37 証明

 自分の唇をふさいだものが、ヘイゼルの唇であると気づくのに、それほど時間は必要がなかった。

 フユが、振りほどくようにヘイゼルから顔を離す。フユの座っていたソファが、静かな音を部屋の中に響かせてきしんだ。


「ヘイゼル、だからそれはいけないことだって」


 フユは右手の甲で口を押さえながら、ヘイゼルをとがめる。その様子を見たヘイゼルが、フユの目の前に立った。バスタオルが床に落ちる音がして、暗がりの中、ヘイゼルの体が露わになる。


 部屋のわずかな光を反射して、ヘイゼルの肌が鈍い煌めきを放っている。フユは思わず目をそらした。


「見たくないもの? やっぱりおかしいの、ボク」

「そんなことない。ちゃんと調べてもらえば、原因も分かるに違いないよ」

「それで元に戻るの? もし戻らなかったら、フユはどうするの?」


 明るい光の下では随分と恥ずかしがっていたヘイゼルは、今は自らの体を隠そうともせず、フユへとにじり寄る。


「どうもしない。ヘイゼルはヘイゼルのままだよ」


 フユが、視線をあらぬ方向へ向けたままそう答える。


「じゃあ、なぜボクを見てくれないの?」

「服を着てくれたら、ちゃんと見るよ」

「フユ、ボクを見て」


 ヘイゼルがフユの頬に手を伸ばした。その手を取り、フユがヘイゼルへと視線を向ける。無駄な肉が全くついていない、見方を変えればやせ細ったとも表現できるほどの体は、依然と比べ濃い影を帯びている。

 フユは自分の顔が赤くなっているのを感じた。


「ほら、これでいいかい」

「こんな色、気持ち悪い?」


 ヘイゼルが自分の体を見ながらフユにそう尋ねる。


「気持ち悪くなんかないから、早く服を」

「だったら、フユ、ボクを抱いてよ」


 ヘイゼルは、視線をフユへと戻し、身をかがめ、その目を覗き込んだ。金色に揺らめくヘイゼルの瞳がフユの目に映る。


「ヘイゼルは本当に甘えん坊だな」


 やれやれと言ったそぶりを見せながら、フユはヘイゼルにハグをしようとした。それをヘイゼルが振りほどく。


「違う。人間の男性が、女性にするみたいに」

「な、何バカなことを。そういうのは禁止されてるし、そもそも僕たちは男同士で」


 ソファから立ち上がろうとしたフユを、ヘイゼルが押さえこむ。


「あいつとは、してた」

「だから、そうじゃないって」

「ねえ、フユ。知ってる?『使い物』にならないバイオロイドの、末路」


 突然何を言い出すのだろうか――およそこの状況からは想像できなかった言葉がヘイゼルの口から飛び出す。


「末路? エイダーに向かないバイオロイドは、 看護や介護、ハウスキーパーのような他の仕事をあてがわれて」


 ヘイゼルに肩を押さえられながらも、フユは自分が知っている『模範解答』を答え始めた。それをヘイゼルが遮る。


「それは、まだ『使い物』になるバイオロイド。もっとひどいのになると、使い捨ての極地探索に行かされるか、そうじゃなかったら」


 そこで言葉を切り、ヘイゼルはフユの耳元に口を寄せた。


「人間の『慰みもの』にされるんだよ」


 そして小さなささやき声。しばらくの間、部屋の中を無音が支配する。


「そういうことは法律で禁止されて」

「うん、禁止されてる。だからそんなことができるのは、無法者か、さもなくば、法律すら手の出せない『お偉いさん』」


 ヘイゼルの言葉が、フユの耳朶をかすめた。フユが身を離したのは、しかしそのこそばさゆえではない。


「何言ってるんだよ、ヘイゼル」

「『いけないこと』だなんて嘘。やってるやつはやってる。ボク、聞いたんだ」


 フユには、ヘイゼルの意図するところが全く想像ができなかった。


 確かにヘイゼルはこれまでも、フユとの文字通りの『接触』を求めることが多かったが、今夜の言動は一線を越えている。その理由は、ヘイゼルが聞いたという何かにあるのだろうか――


「誰に」


 それを知りたくなってしまった。フユが低い声でヘイゼルにそう尋ねる。


「バイオロイド研究部の部長、ゲルテ・ウォーレス。ボクが『眠ってる』と思ってたんだろうね。メンテナンスカプセルの前でぽろっと話してた」

「何を」

「あの教会が、いったいどういう場所だったのか。なぜあそこにたくさんのバイオロイドがいて、どうして『燃やされた』のか」


 教会跡の火災事件は、バイオロイド管理局が捜査している。しかしカーミットはフユにその話はしなかった。彼は捜査から外されたと言っていたのだ。そこにはなにか『ヤバい』裏がある――


 しかしヘイゼルの行動とその話がどうにもつながらない。


「あの教会に、何の関係が」

「知りたい?」


 フユは怪訝な表情を見せつつも、ゆっくりと頷く。それを見てヘイゼルは、ふっと妖しく笑って見せた。


「じゃあ、ボクを抱いてよ」


 耳をくすぐるような囁きが、フユを誘惑する。


「なぜそうなる。そういうこと、見つかったら」

「そう、見つかったらボクもフユも、重罪だね」

「だったら」

「でもボクとなら、同じ罪を抱えて生きていけるよね、フユ」


 フユを見つめるヘイゼルの瞳は、僅かな光すらも反射して金色に光っている。にもかかわらず、その瞳全体を、得も言われぬ闇が覆っているように見えた。


「ヘイゼル、正気か」

「正気だよ。ずっと一緒って言ってくれたのに、約束を破ろうとしてるのは、フユだよ」

「だから、ファランヴェールは」


 さらに弁明しようとするフユの唇を、再びヘイゼルの唇が塞ぐ。フユは抵抗できずに、その動きをヘイゼルにゆだねた。


 ヘイゼルの唇が、ゆっくりと離れていく。


「こんな色になってしまったボクでもずっと一緒にいてくれるって、ボクを絶対に捨てないって、証明してよ、フユ。言葉じゃなくて、行為で。でなきゃボク、あいつを、殺すよ」


 そう囁いたヘイゼルの目に、敵意のようなものはない。ただうっとりと、フユを見つめている。


 フユがそれをじっと見つめる。見つめて、見つめて、見つめ続けて、そしてフユは心を決めた。


「そうすれば、僕の言うことを聞くんだね」

「うん」

「あらゆる命令を、絶対に」

「うん」

「ヘイゼルが知っていること全て、僕に話してくれるよね」

「うん」

「僕がどんなことを、例えばファランヴェールと何をしても、僕を信じられるんだね」

「うん」

「分かった」


 フユがヘイゼルを押しのけるように立ち上がる。ヘイゼルに向けて差し出されたフユの手を、ヘイゼルは妖しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりと握った。


「これは、罪だよ」


 フユが尋ねる。


「うれしい」


 ヘイゼルは一言、そう答えた。


 フユがヘイゼルの手を引くと、ヘイゼルは引かれるままについていく。そして二人の影が、階下の寝室へと消えていった。

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