25 愛すべき存在

 ゲルトを解放しなさい。そうすればバイオロイドを、ヘイゼルを助けてあげる――


 結局のところ、クレアの目的はこの提案だったのだ。


「ゲルトも、それなら納得すると思う。いつかバイオロイドがいなくなり、人間が人間の未来を決める世界が来る。でも、アナタも、アナタのバイオロイドと『死ぬまで』一緒にいられるのよ。いいと思わない?」


 イザヨ・クレア――車いすに座るその姿は、まだ成人にすら達していないように見える。


「いったい……いったいいつから、こんなことを考えていたのですか、クレア博士。この計画、ファルが僕をマスターにすることでしか成り立たない。でもこんな計画、一年や二年では」

「四十年以上!」


 クレアの甲高い叫びが、フユの言葉を途中で遮った。


「ええ、そうよ、一年や二年なんかじゃない。ゲルトが、ファランヴェールとカグヤに封印されてから四十年以上、ワタシはずっと、ずっと、ずっと待っていた」

「四十年……貴女は、何年生きているのですか」


 フユの問いかけに、クレアが自嘲気味に笑う。


「生命『固定』装置に体をつないで、体を成長させないようにしているの。自分が何歳なのかなんて、もう忘れたわ。ゲルトとの戦いのせいで『マスター』を死なせてしまったファランヴェールが、アナタを新しい『マスター』として受け入れるのをずっと待ってたのよ。ここで」


 もはや人間では――発達した科学ではそれが可能だ、というのは分かる。しかし、その『意志』は、もはや人間のものとは思えない。


 一方で、クレアの言葉――フユはそのおかしさの含まれた一点にすぐに気が付いた。


「僕を、ですか?『誰か』じゃなく? まるで僕がファルのマスターに選ばれることが分かっていたような」

「ええ、分かっていたわ。他の誰かではなく、アナタが必ずファランヴェールの『マスター』になるってね。だって、アナタ」

「待ちなさい」


 ファランヴェールが突然、クレアの言葉を遮った。


「あら、ファランヴェール。知られて困るようなことじゃないでしょ。なぜ彼にそのことを話していないのか、不思議なくらいだわ」

「私は私の意志でフユをマスターに選んだ。それ以外に理由など無い」

「アナタの意志? お笑いね。アナタがそう思い込んでいるだけ。フユ・リオンディが、アナタが『マスター』と呼んでいた男、ミルヴィニー・ミグランの『曾孫』だから、でしょ。それが、たまたま、フユ・リオンディだったというだけよ」

「ファルのマスターだった人が、僕の……ひいおじいさん?」


 フユがファランヴェールを見る。

『ミグラン』という名は、ファランヴェールの口からきいたことはあった。しかし、まさかそれが自分と血縁関係にある人間だとは思いもしなかった。


「隠すつもりはなかったのですが、マスターはその名を知らなかったようなので、その」


 ファランヴェールはどこか居心地が悪そうにそう口ごもった。


「そうよ、フユ・リオンディ。血よ、血なのよ。単にアナタの『血』が、ファランヴェールにそうさせただけ。別にアナタじゃなくても、アナタの父親のアキトでも良かったのよ。アキトと交わることがなかった。だからアナタになっただけ。ファランヴェールを愛してる? かわいそうなフユ・リオンディ。アナタは単なる『代用品』なのよ」

「そうではない」

「そうでしょ? 彼がミグランと血のつながった人間でなければ、ファランヴェール、アナタは彼をマスターと呼んだ?」


 ファランヴェールはなおも何かを言い返そうとして、しかしそのまま黙り込んでしまった。


「それが、そうだとしても、今ファルは僕をマスターと呼んでいる。そうだよね、ファル」


 フユが、微笑みながらファランヴェールを見る。ファランヴェールは一瞬はっとなって、しかしすぐに穏やかな顔に戻り、「はい、マスター」と答えた。


「クレア博士、貴女の提案ですが」


 フユがクレアの方へと向き直る。


「ありがとう、一応礼は言っておくわ。さあ、ファランヴェールに」

「お断りします」


 その瞬間、ゴーグル越しにも、クレアの表情が凍り付くのが分かった。


「聞き取れないわ」

「お断りします」

「なぜ? 断って、アナタに何の得があるの?」

「僕が望むのは、これから先もずっと、バイオロイドが人間と手を取り合って生きていく世界です」


 フユが傍にいるヘイゼルの方を見る。ヘイゼルは話の間中ずっとフユの方を見つめていた。

 いつもならとっくの昔に暴れ出していたかもしれない。でもヘイゼルも、何かを感じていたのだろうか、ただフユを見つめていたのだ。


 ダークグレーの髪、ライトグレーの肌、漆黒の瞳。

 フユがヘイゼルの髪をなでた。ヘイゼルの表情に一瞬不思議そうなものが現れたが、すぐに熱い瞳へと変わる。


「人間に奉仕する存在ではなく、共存していく存在として。愛されてもいい存在として。貴女の提案には、その未来がない」


 しばらくの沈黙。

 そしてクレアは――大きな声で笑いだした。

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