2章 第18話 料理


「お母様、料理教えてー」

「え、料理?」


 居間でテレビを見ながらダラダラしていたら突然息子からそんな声がかかる。学校から帰って来て部屋でタイピングの練習をしていると思ったのだが、いつの間に居間に来たのだろうか?


「なんで急に料理?」

「いや、特に深い意味はないんだけど興味があって......」


 なるほど。

 まぁ料理なんて将来結婚するにしろ一人暮らしするにしろ必要になるスキルだし、今の内に覚えておいて損はない。それに料理できる男っていうのもかっこいい......と私は思う。

 そしてなにより息子と一緒に何かする口実を得られるのは私にとっても嬉しい。


“じゃあ、今日は煮物作る予定だったしそのお手伝いでも......”


 そう考えたところで私は考えを改める。

 見ろ。息子の表情を。この目は単純に料理に興味がある目ではない。この目は......


“これ、転生を視野に入れた現代知識の勉強だな”


 6年間育てた私だからこそ分かる息子の邪な動機。うちの息子はあくまでも来世を見越しているようだ。


"いや現世を生きてくれ!"


 私はそんな当然のことを切に願う。




「じゃあ、何作ろうかー?」

「んー、どうしよう......」


 私は息子に軽い口調で話しながらも、その内心、頭をフル回転させていた。


 息子の動機を察してしまった今、先ほどとは事情が変わった。

 今日ここで何を作るのかというこの選択。

 一見何でも良いに見えるかもしれないが、その実とても重要なのである。


 それはなぜか。

 これにより今後の息子の料理に対するモチベーションが決まるからだ。


 ここで『じゃあ煮物でも作ろうか』などと軽率に言ってみろ。息子のテンションはだだ下がり。息子が私とキッチンに立つのは今日が最後となること必至だろう。


"それはダメ! せっかくのチャンスなんだから!"


 そう、これはチャンスなのだ。逆にここで息子の心を掴めば毎日息子と料理することだって夢ではない。そうなれば平日であろうと日常的に息子と関わる時間を確保できる。いや、よもや幼い内から毎日一緒に料理する習慣さえ作ってしまえば反抗期などの問題も起こらないかもしれない。

 たかが料理、されど料理。そこには計り知れない可能性を秘められている。


"よく考えろ。 私は何をチョイスするべきだ?"


 記念すべき1回目の料理に何を選ぶか。

 息子の心を掴むためには、

 息子が想定する異世界の世界観に合うものであり、

 なおかつ息子がワクワクするようなもの

でなくてはならない。


 では、それは一体何なのか。


"まず、特殊な調理器具を使うものは論外"


 圧力鍋や電子レンジなど異世界では再現するのが難しい道具を使う料理はなしだ。基本は火で直接加熱するか茹でる、ぎりぎり釜があるくらいの世界観を想定すべきだろう。


“材料は野菜? いや、野菜はリスキーね”


 野菜や果物は代用が効きやすいため、“のようなもの”が横行する性質がある。特に、トマトソースなどの特定の野菜を使う料理は、それがなかった時点で作れなくなってしまうため厳しい。もっと確実に異世界に存在する材料が良いだろう。


“そう考えると、肉もやめておいた方がいいかな”


 異世界に牛は豚がいるとは限らない。それに異世界では動物の変わりに魔物肉で代用する可能性もある。そう考えると、動物の肉を使った料理は異世界では作れない可能性がある。



 そこまで考えたところで発想を転換する。

 使えない食材ではなく使える食材。

 ほぼ確実に異世界に存在する食材は何か だろうか?


 その答えはもうすでに私の中にある。


“やはり、小麦か?”


 なろう系の異世界の基盤はヨーロッパ風風であるため、主食はパンであることがほとんどである。そう考えると、小麦は使えると考えてよい。


"じゃあケーキ? いや、それだとベーキングパウダーがない"


 ケーキなどの膨らませる料理ではベーキングパウダーを使っているものが多いが異世界にはないのでダメだ。同じ理由でイースト菌などを用いて発酵させる料理もNG。



 私は今までのことを総括して考える。

 小麦を使って、

 無発酵かつ膨らませなくよい、

 特殊な材料を使わない、

 心惹かれる料理。



 そしてついに私は閃く。

 息子の心を掴む画期的なアイディアを。


「ねぇ、」


 私は何を作ろうかと考えてる息子の方に向き直り提案する。


「フォッカチオ作らない?」


 フォッカチオ。

 イタリア料理である平たいパン......であるフォカッチャを模したサイゼの商品である。

フォカッチャはイースト菌を用いて発酵させるレシピが主流であるが、無発酵で作るレシピも存在する。また、ナンを作る際のヨーグルトのように、特別な材料は特に必要なく、食用の油があればそれっぽいものを作ることができる。



 私は息子の反応を窺う。

 ......どうやら私の発案は正解だったようだ。


「うん! それがいい!」


 息子は非常に良い笑顔でそう答えた。


"ありがとう、サイゼ!"





 私は息子が小麦粉の分量を量るのを後ろから見守る。

 ここまでは順調。万事計画通りだ。


“あとは無事に完成させて息子は料理にハマらせるだけ......”


 私は心の内で黒い笑顔を浮かべる。


「できた! お母様次は何すればいいの?」


 食材に触れて料理をすること自体が初めての息子。分量を測るだけでもが楽しいのか明るい声でそう聞いてくる。


「じゃあ、次は塩を測って入れようか」


 そう言って息子に塩を渡す。息子は私から受け取った塩を持って、


......まじまじと観察し始めた。


「ねぇ、お母様」


 とても嫌な予感がする。


「塩ってどうやって作るの?」


“そこでひっかかっちゃったかー!”


 調味料。

 異世界において現代知識無双をする際に度々主人公の手によって作られるものである。

 砂糖、醤油、味噌、ソースなどその種類は多岐にわたる。基本的には中世ヨーロッパには存在しなかった、作るのに多少複雑な工程が必要なものや日本古来のものが作られる。


 ......しかし作品によってはその定石を覆し、塩すらも主人公が作り出す可能性がある。



“しょうがないか......”


 私は料理を一時中断させる。

 塩なんて意外に簡単に作れるし、まぁこれくらいは常識として知っておいてよいだろう。


 私は説明する。


 塩は海水を加熱して水分を蒸発させてば採れること



......そして重要となるその効率を上げるための方法として、塩田の作り方・原理、イオン交換膜の使い方・イオンの移動、加熱時の蒸気の再利用法等々......



 私の講義は腹を空かせた夫が帰って来るまで続き、夫の進言によりその日の晩ご飯は出前を取ることとなった。

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