2章 第16話 後悔
東堂雅人、24歳、小学校の先生。
最初に教員を目指したきっかけは何の面白みもない、最もポピュラーなもの。
中学校の頃の先生に憧れたからだった。
その先生は真面目で愚直。現代に合わない熱血気味の先生だった。
学生の頃、俺もクラスメイトも最初の内は暑苦しいとか言って避けていた。でもいつからだっただろうか。気付いた時にはみんなその先生を信頼していた。
“きっとその先生がどの生徒に対しても真摯に対応し続けてきたからだろう”
子どもながらにそんなことを思った。
新社会人1年目の一昨年、俺もそんな先生になろうと努力した。
担任を任されたクラスの生徒の名前をすぐに覚え、会話もたくさんできるように、できるだけ長く教室に居座るようにした。
学校が東京ということでませていた生徒も多かったがそんなことにもめげずに生徒と正面から向き合った。
生徒が間違ったことをしたら堂々と注意した。
生徒が反抗的な態度を取っても、話し掛けることをやめなかった。
最初は認められなくても構わない。
きっといつかみんな分かってくれる。
淡い願望を抱きながら、そんなことをずっと続けていたのだ。
ずっと。
でも、ある日ふと分かってしまったのだ。
確か2学期も中ごろに入って授業をしていた時だっただろうか。いつも通り授業を聞かない教室の生徒達を見て察してしまったのだ。
“あ、これいつまでも変わらない奴だ”
半年経っても一向に改善しない生徒との関係。
俺のやり方は間違っているのではないか。そんなことは薄々気づいていた。
でも、俺は自分を変えることができなかった。半年間続けたこのやり方を曲げることができなかったのだ。変えてしまえばこの半年間の自分を否定することになる。それがひどく怖かった。
修了式の日、クラスのみんなに最後の挨拶をした。でもそれは、4月の自分と比べて心の籠っていない薄っぺらな言葉だった。
それもそうだろう。俺はその時、ひどく安堵していたのだから。
別れを惜しむことも寂しく思うこともなかった。生徒を1年間受け持ったそのやりがいすら感じていなかった。
やっと終わる。この長い長い1年がやっと。
ただそれを安堵していた。
思い出す価値もないような薄っぺらな言葉の羅列。ただ、その中でも1つ、今でも思い出す言葉があった。
......これだけは一生かけても忘れられないだろう。
『みんな、新しいクラスになってもがんばってね』
俺が最後に締めくくった言葉。
これに対してクラスの中心核の男子が言った。
『先生もー、来年はがんばってくださいねー』
クラスで起こる失笑。全員がバカにした顔で俺を見る。
“あぁ、”
その時思ってしまった。
“1年間何やってたんだろ、俺”
心の折れる音がした。
俺は地元に帰らなきゃいけなくなったとか適当な嘘を吐いて中学校教員を辞めた。せっかく東京まで出て来たのになんだろう。この体たらくは。
東京が嫌で地元に帰って。でも家族に顔向けできないから少し離れた所で一人暮らしを始めて。
1年バイトで食い繋ぐけど、やっぱり生活が厳しいから定職に就きたいとか考え。
仕事を探しても、持っているのは教員免許だけだから結局は教員。
でも中学校は怖かったから小学校の先生に。
バイト以外ほぼ何もしなかった1年で、なんとか精神的には立ち直った。いや、そもそもうぬぼれていたのだ。新卒1年目で全てがうまくいくなんてそんなことがあるはずもないのに。
そう、失敗して当然だったのだ。今ではそれが分かる。
でも俺は、そんな今でも教壇に立つと考えてしまうのだ。“俺は全てのことから逃げて、この教壇に立っている”のだと。
そう。
東京というませた子どもが多い土地からも逃げて地元に来た。
歪に大人びた生徒が多い中学校からも逃げて小学校に来た。
だからこそだろう。俺は今、強く思う。
「複数人と同時に付き合うなんて女の敵よ!」
「そう思ったとしても、面と向かって他人の恋愛観を否定することは良くないでしょう!」
ませた子どもと、大人びた子どもが言い争っている、この現場を見て、
“逃げてきたはずなのに思ってたんと違う!!”
と。
もう少し小1らしくしない?
