24 悪魔の囁き
「バイオロイドに襲撃されているのよ」
面白い、といいながらもクレアの口調はまるでそれに興味のないような風だ。
「バイオロイドが……そんなこと、するはずは」
バイオロイドの生命維持には電力が不可欠である。モニターに映る発電プラントはさほど大規模なものではないが、それでも、である。
いや、そもそも人間に従順なバイオロイドが、人間を、人間の設備を襲撃するなど考えられないことである。彼らは本能的に人間と敵対することを避けるはずなのだ。
「バイオロイドの脳にある前頭葉腹内側領域を破壊すると、バイオロイドは自我が崩壊するの。そうなったバイオロイドはどうなると思う?」
クレアがフユに問いかける。フユは、ラウレに『壊された』バイオロイド、ベローチェのことを思い出した。
画像の中、ベローチェはあらがうことなく、ただ性の玩具にされていたのだ。
「何をされても抵抗しなくなる――のですね」
「あら、知ってるのね。でも、中にはそうでないものもいる。そういう者たちは、感情の全てを破壊衝動に支配され、破壊できるものが無くなるまで破壊を繰り返す。だいたい十体に一体くらいかしら。アナタも、バイオロイドに襲われたんでしょ? バイオロイドが人間を襲うはずないのに」
確かに襲われた。しかし、その中にはヘイゼルのクローンもいたのだ。
「貴女があれを」
「違うわよ」
フユの問いかけに、クレアが即答する。
「あれはバイオロイド解放戦線――ムイアンの仕業。人工知能の別人格。カグヤの『姉妹』よね」
クレアがカグヤに話を振るが、カグヤは黙ったまま目をつむっていた。
「ムイアンに、バイオロイドの前頭葉を破壊する方法を教えてあげたの。そしたら、そんなバイオロイドをせっせと作り出したわ。登録を抹消されたバイオロイドを集め、脳を破壊し、無抵抗なバイオロイドは人間の『性玩具』として使い資金を集め、破壊的なバイオロイドは兵隊として使う。ああ、そういえば、アナタのバイオロイドのクローンも使ってたかしら」
ふつと、フユの中に怒りが込み上げる。
「じゃあ、貴女がさせてるんじゃないですか」
「私は方法を教えただけよ。『ナイフ』の作り方を教えただけ。そのナイフが料理に使われたのか殺人に使われたのかの違いにすぎないわ」
彼女にとって、バイオロイドは道具なのだろう。いや、ほとんどの人間にとってはそうなのだ。
そうでない者がいるとしたら、フユか、ウォーレス部長くらいだろうか。
「でもね、あの襲撃、行政府は事前に知っていたのよ。バイオロイドに騒乱を起こさせ、それを口実にバイオロイドの生産を禁止に追い込む算段よ。笑っちゃうわ、行政府とテロ組織がつるんで茶番劇を演じているのよ。面白いでしょ」
面白いわけはない。しかしクレアは口元をゆがめ、くっくっという声を漏らした。
「あれじゃ、バイオロイドが悪者に」
「そうよ、それが目的だもの。あの騒動が鎮圧されたとしても、人間はバイオロイドの危険性に気づいてしまうでしょう。世論の後押しを受けて、バイオロイドの生産は禁止になる。それはもう、止められないわ。アナタがどう思おうとね。もしかしたら、今いるバイオロイド達全員を『処分』するなんて極端な政策すら実行してしまうかもね」
さらっと、本当にさらっと、クレアは恐ろしいことを口にした。
「そんな」
なぜ――なぜこんなことになってしまっているのか。
夏休みを利用し、カグヤに会いに来ただけだというのに。
「いけない、今頃みんな」
クエンレンは今、救助活動に大忙しに違いない。そう思い、フユは情報端末を取り出した。
緊急連絡が二つ、いつのまにか届いていたようだ。慌ててそれを開く。
一つ目には、『フォーワル・ティア・ヘイゼルおよびレ・ディユ・ファランヴェールを連れて至急戻るように。途中、治安警察に止められた場合、この連絡を見せること。絶対に抵抗しないように』と書かれている。
「なに、これ」
状況が呑み込めないまま、フユは二つ目を開いた。
『命令を撤回する。直ちに安全な場所に身を隠し、絶対に治安警察には見つからないようにせよ。命令あるまで待機』
「どういう、こと」
何が起こってるのか分からない。しかし、目の前の映像とは全く別の事態がクエンレンで起こっているようだった。
「どうしたの」
ヘイゼルが端末をのぞき込む。それを読み、そして「なにこれ」とつぶやいた。
「そこに何が書いてあるか、当ててあげましょうか」
フユがファランヴェールに端末を見せようとしたところで、クレアが声をかけた。
「すぐにバイオロイドを連れて帰って来い――こんなところでしょう。きっとアナタの学校に行政府からの通達が来たのよ」
なるほど――フユはそう思う。しかしそれと同時に、クレアが二つ目の連絡に関しては予測していないということも悟った。
「では学校に戻ります」
「待ちなさい」
クレアが止める。それはそうだろう。クレアの目的はまだ達成されていない。
「戻ってどうするの? バイオロイドが『粛清』されるのを、指をくわえて待つつもり?」
わざと、だろう。クレアはわざわざインパクトの強い言葉を選んでいる。
「待つつもりはありません。何か手を考えます」
「そんなもの、ないでしょう」
確かにクレアの言う通りではある。しかし、学校からの二つ目の連絡の内容には何か学校の意図があるはずだ。
「アナタにとって『最悪の事態』――今いるバイオロイド全てを処分するなんて事態を回避する方法は、あるわよ」
まるでそれは、悪魔の囁きのようである。だから、だからこそ、フユにはクレアの意図がはっきりと分かった。
「なん、ですか」
「ゲルトを解放するよう、ファランヴェールに命じなさい。そうすれば、ワタシが知っている情報を全部、公表してあげる。今の行政府――いえ、行政長官が解放戦線と手を組み、バイオロイドを排除しようとしていたことをね。もちろん、証拠もある。陰謀が暴かれ、長官は逮捕されるでしょう。バイオロイドの新規の生産は中止になるでしょうけど、今いるバイオロイドは守れるでしょうね」
そう言うとクレアは、本当に嬉しそうに、口元をゆがめた。
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