4 君と僕の間には


「あいつ、絶対フユを狙ってる」


 へイゼルが、ベッドにうつ伏せに寝っ転ろがりながら、不満げな声をあげる。白いインナーシャツを隠すように広がっているヘイゼルの長い髪は、どこかいつもの艶がない。それを見て、フユは少し手入れが必要だと思った。


「こら。今は圧縮暗号の訓練中なんだから、ちゃんと圧縮暗号を使って」


 フユの言葉に、ヘイゼルの頬から「ぷぅ」という不満げな音が漏れる。


 救助現場への同行。決定はあまりにも突然で、フユにはまだその実感がない。

 クールーンは、ファランヴェールの前ではまるで猫をかぶったように、殊勝な返事をしていた。

 カルディナは……フユはあれからまだカルディナとは連絡を取れてはいない。カルディナは、本当に直談判したのだろうか。


『その時』がいつ来てもいいよう準備しておくようにと言われていた。もちろん、それは日中とは限らないのだ。

 だからなのだが、本当ならばヘイゼルは、例えパートナーの部屋の中にいてもパーソナルウェアかスクールウェアを着用しておかなければならない。いつ出動になってもいいようになのだが、しかしヘイゼルはそんなこともお構い無しに、とっくの昔にスクールウェアを脱ぎ捨てている。


『フユを見る目が、いやらしい』


 今度は、インカムからヘイゼルが発した圧縮暗号が聞こえてきた。『いやらしい』などという単語は、きっと任務に必要ないものだろう。しかし、ヘイゼルがファランヴェールのことを言うときは、必ずといっていいほどその言葉を使う。必然、そんな言葉まで暗号化されてしまっていた。


『ファランヴェールをあいつだなんて言わないの。それに、ファランヴェールは男性型だよ。男同士なんだから。大体、人間とバイオロイドとの』


 最初に比べれば、かなり複雑な会話も行えるようになっていた。しかし、バイオロイドは第二の耳を使い、頭に思い浮かべるだけで相手に信号を伝えることができるが、人間は直接音声でマイクに話しかけないといけない。


 そのフユの言葉がまだ終わらぬうちに、ヘイゼルはベッドから跳ね起きると、デスクに座るフユに顔を近づけ、その言葉を遮った。


「ねえ、人間って『キス』するんでしょ。どうやるの? ボクにも教えてよ」


 当然、なのだろう。ヘイゼルは、細く切れた眉毛も、そして伏せがちに伸びる睫毛も、髪と同じく灰色である。しかし、フユがその事に気づいたのは、二人が正式なパートナーになり、ほぼ毎日のようにヘイゼルが部屋に来るようになってからである。


 よく見ようとすれば、どうしてもその美しさに見入ってしまう。だからフユは、ヘイゼルの顔をじっと見ることを避けていたのだ。


「ダメ。性的行為は重罪。ヘイゼルも知ってるだろ。ほら、戻って」


 フユは、わざとこわい顔をして見せた。しかしヘイゼルは、涼しげな顔でそれを受け流し、更に顔を近づける。

 ふわっと、ヘイゼルが放つ匂いがフユの鼻を掠めた。それは薬品を思わせるものであり、バイオロイドがよく使うメンテナンスカプセルを満たす液体のにおいなのだが、その中に、フユはどこか懐かしいものを感じている。


「フユとなら」


 ふと、ヘイゼルが真顔でそう口にし、そしてその後の言葉を飲み込んだ。フユが見つめる視線の先に、ヘイゼルの黒い瞳がある。


『ほら、訓練を続けるよ』


 フユは、未練を振り払うように、圧縮暗号を口にしながら、ヘイゼルのおでこを手で押した。


 このところ、ヘイゼルは以前にも増してフユに絡むようになっていた。それも肉体的に、である。

 きっと、フユがファランヴェールと『接触』する機会が増えたからなのだろう。それは『嫉妬』なのかもしれないが、まるで『恋人を取られそう』な様子にしかみえず、フユは少し困っていた。


 そう、バイオロイドと人間は交わってはいけない。そのために、男性コンダクターには男性型エイダーを、女性コンダクターには女性型エイダーを担当させるという制度になっているのだ。


 フユとヘイゼル、その繋がりは強いものだとフユも感じている。しかしそれは、人間とバイオロイドの関係でなければならない。その先は、ヘイゼルがもし女性型であったとしても、ありえないのだ。


 ましてやヘイゼルだって男性型バイオロイド……


 そこでフユは、学校から伝えられたことを思い出した。フユを襲ったバイオロイドは、確かにヘイゼルと同じDNA設計図から作られたものだったと。しかし、どこの誰があのバイオロイドを作ったのかはわからずじまいだったらしい。


 もしかしたらヘイゼルを作った『フォーワル』という人物のことが分かるかもしれない。そう思っていたフユの期待は裏切られた格好となった。しかし、それだけではない。フユの中に、さらなる謎ができてしまっていた。


――なぜ、あのバイオロイドは女性型だったのだろう。


「どうしたの、フユ」


 物思いにふけってしまった様子のフユを見て、ヘイゼルが心配そうに声をかける。

 もしかしたら、ヘイゼルが何かを誤解したかもしれない。


「何でもないよ」


 フユがそう微笑んだその時、不安を掻き立てるような電子音が、部屋の中に鳴り響いた。

 フユが慌てて、壁に設置されているパネルに取り付く。そこに表示された文字を見て、フユの顔に不安がよぎった。


「出動?」

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