10 それぞれの自我

 ファランヴェールの視線の先、少し離れた場所では未だ大きな建物が燃え続けている。


 三角屋根から尖った塔が空に突き出た建物であるが、今はその塔も炎に包まれていて、まるで篝火のように見えた。木造ということは、旧時代の遺物なのだろう。


――私と同じ、か。


 ふと、ファランヴェールの脳裏にそんな言葉がよぎる。


 市の管理局からの情報では、居住者も使用者も既にいなかったらしい。ということは、何者かがそこに住み着き、そして不審火を出したに違いない。


 フユが送ってきた指示は、『風上、退避』という二単語だけであったが、ファランヴェールはそれだけで、これから何が起こるかを把握していた。


――脱酸素剤を使うのだろう。


 燃えている場所周辺の大気から酸素を奪い、鎮火させる薬剤である。消火隊の手に負えないほどの規模の山火事などで使用されるものだ。


 もちろん、現場に人間がいる場合は使用できない。肺に吸い込めば最後、数秒としないうちに窒息してしまう。これは人間と同様、呼吸を行うバイオロイドも同じであった。


 消火隊は、現場の状況から、誰もいないと判断したのだろう。ファランヴェールたちがいる場所ならば危険な状況にはなり得ないのだが、念のための退避に違いない。


 この場にいるエイダー候補たち――ヘイゼルも、コフィンも、エンゲージも、皆同様の指示を受けたようだ。


 まずコフィンが移動を始める。つれて、ヘイゼルも動き出したが、ファランヴェールもそれに続こうとしたところで、問題が発生した。

 腕を組み、燃え盛る炎を見ていたエンゲージが、突然、退避に異を唱えたのだ。


「建物の中にまだバイオロイドがいるよ。脱酸素剤なんか使っていいの?」


 その言葉に、ファランヴェールの足が止まる。


「本当か」


 エンゲージは半径数キロ内のバイオロイドの位置が分かるという。その能力について、ファランヴェールも見聞きしてはいたが、いざそれを目の前で語られると、聞き返さずにはいられなかった。


「オレの能力が信用できない?」


 エンゲージの、ルビーのような瞳がファランヴェールを見つめている。まるで試すようなその視線に、しかしファランヴェールは冷静な視線を返した。


「消火方法を決定するのは我々ではない」


 我々――エイダーはいかなる時にも、コンダクターの指示が最優先である。


「見殺しにするっていうの」


 いつの間にか、ヘイゼルが戻ってきていた。


――バイオロイドの命など、興味もないだろうに。


 ファランヴェールを責めるためだけに、ヘイゼルがそう言っているのだろうということが、ファランヴェールには手に取るようにわかる。


「自己判断での行動は、許されない。それにエンゲージ、君はウェイ君にそれを報告したのだな」


 ファランヴェールの確認に、エンゲージは黙ってうなずいた。


「ならば、退避だ。消火隊には、コンダクターが連絡をする」


 ファランヴェールがそういうと、エンゲージは返事もせず、風上に向かって走り出した。ふん、という音を残し、ヘイゼルも走り出す。


 ファランヴェールにとって、エンゲージの行動は意外だった。コンダクター候補生の指示よりも、自らの判断を優先しようとしたのだ。それがヘイゼルであれば、納得がいくのだが……


 そう考えてから、ファランヴェールは自らの考えに苦笑する。


――私が言えたものではないな。


 既にエンゲージもヘイゼルも、視界から消えている。ファランヴェールは一度だけ燃え盛る建物へと視線を送ると、風上へ走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る