9 その目が見るもの
動きを止めたファランヴェールの代わりに、フユがもう数ミリだけ顔を動かし、互いの唇を合わせる。重なっている間も、しかしファランヴェールの頭の中ではフユの言葉が回り続けていた。
フユの伝えたいことが、ファランヴェールには分からない。
唇はフユから離した。そのままフユは何も言わずに自分の体についたシャボンをシャワーで流し、何も言えずにいるファランヴェールの体を洗ってあげた後、シャワー室を出てしまった。
「マスター、それはどういう意味ですか。人間とバイオロイドとの間に子供ができない。それが、私が、私たちが作られた理由だというのは、どういう」
ファランヴェールはそう声を掛けたが、フユが使うボディドライヤーの大きな音で聞こえなかったのか、それとも聞こえていたものをあえて無視したのか、フユは濡れた体と髪を乾かしおえると、それには返事をせず、裸のままリビングへと向かった。
ファランヴェールも同じように乾かすが、長い髪を乾かし終えるのに少し時間がかかってしまった。
バスローブを着てリビングに出ると、しかしフユの姿がない。
「マスター」
その名を呼びながら、階下へと降りる。青白い非常灯だけが灯る暗い部屋の中で、フユは裸のままフォトスタンドに入れた写真を眺めていた。
純白のファランヴェールとは違い、フユはアジア系の血を引いているせいで肌の色は黄色である。それが補色の光を跳ね返すことなく黒いシルエットを作っている。
「マスター、一体何があったのですか。ウォーレス部長と」
その声に、フユが顔を上げた。その瞳さえも闇に沈んでいる。
「部長に、取引を持ち掛けられた」
「取引?」
「うん。部長の研究に手を貸す代わりに、僕がするすべての行為について隠ぺいしてくれるって」
「何という……それを受けたのですか。ウォーレスは一癖も二癖もある男で」
「分かってる」
「では、なぜ。否定し続けさえすれば、私がどうにかできたものを」
ファランヴェールはフユに近づき、口にしたところでもうどうしようもないことを口にした。
フユが表情を固めて、視線を逸らす。
「知りたいんだ」
そしてそうとだけつぶやいた。
「何を、ですか」
「父さんが作ったパーソナル・インプリンティングがどういうものなのか。なぜ父さんがそれを作り、ヘイゼルに組み込み、何を僕に託そうとしたのか。そして」
フユがファランヴェールに視線を戻す。そこにある瞳――
かつて、居住可能な惑星の存在を信じ、道なき道を進むために太陽系を飛び出し、ネオアースを目指した開拓者たちは、このような目をしていたのだろうか。
「パーソナル・インプリンティングが無くなっても、ヘイゼルが僕を愛してくれるのか」
それは、あらゆることを知らなければ気が済まないという科学者の目なのか、それとも、己が信じるもののためならば他のすべてを犠牲にしてもいいという狂信者の目なのか。
「マスター、どうしてそのようなことを」
知りたいのですか――
しかしファランヴェールには、その言葉を最後まで言い切る勇気はなかった。
フユが、ファランヴェールへと手を伸ばす。
「ねえ、ファル。ファルは、何があっても僕を愛してくれるんだよね」
ファランヴェールはその手を取った。
「もちろんです、マスター」
そしてフユを抱き寄せる。
「じゃあ、今、愛してよ。いっぱい、いっぱい、僕を愛して」
「マスター……」
ファランヴェールは己の欲望に従い、フユを抱き上げ、そしてベッドへと横たえる。
フユへと唇を寄せたところで、フユが言葉を発した。
「部長に、あるデータを見せてもらった」
「データ、ですか。どのような」
今から愛し合おうという二人の間には不釣り合いな内容。それにファランヴェールが少し戸惑い、顔を離す。
フユは、ファランヴェールの目をまっすぐに見つめていた。
「地球とネオアースの人口統計」
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