29 届かぬ声

 慌てるそぶりも、ましてやヘイゼルを探そうともしないまま、フユは中庭を出て講義棟へと歩き始めた。その後ろをファランヴェールがついていく。


 しかし、フユは講義棟に行くことはできなかった。歩いている最中、始業までもうそれほど時間はないというのに、フユはバイオロイド管理棟へと呼び出されたのだ。


 ファランヴェールとともに管理棟のエントランスについたフユを待っていたのは、指導教官のエタンダールだった。眼鏡の奥からフユを見つめる目線には、苦々しいものが混じっている。


「トレースできない、ですか」


 エタンダールから、ヘイゼルの居場所が把握できないことを告げられた時、フユはそうとだけつぶやいた。


 ヘイゼルは何も身に着けずに脱走したらしい。もちろん、居場所を把握するための発信機も。


 フユは教官に、エンゲージの名を告げてみる。彼ならばヘイゼルの居場所がわかるだろう、と。


 フユがそうしたのは、ヘイゼルの居場所を知りたいと思ったからではない。フユにとって、ヘイゼルの現在地は問題ではないのだ。それは、学校側がどのような対応をとるのかの探りであった。


「やだよ、そんな犬のような真似」


 突然、声がかかる。そしてエンゲージが通路から現れた。


「そういうことだ」


 エタンダールが珍しく肩をすくめて見せる。どうもエンゲージが非協力的なようで、学校側がいまだにヘイゼルの居場所をつかめていないのはそれが大きいようだ。

 なぜエンゲージがヘイゼルを探すのに協力しないのかは、フユにはわからない。ただ、学校側も人員を割いてヘイゼルを探す気はないらしい。


「万が一、ヘイゼルが学校の敷地外に出るようなことがあれば、エンゲージが教えてくれる。それまでは、リオンディ、お前がヘイゼルを探せ」


 我々には、どのみち懲罰房送りになるような『不良バイオロイド』を探している暇などない――エタンダールの口ぶりは、そんな彼の気持ちを表しているようだった。


 始業までのぎりぎりの時間、そして授業が終わってから、フユはインカムを使ってヘイゼルに呼び掛けることにした。


「ヘイゼル、どこにいる。戻っておいで」


 何度もそう呼び掛けてみたのだが、結局ヘイゼルが姿を現すことはなく、かといって誰かがヘイゼルを見たという報告もないまま、その日は終わってしまった。


「何を考えているのか」


 自分の部屋に戻ると、フユは思わずため息をついた。正直なところ、すぐにでも姿を現すと思っていただけに、当てが外れた格好になっている。


「私にもわからない」


 ファランヴェールが軽く首を振って応じた。今日も、ファランヴェールはフユのコンドミニアムで寝ることになっている。もちろん、圧縮暗号訓練のためであるが、フユとしては、自分がファランヴェールと一緒にいれば、ヘイゼルはきっと姿を現す――嫉妬のため、であるが――と踏んでのことだった。


 フユはファランヴェールとともに屋上テラスへ出て、インカムを使ってしばらくの間、ヘイゼルへの呼びかけを行った。


 インカムの通信可能範囲は比較的広く、学校内にいるのならば届くはずである。しかしヘイゼルは一向に姿を現さず、それを行っているフユの姿を見るファランヴェールの顔がどんどんと曇っていくのを見て、フユは仕方なく呼びかけを切り上げることにした。


「ごめん、ファル」

「何が、かな」


 突然、フユが謝罪を口にしたのを聞いて、ファランヴェールは少し慌てた様子を見せる。


「なんだか、気を悪くしているみたい」

「そういうわけでは」

「部屋に戻ろっか」


 なおも何かを言いたげな様子を見せるファランヴェールを、フユはその手を引いて建物の中へと連れ帰った。

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