32 警告

 イザヨ・クレアが口にした『代用品』という言葉に、ファランヴェールは一瞬声を上げようとしたようだ。しかし開いた口を静かに閉じると、すぅーっと息を吐いた。


「今日は、コートライト・ホテルのレセプションパーティに出席されたと聞いていました。ご無事だったのですね」

「凝りもせず、ワタシを狙ってるのよ。『虫の知らせ』が教えてくれたから、ホテルには泊まらず出てきたの。でも、カグヤにも困ったものね。勝手にワタシの屋敷に上がるなんて。許した覚えないのに」


 イザヨはファランヴェールと既知の間柄なのだ。クエンレンの理事長キャノップと行動を共にすることが多かったファランヴェールなら何の不思議もない。


「あの、カグヤ・コートライトという人は何者なんですか」

「あれはそうね、『神気取りの、未確認生命体』といえば良いかしら。あれの言うことをどうとるかは、アナタ次第よ」


 イザヨは、あまりそのことには興味がなさそうな素振りでフユから顔をそらすと、ベッドにも似た席にその体を預けた。


「貴女はホテルが爆破されるのを知っていたのに、自分だけ逃げて他の人には伝えなかったのですね。なぜですか」


 フユがそう尋ねた、その瞬間、部屋の入り口が閉ざされる。そしてフユをわずかな浮遊感が襲った。


『この部屋、動いてる?』


 フユが口にした圧縮暗号に、ファランヴェールが静かに頷く。


「こそこそ話は好きじゃないの。どうせ部屋が動いてるかどうかでしょう? ええ、その通り、動いてる。アナタたちを送ってあげてるの。すぐに着くわ」


 さすがはバイオロイド研究者にしてデザイナーだ――フユは自分の行動を全て見通しているイザヨに、少し苦手意識を覚えた。


「この建物は、貴女の研究所か何かですか」

「『屋敷』よ。アナタたちがいた現場が研究所」

「燃えてました」

「地上部分に大したものは無いわ。地殻破壊弾でも撃ち込まない限りびくともしないから。それよりアナタ、ワタシが『自分だけ逃げた』と言ったわね」

「ええ」

「それがどうかしたの。別にワタシがホテルを爆破するわけじゃない。爆破されるのを知るのも知らないのも、伝えるのも伝えないのも、逃げるのも逃げないのも逃げ遅れるのも、その人の自由だわ」


 イザヨは座席に体を横たえ、半ば上を向いた状態でくつろいでいるように見える。顔にはめているゴーグルにはいくつものケーブルがつながっていて、それらは脈動するように青白いく光ったり消えたりを繰り返していた。


「助けようとは思わないのですか」

「毎日どこかで誰か死んでいるのよ。アナタはその全員を助けることができるのかしら。無理でしょ。一部だけを助けて、ヒーロー気取りになるのは偽善だわ」

「そうやって、僕のお父さんも見殺しにしたんですか」


 フユの言葉には、怒気も怨嗟も感じられない。ただ、相手の思考が理解できないものであることへの戸惑いだけが支配していた。


「アナタの父親、アキト・リオンディ。いいえ、彼だけは違う」


 突然、フユの体をヘイゼルが強くつかむ。


『強い憎しみ』


 フユのインカムから、ヘイゼルの圧縮暗号が聞こえた。


 と、今度は体がわずかに床に押し付けられるような感覚がフユを襲う。


「着いたわ。部屋を出て角を曲がれば、突き当り。そこから外に出られる」


 イザヨの言葉に反応したかのように、部屋の入り口が音もたてずに開いた。


「どう、違うのですか」


 フユがイザヨの方を見つめたままそう尋ねる。


「絶対に許さない。何十年、何百年、何千年経とうが、絶対に。でも、アナタには関係のないことよ」


 もうフユの父は死んでいる。それでもイザヨは『許さない』という。


「貴女は僕のことも憎いと思ってる」


 フユの言葉に、イザヨは少しの間黙っていた。そしておもむろに口を開く。


「さあ、出てって。解放戦線だけじゃない。皆が皆、ピーアイを狙ってるわ。気を付けることね。また会うこともあるでしょう。アナタが生きていたら、だけど」


 そのままイザヨは口をつぐんでしまった。フユはいくつか言葉をかけたが、もう返事はない。


「行きましょう、マスター」


 見かねて、ファランヴェールがフユの腕を取る。フユは仕方なく、二体のバイオロイドと共に、部屋を出た。


 言われた通り通路を曲がると、突き当りになっている。そこに立つと壁が開き、薄明かりの差す夜空と、それをバックにしたビルの黒いシルエットが見えた。


 その周りでは、大型ライトに照らされ、何人もの人影が動き回っている。


『フユ、何でそこにいる!?』


 突然インカムに、カルディナの声が響いた。インカムからの信号がポーターに届いたのだろう。GPSの機能はすでに回復しているようである。


「えーっと、詳しい話は長くなるかな。とりあえず戻るよ」


 フユはそうインカムに応えると、あまり乗り気な表情をしていないヘイゼルを急かし、ファランヴェールと共にポーターがあるだろう場所へと向かった。



 イザヨ・クレアの研究所は、確かに地上部分だけの火災で済んだようだ。地下は途中で隔壁で仕切られていて、そもそも救助隊ですらその向こう側には入れなかったらしい。


 フユたちを回収したポーターはクエンレン教導学校へと戻ったが、それを理事長のキャノップが出迎えた。そのまま活動後のブリーフィングが行われ、そこでフユたちは、シティ中心部で救助活動をしていたシティの救助隊が、活動中の更なる爆破によってかなりの被害を被ったことを知らされた。


「今回のヘイゼルの行動については、学校側の不手際もあったため、処分の対象にしないこととする。ただ今後、シティの救助隊の機能が回復するまでは出動の機会が増えるだろう。非常事態だ。君たちにもある程度の活動をしてもらうことになる。頼んだぞ。では解散。ゆっくり休め」


 キャノップは皆の前でそう締めくくると、深いため息を一つついた。

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