僕が忘れていたもの

 ホームルーム直後、

 僕は新たに挑戦を試みた。


 荷物を手に、

 彼の元へ歩み寄り、声を掛ける。



「い、一緒に帰ろう」



 鈴木くんは

 無言のまま立ち上がる。


 流石にいきなりで

 図々しかったかなと、

 自分の言動を悔いていた。

 しかし、

 彼の応答で僕は気を好くする。



「仕方ないな。ほら、帰るよ」



 背中越しに

 彼の照れ隠しが伝わってきて、

 僕は足取りを軽くして、帰路に就いた。


 彼が電車通学だからと、

 駅まで一緒に帰り、

 改札口まで彼を見送った。

 手を振ってみると、

 僅かながら彼も

 手を振り返してくれたのが、

 いたく喜ばしかった。


 しかしながら、

 僕はあることが

 気にかかっていたんだ。

 彼らのあの表情を見て、

 色々と思うところがあった。

 それと、

 思い出したことも。

 悩みの種を解決するべく、

 僕はまたあの店へ自転車を走らせる。


 例に漏れず、

 僕はこの日も店の扉をノックして、

 入店した。

 当然のように、

 右から二番目の席にどっしりと腰掛ける。


 すると彼は、

 僕の心の内を覗くように、

 優しく囁きかけてくれて。



「どうした、何かあったのか?」



 僕が話を聞いてほしそうな

 雰囲気を醸していたかは

 兎も角、置いておくとする。


 待ってましたと言わんばかりに、

 僕は今日の一連の出来事を

 ざっくりと説明し、

 さらに、彼らについて

 気になったことを話してみた。


 どんな当意即妙な返答が

 為されるかと思えば、

 これまた至極抽象的な返答だった。

 しかし、彼が最初に会ったときに

 言っていたことからすれば、

 何もおかしいことはない。



 彼は、

 願いを叶えることの手助けならできる、

 と言い、それに、

 何か言動について強要されることはなかった。


 どれだけ酷い言葉を連ねても、

 君自身で考えるべきだと、

 大切なことは何か。


 ――と。

 一途に、

 僕に考えさせることだけを望んで、

 意志を尊重し続けてきたんだ。



「それは君が

 今後どうしたいかだな。

 君の意志如何で、

 答えも変わってくる。

 君が一番に望むことはなんだ?」



 あのときに感じた

 違和感の正体、それは。

 遙か彼方、

 記憶の底でくすぶっていた感情。



「僕は……彼らに

 いじめをやめさせたいです。

 今回の一件に限ってではなく、

 これからも。


 彼らは、クラスに一人も

 友達がいなかった僕に

 声を掛けてくれました。

 もしかしたら、そこに下心は

 あったかもしれません。

 だとしても、

 僕にとっては救いの手でした。


 だから今度は僕が、

 心にある荒んだ闇から

 彼らを救いたいんです。

 勿論、彼らにその気がなければ

 手を差し伸べることすら叶いません。

 それも含めて、

 僕は彼らを光ある方へ

 導きたいと考えています。


 詭弁かもしれませんが、

 彼らがこれからも暗い道を

 歩いていくのを

 放っておきたくないですから。


 それくらいに、大事な存在だったんです」



 言葉は本当に

 不思議な力を秘めている。


 口にするだけで、

 モクモクと

 熱い思いが込み上げてきた。

 今、口にしたことが、

 僕のとても強い思いだ。


 すると何の前触れもなく、

 胸の辺りから

 眩い光がサァーっと放たれる。



「えっ、何これ!?」



 彼は僕の疑問に答えるべく、

 語り始めてくれた。



「決意や気持ちというのは、

 誰かに話したり、口にすると、

 一層強まるものだからな。


 どうやら、君の意志は

 固まったようだ。


 種がそれを教えてくれる」



 そう言うと、彼は

 僕の心臓付近を指さした。


 種を育てている

 影響というやつだろう。



 しかし、僕には

 まだ分からないことがある。



