に

 関わるようになってからは、

 急に俺らに反抗するようになったり、

 自分の意見を言うようになってさ。

 俺らといても、だんまりだったのに、

 どうして鈴木と関わった途端に、

 お前は変わるんだよ……

 俺がどれだけ聞いても

 他の奴と同じことしか

 言わなかったのに、どうして!」



 悲嘆と涙するような声音が

 一瞬のうちに、怒声に変わる。


 胸ぐらを掴まれると思い、

 目を瞑ったが、

 そうはならなかった。

 間に誰か割って入ってきたようだ。

 恐る恐る目を開けてみると、

 目の前に鈴木くんの背中があった。



「全く、佐藤は無茶な真似するなぁ。

 それに、黒田もだけど」



 鈴木くんは

 黒田くんとの距離を詰め、牽制する。



「ねぇ、黒田。俺言ったよね、

 次、佐藤に何かしたら、

 ――に――が――ってバラすって。

 それとも、

 バラしてもいいの?」



 黒田くんが無言のまま青ざめ、

 鈴木くんはチラリと

 僕の方へ目を向けた。



「多分もう大丈夫だと思うよ。

 今のうちに、言いたいこと、全部言いなよ」



 僕は彼に頷いてみせ、

 黒田くんに近寄る。



「もう『いじめ』は止めてくれる?」


「もう止めるよ。どうせ、意味ないから」


 力なく黒田くんは言った。

 何かを諦めたような

 眼をしていた。


 あまりにも呆気ないとさえ感じた。



 一つの課題はクリアした。


 あともう一つは、

 単純だけど案外難しいものだ。


 くるりと振り返り、

 鈴木くんに言い損ねてきたことを告げる。



「ありがとう。

 それと、今までいじめられてたの

 無視したりして、ごめん。

 初め僕はただ、

 君と友達になりたかっただけなんだ。

 こんなこと言うのは

 今さらかもしれないけど、

 僕と友達になってくれませんか?」



 どこか告白じみていて、

 妙な気恥ずかしさを感じた

 僕は赤面し、俯いてしまった。


 ナニコレ、余計に

 告白みたく見えるんだけど? 



「そんなの、もう無理――」


 ありったけの勇気を込めて

 言った言葉だけに、

 そうはっきり拒絶されると流石に落ち込む。

 と、肩を竦めていると、

 前言を撤回する言葉がかけられた。


「なーんて、嘘だよ。いいよ。

 

 こっちこそ今まで酷いこと

 言ったりしてごめんね。

 佐藤が俺を庇ったら、

 佐藤が標的にされるのは明白だったから。

 でも、正直見直したよ」


「ありがとう」


 もう一度、踵を翻して、

 彼らに視線を送った。

 彼らへ向けて、告白するんだ。



「今までいっぱい無理してきた。

 自分を縛ってきたから、

 言いたいことも言えなくて、

 モヤモヤしてた。

 でも、これからは

 言いたいことはちゃんと言うよ。

 いじめなんて嫌だし、

 誰かの愚痴ばかりを言って、

 自分たちを上げるようなことも嫌だった。


 僕はもうそんなのしたくないし、

 黒田くんたちにも

 そんなことさせたくないから。

 友達なのに、

 今まで止められなくてごめん」


 最後に、たった一人に向けて

 この言葉を吐くよ。



「今まで一緒に

 いてくれてありがとう。

 黒田くん、また今度、

 予定が空いてるときにでも、

 前みたいにみんなで遊ぼう」



 めった打ちにされて、

 萎れていた彼だったが、

 今の言葉で少し元気が出たようだ。



「……これからも、遊んだり、

 普通に話しかけたりしてもいいのか?」


「もちろん!

 これからもずっと友達だよ」



 にこっと甘い笑顔で答えてみせた。


 彼は戸惑ったように、

 しかし、安堵する。


「そうか、ありがとうな昇汰」



 これで一連の事件は終息を迎えた。


 彼らとは完全に分かり合えたとは

 言えないだろう。

 それでも、公衆の面前で

 話をつけることによって

 抑止効果がはたらくだろう。


 彼らが暗い道を歩くことは一応阻止できた。

 そして、僕には

 新たな友達ができたんだ。


 今回も危機に乗り込み、

 助けてくれた鈴木紫苑くん。

 それと、彼の幼なじみで、

 彼の情報源である

 怖いクラスメートくんもとい、

 宮田浩輔くん。



 鈴木くんが彼を紹介してくれたんだ。


 今はゆっくりと

 よしみを結んでいる最中である。


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