1 出会いはピンチとともに

セットした目覚まし時計が元気よく鳴り、午前6時を知らせる。布団からもぞもぞと手を伸ばし、目覚ましのスイッチを切る。


「優弥ゆうや、早く起きなさい」

「んー」


 階段下から母親の呼ぶ声が聞こえる。優弥と呼ばれた少年は夢か現かも分からぬままに返事をした。春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、ほどよい気温と布団の温さが優弥を掴んで離そうとしない。

 再び眠りにつこうとした時、優弥は急に体を起こした。


「やばい、今日入学式だった」


 とたんに眠気が吹っ飛ぶ。

 幸い気づいたのが早くまだ入学式までの時間的ゆとりはあった。優弥は一階のリビングへ向かい、テーブルに並べられた朝食を食べ始める。

 テレビには朝のニュースが映っていた。


「昨夜、謎のバケモノの姿が確認されました。今月に入ってすでに五件目となる――」

「また出たのか。おはよう、優弥」

「うん」


 ソファに座ってくつろぐ父親の挨拶にもしっかり返事をする。


「また出たの。不気味よね」

「なんとかならんのかな」


 夫婦の会話を聞き流し、優弥は口をもぐもぐと動かしながら自分の部屋に戻り身支度を済ませた。これからの成長を見越して購入したため、制服は少し大きい。


「じゃあ行ってきます」

「ほんとにいいの? やっぱ送ってあげようか?」

「いいよ母さん。もう高校生なんだから」


 別れの挨拶もほどほどに、優弥は駅に向かって歩き出した。電車に揺られること二時間、目的の駅に到着した。学校までは駅から歩いて十分ほどの距離だ。現在の時刻は八時四十五分、入学式が始まる九時まではまだ多少時間がある。

 優弥は携帯の地図を見ながら歩き出した。



 入学式は滞りなく終了した。

 新入生は各々の教室に戻り、そわそわしながらそれぞれの担任を待つ。優弥の在籍している一年四組もまた例に漏れず浮き足立っていた。しばらくして前の扉が開き、スーツに身を包んだ男女が入ってきた。


「はじめまして。君達の担任となった佐藤大だ」

「副担任の三山晴子です」


 佐藤先生はがっちりした体型をしている。おそらく専門は体育なのだろう。一方三山先生は華奢で、長い黒髪と黒く縁取られたメガネが特徴的だ。


「今日は自己紹介と書類を配ってそれから授業だ。じゃあ早速阿川から始めてくれ」

「はっはい! 阿川一成です。趣味は映画鑑賞です。お願いします!」


 お決まりの拍手とともに阿川は着席した。顔には安堵の表情が浮かんでいた。


「じゃ次。順番が来たらどんどん紹介してけよ」

偉久保独いくぼひとりです。趣味とかは特にありません。よろしくお願いします」


 偉久保は終始顔色ひとつ変えず淡々と自己紹介をすませた。あまりにも自然な紹介に、皆がワンテンポ遅れて拍手をする。

 その後も着々と進み、優弥の番となった。


鹿賀優弥かがゆうやです。趣味は読書とゲームを少し。これからよろしくお願いします」


 当たり障りのない自己紹介でやり過ごす。始まりとしては及第点といったところだ。

 その後も自己紹介は続き、最後の和久井が席に座った。


「これで全員終わったな。もう少しで終了のチャイムがなるから、そしたら次の準備しとけよ」


 そう言い残し佐藤は教室を出て行った。その後でチャイムが鳴り、二時間目の終了を告げた。休み時間中皆少しずつ打ち解け始め、教室が騒がしくなる。

 優弥も勇気を出して隣の席の偉久保に話しかける。


「僕、鹿賀優弥。よろしくね」

「ああ」

「偉久保くんは何か好きなものある?」

「特にない」

「んー、じゃ動物とかは?」

「……猫」


 偉久保の味気ない返しで気まずい空気の中、チャイムが鳴り次の授業が始まろうとしていた。



 昼前に学校は終わり、優弥は春休みの間に決めておいた新居へと向かっていた。片道二時間の通学を見かねた両親の計らいで、春休みを利用してすでに準備は終えていた。


 その帰り道、歩く優弥の足下に野球ボールが転がってきた。

 急に現れたそれを拾い上げ、あたりを見回す。どこにも人の気配がない中、曲がり角の向こう、ちょうど人家の塀で死角となっている場所から小さく声が聞こえてきた。

 優弥は野球ボールを持ちながら角を曲がった。


「あの、これ落とし……ました……よ」


 一瞬何が起きているのかがわからなかった。しかし、あたりに漂う血の匂いではっと我に帰る。

 同時に優弥は今朝のニュースを思い出した。あの画像と姿形こそ違えど、目の前にいるのはそのバケモノだ。


 優弥は動くに動けなかった。

 今はピチャピチャと何かを食べているからまだいいが、動いて音を出そうものなら最悪死ぬかもしれない。


 とめどなく流れる汗が優弥の衣服を濡らす。やばい、と思った時にはもう遅かった。手汗で滑ったボールが血溜まりへと落ち、ぱしゃと音を立てた。


 音に気づいた眼前のバケモノは咀嚼をやめ、ゆっくりと優弥の方を向いた。体の半分の大きさの口と二本の足で構成されたそれは一歩ずつ優弥の方へと歩みを寄せる。奥にある小学生の男の子の半身が優弥の目に映る。


 明確な死のイメージが頭に浮かぶ。

 逃げようにも、体が言うことを聞かない。その間にも着実にバケモノは優弥に近づく。鋭利な歯は赤く染まっており、ニヤニヤと笑っている。


「くるなぁ! くるなぁ!」


 叫ぶ優弥は恐怖のあまり失禁し、現実逃避するように目を瞑る。


 その時、バシャバシャと何者かが血溜まりの中を走る音がした。


「ウギャア!」


 足音が消えるや否や、今度はバケモノの悲鳴が聞こえた。

 優弥は軽くパニックになりながらも、恐る恐る目を開いた。


「おい! 大丈夫か!」


 目に飛び込んできたのは見たことある顔だった。端正な顔立ちも黒の短髪も、服こそ違えど間違いなかった。


「い、偉久保くん……?」

「よかった、意識はあるんだな。立てるか?」

「なんで偉久保くんがここに? それにその刀……」

「詳しいことはあとだ。それより早く逃げろ!」


 悲鳴を上げていたバケモノが再び襲いかかろうとしていた。偉久保は持っていた刀で受け止める。


「早くいけ!」

「う、うん」


 優弥は言われるがままにその場から逃げ出す。無我夢中で走り、気がつけば新しく住むアパートの前にいた。



 一方そのころ戦いを終えた偉久保は携帯を取り出した。モンスターは真っ二つに切られ、地面に横たわっていた。


「もしもし片無さん」

「やあ偉久保くん。君から電話とは珍しいね。どうしたの?」

堕体だたいの報告があった場所へ行ったら同級生がいました」

「おいおい、そりゃ大事だよ。助けたかい?」

「もちろんです。ただ、そいつが見えてました」

「……へぇ、面白いね。連れて来れる?」

「十中八九そう言うと思ってましたよ。あ、もし連れて来れなくても俺のせいにはしないでくださいね」

「わかったよ。じゃあ」


 そう言い残し、片無の方から電話を切った。

 偉久保は駆け足でその場をさった。

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