5 知恵の実①

 恒星ロスの活動は定期的に変化しており、それによりネオアースの季節も移り変わってゆく。ネオアースでの『春分』、つまりロスの活動の沈静期と最盛期の中間点はもうとっくに過ぎており、次第に温暖になっていくにつれて雨も多くなるが、この日も朝からそんな『初夏』を思わせる雨が降っていた。


 午前の学科授業、そして午後からの実技訓練が終わった後、フユは呼び出しを受けたバイオロイド管理棟へと赴いた。


 心配そうなファランヴェール、そして終始不機嫌なヘイゼルとエントランスで別れる。受付の女性に連れられて入った部屋は、応接室や面談室といった類のものとは極めてかけ離れていた部屋だった。


 床にはいくつもの資料が乱雑に置かれ、壁は全面がホワイトボードになっているが、そこには無秩序に様々な記号と数字が殴り書きされている。


「やあ、リオンディ君。まあ、そこに座ってくれ」


 フユを出迎えたのは、無精ひげを生やした白衣の男、バイオロイド管理部の部長、ゲルテ・ウォーレスただ一人だった。


 いや、正確にいうなれば、出迎えたのではない。壁のホワイトボードに向かい何かを書いている最中であり、それを止めようともせず、フユの方に振り向きもせず、言葉を発していた。


「そこ、というのはどこでしょうか、部長」


 フユが見るに、きっとフユが座るべきだろう椅子にはいくつかのファイルが積まれていて、座るどころではない。


「あ、ああ、そういえばそいつらを置いたんだっけ。適当に床に置いといてくれ」

「は、はい」


 適当にというのが一体どういう意味なのかフユには分かりかねたが、ウォーレスは相変わらず壁に記号を書き連ているだけであり、フユは少し肩をすくめた後、椅子の上にあったファイルを何度かに分けて床へと置いた。


 フユが椅子に座ってからもウォーレスは壁への『落書き』を止めようとしない。


「遺伝子地図、ですか」


 壁の落書きの内容を見て、フユはそう尋ねた。


「ああ、そうだ。よく分かったね」

「一度だけ、父のメモ書きでそのような記号を見たことがあります」

「なるほど。これはバイオロイドを設計するものが使う記号だからね」


 書いたものをしばらく眺めた後、ウォーレスはその一部に大きくバツをつけ、自分の椅子に置かれていた資料を床に払い落とすと、その椅子へとおさまった。もはや、床に散在しているものが資料なのかゴミなのか、区別がつかない。


「面談室で、ではないのですか」

「ああ、あそこは誰が聞いてるのか分かったものではないんだよ。ここは『盗聴フリー』だ」


 ウォーレスはフユに目配せをすると、デスクの上の書類の山の隙間に置かれていたマグカップを手に取り口をつける。


「コーヒー、君も飲むか」

「いえ、結構です。要件は何でしょうか」

「ふむ。先日の出動で君はカグヤ・コートライトという女性とイザヨ・クレア博士に会った。そうだね」

「はい」


 活動報告に、フユが覚えていることを書いて提出していた。しかしそれは状況説明にとどめていて、とくにカグヤとの会話の内容は書かずにいた。もちろん、ヘイゼルを作ったのが父だということも。


「カグヤ・コートライトとどんな話をしたのかな」

「父の話を。彼女は父を知っていました」

「そうか。他には」

「母親のことも知っていた様子でした」

「ふむ」


 質問の間ウォーレスは、腕組みをしてフユをじっと見つめていた。フユはそれから視線を外さず受け答えしている。


「パーソナル・インプリンティングについて、彼女は何か話してはいなかったかな」

「研究をしていたが完成には至らなかった。そう聞きました」

「ほお。君のお父さんは、その研究に加わっていたと」


 ウォーレスの言葉は余りにも軽く、フユもそのような話が出るかもと身構えていなければ、危うく『だそうです』と相槌を打ってしまうところだった。


「さあ、それは分かりません」

「ふむ」


 落ち着きのある大人の声。軽さしか印象が残らないような声であり、詰問されているようには感じない。眼鏡の奥から覗く視線は、しかしやけにぎらぎらとしていた。


「もしそうだとしたら、君はどう思う」

「父がどんな研究をしていたのか、父から聞いたことはありません。どう思うと尋ねられても、どうも思わないです」

「しかし、PI技術は研究をするだけで重大な犯罪だ。もしかしたら君のお父さんは罪を犯していたかもしれないんだよ」

「もし父が犯罪者であってもその罪が子供に及ぶことはないでしょう」


 フユの受け答えに、なんら淀みは無い。しかしそれはウォーレスにとっては想定内だったようだ。フユの言葉に彼はさも愉しげに笑った。


「ははっ、確かにそうだ。確かに、確かに。じゃあ、質問を変えようか。君のお父さんは、何か君に残しはしなかったかな。何でもいい。キーホルダーやブローチとか」

「いえ。僕が退院した時には、もうすでに主なものはバイオロイド管理局に持ち去られた後でした」

「ふむ」

「ウォーレス部長もPIに興味がおありですか」


 フユの言葉も、なんら含みもなくさらっと放たれた。だからだろうか、ウォーレスの顔に浮かんでいた薄ら笑いが、そのまま瞬間的に凍結したかのように固まる。


「バイオロイド研究者でPIに興味のないものなど、いない」

「犯罪なのに、ですか」

「すべてのものが興味を持つからこそ、『罪』とされる。まさに『知恵の実』だ」

「そういうものでしょうか」

「そういうものだ。時間を取らせたね。もう行っていい」


 ウォーレスはどこかこの会話に興味を失ったように真顔に戻ると、すっと立ち上がり、フユに背を向けた。また壁に何かを書き始めている。


「では、失礼します」


 フユがお辞儀を一つ。そのまま踵を返したところで、後ろから声が掛った。


「あ、そうだ。もう一つあった」


 その声に立ち止まり、フユが後ろを振り向く。ウォーレスは壁を向いたままだ。


「はい、なんでしょうか」

「ヘイゼルの抱き心地はどうだったかい」


 そう言ってウォーレスが振り返る。その眼鏡が照明を反射し、鈍く光を放った。

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