18 三度目の襲撃

 ヘイゼルと別れた後、フユは目の前にあった小さな洞に身を隠そうとして、すぐに思いとどまった。


 もうこのフィールドでは一年生ですら何度も訓練を行ってきている。五キロメートル四方というと決して狭くはないだろうが、もうこのフィールド内にある「隠れるのに良さそうな場所」は、ほぼすべて把握されていると言ってもいい。


 万が一近くに来られても、どうにかやり過ごすためには、意外な場所に隠れ、防電磁加工されたマントで体をくるみ――本来は、恒星ロスから発せられている有害な紫外線などから身を守るためのものなのだが――体から発せられる様々な生体波をできるだけ封じながら息をひそめるしかない。その波を頼りにバイオロイドたちは人間を探すのだから。


 発見されるのを待つ人間を捜索するという内容の試験であるはずなのに、その対象が捜索者から身を隠すというのもなんだかおかしなことのように思え、フユはクスリと笑った。


 それはヘイゼルからの連絡が来るまで隠れてさえいれば、この試験における最大の目標――総合成績でクールーンより少しでも上回ること――を達成できるという気持ちからの緩みだったかもしれない。


 山肌を木々に隠れながら進み、視線の通らない場所を探す。と、足元の石が崩れ、バランスを崩してしまった。慌てて斜面に縋りつく。石が木々の隙間を下へと転がり落ちていった。


「いけない」


 思わず声を出し、石の行く先を見つめる。と、そこに一つの人影が立っているのが見えた。


――見つかった。


 息を飲む。何というヘマをしてしまったのか。でも、ヘイゼルはこんな近くには誰もいなさそうだと言っていたのに……


 そこまで考えて、フユは視線の先、自分のいる場所から少し斜面を下ったところに立ったままでいる人影に対して、小さからぬ違和感を覚えた。


 こげ茶色のフードマント。その顔は、フユではなく斜面を向いていて、フユからは顔が見えない。見えているのは、フードからあふれるように出ている長い髪の毛だけである。


 その色……灰髪。


 すぐに、目の前にいるのが今この試験に参加しているバイオロイドではないことが分かった。


 誰――


 そう言おうとして、フユの息が詰まる。

 フードマントを着た、見知らぬバイオロイド……どこかで見た光景。

 どこか? それは地下街。


 がはっという音とともに、止まっていたフユの息が吐き出される。その音に……だろうか、人影がその顔をゆっくりと上げた。その拍子に、フードが頭からずり落ち、中に隠されていた顔があらわになる。

 それを見て、フユの息がまた詰まった。


「ヘイ……」


 いや、そんなはずはない。しかしそれは、まごうことなく、この場にいるはずのない顔だった。美しいとすら思えるその造形。吸い込まれそうなほどに黒い瞳。


 ただ……やはり違う。その目は虚ろで生気がない。着ているものも違う。


 彼であるはずがない。彼は今、黒いドレスを着て、生き生きとした瞳で、クールーンを見つけようとしているのだ。


「だ、れ」


 息を吸い込むのも忘れ、フユはかすれてしまった声で、視線の先にいるバイオロイドに問いかけた。

 その瞬間、そのバイオロイドが目を見開いてフユを見た。異常なほどに大きく見開かれた目の中の瞳に、光が宿る。まるで狂気を帯びているかのような。


「ミツケタ……ワタシノ……」


 何と言ったのか、それ以上は聞き取れなかった。いや、それを意識して聞くよりも、やるべきことがフユにはあった。


 踵を返し、斜面を駆け上がる。逃げ切ることは不可能に思えた。相手はバイオロイドである。できるだけ目立つ場所へ。ただそれだけを求めて、フユは斜面を駆け上がった。


 後ろは振り返らない。その暇はない。木と木の間を縫って、斜面を駆け上がる。まだ完全に回復したとは言えない体であったが、持てる限りの力を足に込めた。


 密に茂る木々が切れる先に、白っぽい岩場が見えてくる。あそこにいけば、誰かが見つけてくれるかもしれない。荒い息のまま、さらに足に力を込めた。


 それがいけなかったのだろうか。突然、足を支えるものがなくなり、前のめりに倒れこむ。土の柔らかい場所で足を滑らせてしまったのだ。


 しまったと思った次の瞬間、フユは強い衝撃と、そして質量を背中に感じた。バイオロイドの長い髪がフユの頭に掛かる。そのまま後ろからフユの首へを腕が回された。


 どういうことなのか、それが分からず、フユの頭は混乱しきっている。


 と、首に絡んだ白く細い腕が、その見かけからは想像できないほど強い力でフユの首を締め付け始めた。

 息が、できない。


 それが誰で、なぜ、どうして自分を襲うのか。

 なぜ、自分のパートナーになろうとしているバイオロイドとそっくりなのか。

 いや、もしかしたら、今自分を襲っているのは、まさにその……


 一瞬、フユの脳裏によぎった思いは、しかし、フユの背中に当たるある部分の圧力によって、かき消される。


 そのバイオロイドは……女性型だった。

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