17 殺意の結晶


 ファランヴェール一人を除き、部屋の中にいる者の視線は大きなスクリーンに映し出された小さからぬ変化に釘付けになっていた。


 それまで、緩やかなスピードで――といっても、通常の人間よりははるかに速いものではあったのだが――移動していた二つの光点のうちの一つが、突然、スピードを上げ、もう一つの光点と離れたのだ。


 その軌跡は、起伏や障害物が多くあるはずのフィールドの状況を無視するような直線だった。

 部屋の中にどよめきが起こる。その直線の延長線上には、クールーン・ウェイがいるのだ。この部屋の中にいる誰もが、その光点の主、ヘイゼルの行動の意図を理解していた。


「やはりヘイゼルには、人間のいる場所が分かるのか」


 キャノップの独り言のような問いかけに、第一八班の指導教官が「いや、しかし」とつぶやいた後口ごもる。


 スクリーン上では、エンゲージを示す光点の動きも、それまでの緩やかな蛇行運動から直線運動へと変わったのだが、今のところその延長線上には誰もおらず、皆の注目はそちらには移らないでいた。


 ヘイゼルがクールーンとの距離をそれまでの半分以上詰めたところで、エンゲージの動きが止まる。そのあとすぐ、エンゲージからクールーンへと圧縮暗号通信が送られたようだ。それを示すサインがスクリーン上に表示された。


「ヘイゼルの接近を伝えたのだろうな」

「慌ててるんでしょう」


 それを皮切りに、教官と理事長の間でいくつかのやり取りが交わされる。その間にも、ヘイゼルはクールーンへと近づいて行っていた、しかしクールーンを示す光点に特別な動きはない。


 クールーンが発見されるのも時間の問題……皆がそう思った、次の瞬間、突然ファランヴェールの声が部屋の中に鋭く響き渡った。


「今のは何ですか」


 ファランヴェールがモニターの一つを指さしている。それはフィールドの中央付近を映す滞空型の無人定点カメラの映像だった。


 その言葉は、モニターを操作しているオペレータに言ったのか、それとも部屋の中にいる教官やもしくは理事長に向けたものだったのか、誰にも分からないまま、皆がそのモニターへと視線を移す。


 しかし、画面にはごつごつとした岩肌とその周りに生える木々が映っているだけで、何か変わったところは見受けられない。


「どれの事だ」

「すみません、C3の五番カメラの映像、一分前から再生できますか」


 キャノップの問いかけに、ファランヴェールがオペレータを見る。それに応じたオペレータがモニターに再生画像を映し出した。


 モニターに映る、これまでと変わらない風景。と、木々の間から人影が飛び出し、岩場の上に乗る。そしてそのまま崖下へと消えていった。


「戻して」


 ファランヴェールの声に、映像が逆再生され、人影が岩場に戻ってきたところで止まる。

 全身が茶色いフードマントで隠されていて、遠目ではそれが何者なのかが分からない。


「茶色……ここのものではないな」


 キャノップがそうつぶやく。

 クエンレン教導学校が正式なものとして生徒やバイオロイドに支給している防電磁波マントはムーンストーン色である。


 映像が拡大されたが、斜め上からのアングルということもあって、着ているもの以外ではっきりと見えたのは、フードに収まりきらずに首元から下へと垂れ下がる長い髪だけだった。

 しかしその色が……


「灰色」


 教官の一人が思わず声を上げる。

 それはある種類の――ティア・タイプのバイオロイドのみが持つ特徴的な髪の色だった。


 このフィールドにいるティア・タイプのバイオロイドはヘイゼルしかいないはずである。しかしそのヘイゼルは、今まさに、クールーンの元にたどり着こうとしているのだ。映像の場所に居るはずは、なかった。


「理事長」


 ファランヴェールがキャノップを見る。キャノップは一瞬の迷いも見せることなく、オペレータへと指示を出した。


「エンゲージに緊急通信。フィールドにいるバイオロイドは何体だ」


 慌ててオペレータがコンソールを操作した後、インカムに話しかける。数秒後、そのオペレータがキャノップの方へと振り向いた。


「一三体、だそうです」


 一体多い。この場にいる全てのものに、それが理解できた。


「警備の連中は何をしていた」


 キャノップの厳しい言葉が飛ぶ。しかしそう言葉を発したキャノップ自身も、今さらそれを言ったところでどうにもならないことを自覚している。


「試験を中止させろ」


 キャノップがそう叫ぶ中、ファランヴェールは、キャノップの指示も待たずに、部屋を飛び出していった。



 ヘイゼルの視界に、驚いた表情を隠せないでいるクールーンの姿がある。きっとその目には、ヘイゼルの黒いドレスが、まるで死の宣告をしに来た死神の装束のように見えていることだろう。


「一体、どんな手を」


 クールーンが思わずそうつぶやくが、それが独り言なのか、それとも自分に問いかけたものなのか、それはヘイゼルには分からない。

 ただ、例えそれが問いかけだったにせよ、ヘイゼルには答えようがなかった。


 聞こえる。

 フユに向けた負の感情の放つ声が。


 どうやって、なぜ、できるのか。知りたいとは思わない。フユを助け、救うこと。それだけが、ヘイゼルのやるべきことだった。


 クールーンを発見したことをフユに伝え、それをフユが報告すれば、当面の危機――フユが「特待生」の資格を失うかもしれないという危機を乗り越えることができるだろう。


 ヘイゼルが、頭の中にフィールドの全体図を思い浮かべ、今いる場所を強く意識する。そのイメージが、ヘイゼルの「第二の耳」から波として放たれようとした、まさにその瞬間、ヘイゼルは突然の不快感に襲われ、思わず右手で頭を押さえた。


 まるで、頭の中に粘性の高いどろどろとした液体が流れ込んでくるようだ。それらが言葉にならない叫びを上げている。


『コロス! コロス!』


 何の予兆もなく、突然発生した殺意の結晶。それが今まさに、フユのすぐ傍にある。

 ヘイゼルに、それが分かった。


「な、なに」


 突然様子がおかしくなったヘイゼルに、クールーンが思わず声を掛ける。しかしヘイゼルは、頭に手を当てながら遠くを見上げると、黒いドレスを翻し、あっという間にクールーンの許からいなくなってしまった。


 唖然としたままでいるクールーン。と、インカムに緊急通信が入る。


『試験中止。各自その場で待機』


 訓練棟からの指示だった。


「中止……どういうことだ」


 クールーンは首をひねったものの、その後に続く指示はない。


 発見されたにもかかわらず、報告もされず、そして試験が中止される。その、得も言われぬ気持の悪さに、クールーンは思わずその場に「ぺっ」とつばを吐き捨てた。

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