4 ウォーレスの選んだ道
「バイオロイドは、道具なんかじゃ、ありません」
フユからは、先ほどまでの勢いは失われていた。しかし、それでも、絞り出すように、言葉を吐き出す。
ウォーレスがまた、カップのコーヒーに口を付けた。
「君がどう思おうが、世の中は君の意思とは無関係に回っている。ベローチェは、『再処理』に回される予定だった。もう登録も抹消されている。それでも生き続けるには、手段を選んではいられない。ボランティアでバイオロイドを『飼い続ける』ことは、今のネオアースではできない」
「でも、だからといって、あんなことさせるなんて」
「偽善と思うか? 結局、私がバイオロイドにさせていることは、許されることではない。でも、どんなことをしても今を、この日を生き永らえれば、いつかあれらも自由になる日が来るかもしれない。それを惨いことだと、君は思うか」
ウォーレスの言葉は、フユが抱いていたウォーレスの印象とはズレている。だからだろうか、それがウォーレスの本心だとは、にわかには信じられなかった。
「部長にとって、バイオロイドとは何ですか」
「さあ、なんだろうな」
再びウォーレスが、フユに着席を促した。今度は、フユはそれに従い、空いていた椅子に座る。
「君は、バイオロイドの生産に反対か。リオンディ君」
「もちろん、賛成です」
「こないだ見せたデータ。あれの意味するところは」
あの時、ウォーレスはただフユにデータを見せただけで、何も語らなかった。しかしフユにはすぐに分かったのだ。
バイオロイドが、人間と「交わるようになった」先の未来が。
「分かっている、と思います。バイオロイドの増加は、人口の抑制、果ては減少を引き起こします」
「それでも、君はバイオロイドを作り続けたほうがいいというのか」
どうなのだろう。フユも、それを何度も自問し、結局答えが見つからなかった疑問である。
いや、そもそも、バイオロイドはそういう目的で作られたのではないか――地球の人口の変遷を見て、フユはそうとすら疑っている。
それでも……
自分はバイオロイドを受け入れ続けるというのか?
フユの父親、アキト・リオンディはフユにそれを問うために、ヘイゼルをフユに『付けた』のだ――フユは今、その確信を持っていた。
「地球では、かつて人間が増えすぎた影響で、様々な問題が発生したと習いました。でも、今の地球はそうではないのですよね」
その答えに、ウォーレスは少し目を細めた。
今、ウォーレスがフユを見る目は、まさに『先生』の目である。
「自分の言っている言葉の意味を、君は理解しているのか」
「はい。でも、僕一人ができることは小さなことでしかありません。僕がいようがいまいが、バイオロイドに賛成しようが反対しようが、ネオアースは『往くべき』方向へと進んでいくでしょう。ただ、僕の個人的な意見を言わせてもらえるのなら、このネオアースにも、いずれ『本当の意味』で、バイオロイドが必要となるはずです」
ふっと、ウォーレスが聞こえるように息を吐いた。
「お父さんに、そう教えられたのか」
「いえ。父は私には何も教えてくれませんでした」
「そうか、恐れ入ったよ。これが、リオンディ博士の遺伝子か」
そう返事をすると、ウォーレスはまたコーヒーに口をつけ、今度は深く椅子に体を預けた。
「今、ガランダシティの行政府内は、二つに割れている。バイオロイド賛成派と反対派にだ。バイオロイド解放戦線の活動の影響で、ここのところ反対派の方が優勢になっている。賛成派は、解放戦線とのつながりを疑われかねず、声を出せないでいるんだ」
「解放戦線は、それを狙っているんじゃないでしょうか。解放戦線の活動は、反バイオロイドにしか働いていません」
「君はそう思うか」
「はい」
「私もそう思う。しかし、証拠はない。行政府やバイオロイド管理局と解放戦線の繋がりを探っていた者がいたんだが、先日のテロ騒ぎの時に、死体で発見されたよ。元管理局の男だったんだがね」
ウォーレスはほぼ仰向けのような態勢で天井を見上げた。
「もしかして、カーミットさん、ですか」
フユの問いかけに少し驚いた表情を見せる。
「知り合いだったのか」
「僕に忠告をくれました。僕が狙われていると」
「そうか」
フユは自分にアプローチをしてきた男の姿を思い出す。彼は死んだのか、それとも殺されたのか。
「警察は躍起になってテロの主犯格『ムイアン』を捜しているようだが、管理局があまり協力的でないらしい。正体すらつかめていないときている。このままバイオロイドによるテロが続くのなら、世論がバイオロイドの生産禁止へと動きかねないな」
「部長は、バイオロイドについてどう考えているのですか。パーソナルインプリンティングの研究は、部長の意志ですか、それともただ言われてのことですか」
ウォーレスの行動からするに、彼がバイオロイド反対派とは考えにくかった。ただ、部長のスタンスを明確にしておきたい――そう思ってのフユの質問だったが、その言葉を聞いたウォーレスは、そのまましばらく天井を見上げたまま、何かを考えていた。
フユが、ウォーレスの次の行動を待つ。ウォーレスは、ふっと口元に笑みを浮かべると、デスクの引き出しから一枚の写真を取り出した。そしてフユへと差し出す。
真っ白の長い髪。しかし、ファランヴェールのような鋭い目ではなく、穏やかな、とても優しそうな眼をしているバイオロイドが写っていた。
顔も少し丸く、とても可愛らしい。でもどこか、大人を感じさせる――まるで『母親』のような女性型バイオロイドである。
「この人は」
フユの言葉に、ウォーレスがまたふっと笑う。『人』ではなく『バイオロイド』だと言いたかったのだろう。
しかしウォーレスはそれを口にはしなかった。
「ミケラ・ディユ・フィロイネといってね。私の研究に長く付き合ってくれた。研究を長くやっているとね、色々あるものだよ」
「この方は、今」
フユが写真をウォーレスに返す。ウォーレスは再びそれをデスクの引き出しにしまった。
「ある場所に保管されている。『再処理』された状態でね」
「保管……ですか」
「ああ」
「なぜ、です。リサイクルされずに?」
フユがそう聞くと、ウォーレスが椅子から立ち上がった。デスクの上の情報端末を操作し、「ヘイゼルを連れて来てくれ」と呼びかける。
そして顔を上げ、またふっと笑った。
「リオンディ君。私は彼女を『再生』したいんだ。いや、ただ『再生』するだけなら、今でもできる。もちろん、違法だがね」
「彼女に、パーソナルインプリンティングを?」
「再生しても『記憶』は残っていない。ならば――そう思うのは、私のエゴだろうか」
その問いかけはきっと、答えを必要とするものではなかったのだろう。
と、ウォーレスの表情が研究者のものへと変わる。
「リオンディ君。自分の意志を実現したいのなら、それ相応の覚悟と行動が必要なのだよ」
その言葉がフユの耳から消えないうちに、部屋にドアをノックする音が響いた。
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