第13話 交わす言葉
突然フユがヘイゼルの方を向いた。ラウレの横顔を睨んでいたヘイゼルは、フユの視線に気が付くのに遅れてしまう。ともすれば目を覆い隠してしまうほどに長い灰色の髪の向こう側で、ヘイゼルの目が驚いたように見開かれた。
しかし次の瞬間、ヘイゼルがフユの目の前へと踊り出る。その動き、フユには本当に舞い踊るように見えたのだが、余りに近くに来たせいで、フユは少し身を引いてしまった。それにも構わず、ヘイゼルがフユの目を至近距離から覗き込む。
「フユ! ボクだよ、ヘイゼルだよ!」
透き通った声が、歌うように言葉を奏でた。ヘイゼルの黒い瞳はまるで暗闇に浮かぶ鏡のようだ。フユの栗毛色の前髪が、ヘイゼルの瞳の中で揺れている。
「ありがとう。あなたが助けてくれたおかげで、僕は今、ここにいます」
フユが優しく声を掛けると、周りのバイオロイドたちが怪訝な声を漏らす。コンダクター候補生とすでに面識があるというのは、一体どういうことなのか。そう訴えかけるようにラウレがファランヴェールを見たが、ファランヴェールは腕を組み目をつむったままじっとしていた。
フユの言葉に、ヘイゼルが顔を高揚させる――バイオロイドの体液は薄紫色をしているが、感情などにより赤から青まで色を変化させる。今は随分と興奮しているようだ。
「どういたしまして」
ヘイゼルの顔に照れが浮かぶ。その表情は、まるで長い間会うことのできなかった恋人を目の前にしているかのようだった。
「あなたに、怪我は無かったのですか」
荒れ狂う爆風の中、フユがその身に受けるはずだった破壊のほとんどを、このバイオロイドは自らの体で受け止めたのだ。どれほどバイオロイドが人間よりも丈夫に作られていると言っても、限度がある。フユはずっとそれが気がかりだった。
「えっと、あの後、一週間ほどメンテナンスカプセルの中で過ごしたかな。でも、懲罰室とは比べ物にならない位快適だったよ」
ヘイゼルが頬を薄紅色に染めてうつむく。
バイオロイドには自然治癒力がない。怪我をすれば、『修理』が必要なのだ。ヘイゼルの負った傷は、一週間程度の『修理』が必要だったのだろう。それがどの程度の損傷だったのか、今のフユには分からないが、軽くは無かったはずだ。
「ごめんなさい、僕のせいで」
「へ、平気だよ。人間と違って、傷も消えてしまうし。というか! そんな堅苦しい挨拶なんかしなくても」
ボクとフユの仲なんだから――
ヘイゼルの口が、まるでそう続けるかのような形でを見せる。しかし、フユはそれを無視した。
「あなたを作ったフォーワルという人はどんな方でしたか。ごめんなさい、DNAデザイナーの名前をよく知らなくて」
ヘイゼルの名前は、フォーワル・ティア・ヘイゼル。フユが知りたいのは、そのフォーワルという人物のことである。しかしその途端、ヘイゼルの表情が戸惑いで曇った。
「知らない。見たことも会ったこともないし」
ヘイゼルが口ごもる。フユはその後も、フォーワルという人物やヘイゼルを作った会社なり研究所なりについての質問をぶつけていった。しかしヘイゼルは「知らない」を繰り返すばかりで、はっきりした答えを言おうとしない。フユはヘイゼルの反応を更に不思議に思った。
バイオロイドにとって、『生みの親』とも言えるDNAデザイナーや『生まれた場所』と言える製作所は、自分のアイデンティティの一つであり、アピールすべきブランドである。
『知らないなんて……そんなこと、あるのかな』
フォーワルという人物に会えば、父親について何か聞くことができるかもと思っていたフユは、落胆を隠すことができなかった。
フユの反応を見たヘイゼルの顔に、どこか焦りにも似た表情が浮かぶ。
「ねえフユ、もっとボクのことを訊いてよ」
右手で自分の胸を押さえ、ヘイゼルはフユにそう訴えかけた。しかしフユは言葉を失ってしまう。
アキト・リオンディを知っているか。なぜあのホテルにいたのか。なぜ自分を助けたのか。そもそも、なぜテロ事件が起こるのを知っていたかのような行動をとれたのか。そして……
フユの喉を突いて出てきそうな言葉は、どれもあの事件に関することばかりだった。
「と、得意なことは、何ですか」
ようやくその質問を絞り出す。
「フユを見つけること、だよ」
とけるような笑顔で、囁くようにヘイゼルが答える。その吐息を間近で感じた瞬間、フユの脳裏にテロ事件での光景がフラッシュバックした。
何もかもがスローモーションで吹き飛んでいく……
「そ、そうですか。ありがとう」
耐えきれなくなり、フユはヘイゼルから目を逸らす。その行為が、ヘイゼルの顔から一瞬で微笑みを奪ってしまった。
「フユ……」
わずかに震えながら、ヘイゼルがフユに手を伸ばす。
「ヘイゼル。許可なく候補生に触れるのは規則違反だ」
横から、ファランヴェールの鋭い言葉が飛ぶ。ヘイゼルは、あらん限りの憎しみを込めて、声の主を睨みつけた。
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