16 異変 ③


 訓練棟の中の一室、その壁に設置されているスクリーンにはフィールド全体のマップがあり、そこに試験に参加している全ての生徒とバイオロイドの位置が光点として表示されている。

 何人かの教官がそれを見上げているが、その中に混じって、黒の上下の上にムーンストーン色のマントコートを羽織ったレ・ディユ・ファランヴェールと、ダークグレーのスーツに身を包んだ理事長キャノップ・ムシカの姿があった。


 皆の視線が、スクリーン上で重なりながら移動している二つの光に注がれている。


「一体、あいつは何を考えている」


 教官の一人がそう漏らした。


 このセット、フユ・リオンディはクールーン・ウェイ以上の成績を残さなければ、特待生の資格を失うかもしれない。というのに、ヘイゼルに捜索をさせず、悠長にも一緒に行動しているのだ。

 その奇妙さに、教官たちの意識が向いてしまっていたのは仕方のないことだった。キャノップも、少し興味深げにスクリーンを見守っている。


 そのような状況の中、ただ一人、ファランヴェールだけが皆とは違うモニターを見つめていた。そこに映し出されていたのは、定点カメラがとらえたコフィンの姿である。


 ファランヴェールは、コフィンが何かを目で追いかけているのに気が付いたのだ。しかし、その視線の先の物体はカメラの視界とは逆方向にあり映し出されてはいない。かといって、全体マップと照らし合わせても、コフィンの視線の先には生徒もバイオロイドもいないはずなのだ。


 気にしすぎかもしれない。考え事をしていて、ただ視線が固定されているのか、もしくは単にフィールドに迷い込んだ野生動物を見ているのかもしれない。

 今は試験中であり、わざわざそれをコフィンに問い合わせるのも、ファランヴェールには躊躇われた。


「すみません、C3に設置されている定点カメラの映像を全て見せてもらえますか」


 ファランヴェールの頼みに、オペレーターが不思議そうな顔をしつつも、モニターの映像を、それぞれ別の場所に設置されている三つのカメラのものに切り替える。


「どうした、ファランヴェール」


 キャノップがそれに気づき、ファランヴェールに声を掛けた。


「いえ……特に何がというわけでは」


 生返事、と言ってもいいだろう。ファランヴェールは、何かを探すかのように、三つのモニター見つめ続けた。 



 フォーワル・ティア・ヘイゼルに、なぜ自分の居場所が分かるのか。


 エンゲージから送られてきた、ヘイゼルが接近しているという圧縮暗号を聞くや、クールーンは息が止まるような感覚を覚えた。

 とっさに岩壁の陰に身を伏せる。そして胸を押さえ、ゆっくりと、まるで酸素の一粒一粒を確かめるように息を吸い込んでいく。肺が空気で満たされるのを確認すると、それらを一気に吐き出した。


「あり得ない」


 そう、あり得ない。たまたま、そう見えるだけのこと。

 慌てる必要はない。勝利は自分の手の中にあるのだ。


――本当にそうか?


 クールーンの心の中に、別の声が響く。

 昼休憩の間にこれまでの2セットのデータを見たが、ヘイゼルの動きが明らかにおかしい時がいくつか見られた。まるで、ターゲットの位置が分かっているかのような動き……


――ヘイゼルには人間の居場所を探知する能力があるのか?


「あり得ない」


 そんなデータは、無い。そう見えるだけだ。


 そう自分に言い聞かせたところで、クールーンの中に芽生えた不安は消えるどころか、さらに大きくなっていく。


「特待生の座から、おとなしく退場すればいいのに。忌々しい」


 試験が開始されて五分、エンゲージは既に一人を見つけていた。ヘイゼルはまだゼロである。

 明らかに自分が有利であるはずなのに、それでもなお自分を不安にさせる存在、フユ・リオンディ。

 試験はまだあと三十分以上は続くだろう。こんな不安を抱いたまま、その時間を過ごすことを考えたとき、クールーンはぞっとした。


 そんなものは早く取り除くべきだ。ヘイゼルの発見数がゼロのまま、リオンディを見つけることが出来れば、その時点でクールーンにとっての試験は『終了』である。総合成績二位という結果が確定するのだ。


 まだ近くにバイオロイドはいない。今なら、エンゲージに通信を送っても、誰かに気付かれることはないだろう。


 クールーンは『誘惑』に、負けた。


「ターゲット、リオンディ」


 インカムを使い、エンゲージに指示を送る。


 1セット目にフユ・リオンディをターゲットにしてエンゲージを行動させたが、その時はうまくいかなかった。しかしそれはデータが足りなかったからだ。

 分析が済んだ今は、フユ・リオンディの行動パターンは分かっている。1セット目と2セット目、『あいつ』は常にヘイゼルからそう遠くない場所にいた。そのことはエンゲージとも話し合っている。


「今度は逃がさないよ、フユ・リオンディ。さっさと転げ落ちちゃえよ」


 クールーンの喉の奥で、くっくっくっという音が響いた。



 フユの前を跳ねるように進んでいたヘイゼルが、突然足を止める。そして、生い茂る木々の隙間から見える空を見上げた。

 空はどんどん雲行きが怪しくなっているようだ。


「雨、降るのかな」


 はぁはぁと息をつきながら、フユがヘイゼルに追いつき、そう小声でつぶやく。フユはもうすでに息が上がりかけていた。


「聞こえた」


 視線を空に向けたまま、ヘイゼルがそうつぶやく。


「何が、だい」

「声。クールーン・ウェイの。妬み、嫉み、そして蔑み」

「もしかして、僕に向けたもの、かな」


 そこで初めて、ヘイゼルがフユの方を見る。


「うん」

「随分と嫌われてるようだね……居場所、分かるのかい」


 フユの問いに、ヘイゼルが黙ってうなずく。


「よし、行こうか」


 そういってフユが前へと歩を進める。その腕を、ヘイゼルがつかんだ。


「どうしたの」

「ボクが行ってくる。フユは隠れてて」


 ヘイゼルの言葉に、フユは少しの驚きを覚える。しかしヘイゼルの、まっすぐにフユの目を見つめる黒い瞳を見て、フユは少し表情を緩め、そしてうなずいた。


「頼んだよ、ヘイゼル」


 ヘイゼルもうなずきで答える。そしてヘイゼルは、これまでとは全く違った軽やかさとスピードで、斜面を跳ぶように駆け上がっていった。

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