現在、五月①
隆二から知らされた同窓会の日程は、ゴールデンウィークのど真ん中だった。場所は自宅マンションから地下鉄で三十分ほどの駅前にある居酒屋だ。
大型連休ど真ん中の繁華街はかなり賑やかで、楽しそうな笑い声に溢れている。似たような雑居ビルが建ち並ぶ中で、それほど迷うことなく目的の店に到着した。
「おっ、コウ! 来た来た!」
店の前に立っていた隆二は、俺の姿を見つけるなりぶんぶんと手を振った。スポーツジムのインストラクターをしているという隆二は、中学時代に負けないくらいに健康的に日焼けしている。俺は軽く片手を上げて「よっ」と挨拶をする。
隆二は俺の肩にがしりと腕を回すと、「コウ、ちょっと聞いて……」と悲しげに囁いてくる。
「さっき、林さん来たんだけどさ……」
「林さん? あー、吹奏楽部の子だっけ?」
名前を聞いても、すぐには顔が出てこなかった。
たしか黒髪ロングで、垂れ目で胸が大きくて、おっとりした雰囲気の子だ。隆二が当時「お嬢様っぽくてかわいい」と騒いでいた気がする。
「なんか、めちゃめちゃケバくなっててさあ……あともう二回も結婚してて、子ども三人もいるんだって……」
オレの美しい思い出が、と隆二ががっくり肩を落とす。隆二には悪いが、俺はちょっと笑ってしまった。
「まあ、十年も経ってるんだから仕方ねーよ。初恋なんて、そんなもんだろ」
口に出した慰めの言葉は、半ば自分に言い聞かせていた。十年も経っているのだから、初恋の相手だって変貌しているに決まっている。
俺は試しに頭の中で、ケバケバしく成長した片桐千花を想像しようとしたけれど、うまくいかなかった。俺の脳内の彼女は、無表情でせっせと編み物をしている十五歳の姿のままアップデートされていない。
「……片桐さん、もう来た?」
さりげなさを装って尋ねると、隆二は首を横に振る。
「あー、コウのカノジョ? そういや、まだ来てないな」
しつこい隆二に「カノジョじゃねーっての」と言ってから、俺は店内に入った。
店員に案内されるがままに、スニーカーを脱いで奥の座敷に上がる。既に参加者の大半が集まっているようだった。
「あっ、佐伯くんじゃん。久しぶりー」
「元気だった? 今仕事何やってんの?」
空いている場所に適当に腰を下ろすと、周りに座っていた奴らが一斉に話しかけてきた。大抵は高校が同じだったり、成人式で顔を合わせていたりするので、それほど感動の再会というわけでもない。
隣に座っているのは、教師も手を焼く悪ガキだった工藤匡だ。奴も十年経ってかなり落ち着いたらしく、当時金色に近かった髪は黒い短髪になっている。今は銀行員をしているらしい。
くだらない思い出話と近況報告に花を咲かせていると、ふいに背後の襖が開いて、誰かが入ってきた。気配を感じて振り向いて見ると――真っ黒いビー玉みたいな、つり目がちな大きな瞳と目が合った。
「あ」
小さく声を上げたのは俺だったのか、それとも彼女の方だったのか。俺はたっぷり数秒、彼女と見つめ合ったまま固まってしまった。
彼女と再会したら何を言おうかといろいろとシミュレーションしていたのだが、そんなものは顔を見た途端に全部ぶっ飛んでしまった。喉がカラカラに渇いて、言葉が出てこない。
結論から言うならば――片桐千花は、俺の記憶にある姿と、ほとんど変わっていなかった。
変わったところといえば、髪が伸びていた。つやつやとした黒いショートヘアは、胸のあたりまでまっすぐ伸びたロングヘアに変貌を遂げている。それ以外は、十年前から時間が止まっているかのように、あの頃と同じままだった。
「こんばんは」
耳に心地良い掠れた低い声も、全然変わっていない。
俺が呆然としているうちに、彼女はふいと視線を逸らして歩いていくと、俺から一番遠いテーブルに腰を下ろした。そこでようやく我に返る。
――あれ、もしかして俺、今思いっきり見惚れてた?
それと同時に、大きな後悔が襲ってくる。想定ではもう少し、スマートに声をかけられるはずだった。挨拶のひとつも返せないなんて最悪だ。
俺が内心頭を抱えていると、斜め前に座っていた女子が「今の、誰だっけ?」と訊いてきた。
「……片桐さんだよ。片桐千花」
「あーいたね、そんな子」
「うわー、懐かし。同窓会とか来るキャラじゃねえだろ」
ひそひそと交わされるそんなやりとりが、彼女の耳に届いていないことを願う。
俺がチラリと視線を向けると、彼女は相変わらず強張った表情のまま、座敷の隅っこに正座していた。誰一人として彼女に話しかけることはなく、やっぱり彼女はこの空間において異質だ。彼女の両手に長い編み針がないことが、なんだかやけに心許なく感じられる。
俺の視線の先に気がついたのか、工藤がふと思い出したように言った。
「そういやコウ、片桐と結構仲良かったよな?」
「あー、そういえば! なんか、変わった組み合わせだったよねえ」
「せっかくだし、声かけてくれば?」
からかい半分の周囲の声に、俺は曖昧に笑って「……うーん、そうだな」と答えた。
情けないことに今の俺は、十年前の自分がどうやって彼女に話しかけていたのか、すっかり忘れてしまった。
――かーたぎーりさん。
あーそびーましょ。……なんて、十年ぶりに再会したというのに、そんなノリで話しかけられるわけもない。十年ものあいだ俺を苦しめていた初恋の亡霊は、少しも変わらぬ姿のままそこに居るのだ。
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