「でも、どうすれば?」



 安易に他人に頼ろうとするのは

 悪い癖、と直接的に

 指摘こそしないものの、

 彼はやはり僕自身に

 結論を導かせようとする。



「答えは

 君の心の中にあるはずだ。


 ヒントをやろう、

 君の思っていることを

 素直に打ち明けてみることだよ。


 それさえできれば、

 きっと道を切り拓けるさ」



 しかしながら、

 今日の彼は親切な方であった。


 なぜなら、

 ヒントを強請ってもいないのに、

 彼の方からヒントを

 提示してくれたからである。



「そうですか、うーん」



 途方もない答えを探して、

 思案顔な僕に

 彼は透明な液体の入った

 小瓶を見せてくれた。



「これはね、

 自分の気持ちに

 気づかせてくれるものだよ。


 これを両手で握って、

 祈ってごらん。


 そうすれば、

 君の心の声を

 拾ってくれるはずだ」



 それを受け取り、彼に問いかける。



「祈るって、

 何を祈るんですか?」


「自分がどうしたいかを

 知りたいと願うだけでいい」



 たったそんなことで、

 本当に自分の気持ちが

 分かるものかと、

 疑心暗鬼を生じさせてしまう。


 しかし、

 疑ったところで仕方ないと知り、

 彼の言うままに、

 両手で小瓶を包み込み、

 そっと目を瞑り、祈りを込める。


 耳を澄ませ、

 心の声を手繰り寄せた。


 すると、微かに

 声のようなものが耳に入る。


 それは、言葉みたいに

 纏まったものではないけれど、

 確かな自分の気持ちだった。



 作戦というほど

 大したものではない。


 ただ、

 自分の気持ちを相手にぶつけて、

 情に訴えるだけ。



 目を開け、彼に小瓶を返し、

 感謝の旨を伝える。



「ありがとうございました。


 お陰で、

 覚悟が決まりました。


 勇気をもって、

 伝えてみようと思います」



 見上げた先の彼は、

 なぜかとてもにこやかな

 表情を浮かべていた。


 些か、不審に感じた僕は

 彼の視線の先に

 目を遣ってみた。



 そこにはさきほど

 僕が彼に返した小瓶が

 手の平で寝転がっている。


 小瓶に何やら違和感を覚え、

 目を凝らしてみると、

 その変化に目を見張った。



「え、色が変わってる?


 さっきまでは、

 透明な液体だったのに、

 今は琥珀色だ……!」



 思わず口にしていた驚嘆の音に、

 彼が気づき、

 それに応えてくれる。



「それはね、

 君がこの瓶に祈ったからだよ。


 君の心にある感情の一部を

 抽出したものだ。


 この液体は

 心の種を生み出している、

『心の樹』の養分になる。


 これも、

 お代の一つとして頂いておくよ。


 その代わりにまた、

 試作品を振る舞おう。

 今日は栗のマドレーヌだ」



 つまりこの瓶を

 僕に貸してくれたのは、

 彼の利益の為だったというわけだ。


 それでも助けられたことには

 変わらないし、

 彼のつくった美味しいお菓子が

 食べられるならいいや。



「はい、

 ありがとうございます。

 お言葉に甘えて、いただきます」



 合掌の合図と共に、

 僕はマドレーヌを手に取り、

 思い切りかぶりつく。



「うぅん、美味しいっ!」



 栗のほのかな甘さと

 マドレーヌ全体から広がる

 油脂の加減が丁度いい。

 しっとりねっとりした食感も

 美味しさの一つだ。


 あまりにも美味しかったもので、

 皿に乗せられていた

 四つのマドレーヌをぺろり、

 と平らげてしまう。


 彼はそんな僕のいい食べっぷりを見て、

 茶化してきた。



「君は、甘いものが苦手だったんじゃ、

 なかったのかい?」



 彼は口元を覆い、

 必死に笑いを噛み殺していた。


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