入学式から2週間ほど経った。
この2週間、俺の人生の中で最も早かったといっても過言ではない。
それもそのはず。2週間で明らかになる1つ1つの事実に脳の処理が追いついていかなかったのだ。
発覚した事実その1。
クラスに3股している男がいて、その彼女が全員同じクラスだということ。
その男の名を若葉天成という。
天成くんが妙に大人びているということに関しては、
『家の本を勝手に読んでしまって......あ、もちろんカチカチの奴ですよ!』
と天成くんのお母さんが言っていたので信じるしかないだろう。カチカチの本という意味はよく分からないが、本から知識を得たのであれば、妙に偏った知識に富んでいることも、大人のような言動を取ることも頷けるだろう。
“いや、にしても大人びすぎているけどな”
最初に完璧な敬語で話された時は本当に驚いた。ほぼ間違いなく天才なのだろう。
発覚した事実その2。
やけにませている少女が大人に食って掛かると共に、クラスの治安を崩しているということ。
その少女の名を上野愛花という。
愛花ちゃんがなぜませているのか、ということに関していえば、これまた本が原因だった......まぁ本といっても漫画なのだが。
彼女の母親は全国有数の少女漫画作家らしく、家にはその資料としてたくさんの少女漫画があるらしい。それを片っ端から読んで育ってしまった結果、
・ませた態度
・何でも色恋沙汰に結びつける
・メルヘンな物が好き
というような何とも言えない人格に育ってしまったらしい。
小1にしてこの吸収力。天成くんがいるので見劣りするかもしれないが、この子もれっきとした天才だろう。
そしてそんな変人2人が集まったクラス経営がつつがなく進行する訳もなく、常に2人は何かしらで言い争いをすることとなった。
特に天成くんが3股しているのがどうしても愛花ちゃんは許せないらしい。まぁ、少女漫画を読んで育った愛花ちゃんからすれば、逆ハーレムこそあっても、ハーレムは認められないだろう。
先ほどの言い争いもこの2週間ゲリラ的に何度も行われているものの1つである。
まぁ、どうせまた決着は付かないのだろう。
「本当の愛が1つだけだなんて誰も決められないでしょう?」
「いや、違うもん! 私そんな終わり方するの見たことないもん!」
2人の様子を静観する。授業中であれば止めるのだが、あいにく今は休み時間だ。取っ組み合いのけんかをしている訳ではないんだし、そう無理矢理止めることもないだろう。
「まぁまぁ、2人とも落ち着いて」
いつ終わるか分からない言い争いをする2人をたっくんがなだめる。大抵はたっくんが仲裁に入って2人とも引き下がるのであるが......
“いや、1番分からないのは9股しているお前が仲裁していることだけどな!!”
発覚した事実その3。
9股している男がいる。
最初噂を聞いた時はそんなまさかと笑っていたのだが、どうやら各クラスに3人ずつ彼女がいるらしく、本当に9股が成立しているらしい。
1度意味が分からなかったのでたっくんを中心にした相関図を描いたのだが、全員中心に向かって“→好き”になるオタクが考える相関図みたいになったし、描いたところで何も意味は分からなかった。
“まぁ、仲裁が入ったということはそろそろこの言い争いもひと段落付くだろう”
そう思って成り行きを見守っていたのだが、今日はそうはいかなかったらしい。
さらに白熱した言い争いに発展している......というかそろそろ授業が始まるので流石に止めた方がよさそうだ。
「ほら、そろそろ授業始まるからそこまでねー」
俺が間に入って仲裁する。しかし、2人は止まらない。
「先生はどっちが正しいと思うんですか?」
「先生も3股なんてしちゃダメって思うよね?」
「え!?」
2人に振られ、咄嗟に考える。俺が答えるべき答えは何か。
教育者の答えとしての正解。それはきっと
『どちらも正しいよー』でお茶を濁しつつ、両方を肯定して話を流すことだろう。
“時間もないし、適当に答えを返しておけばいいだろう”
そんな風に考えた時、ふと昔の記憶がよみがえる。
『分かってあげられなくてごめんね』
俺が東京行きの新幹線に乗る直前、そう言って幼馴染は泣きそうな顔で笑った。
1つ上で姉のように慕っていた彼女を俺はずっと好きだった。でも結局最後の最後まで想いを直接伝えることができずに、別れの時は来た。
別れ際、俺は焦った。彼女に最後に言わなきゃいけないことがあるはずだと。でも、そんなことを考える暇もなく、無情にも新幹線の出発のアナウンスが鳴る。
......焦った俺が最後に言い放った言葉。それは今でも覚えている。完全なる八つ当たりだ。
俺はずっと後悔してきた。時間に迫られ口走ってしまったその言葉を。彼女を傷つけてしまったことを。
“同じことを彼らにも繰り返させるのか、俺?”
俺の言葉を待っている2人の顔を見る。
いや、見なくてもその答えは決まっている。
“そんなのは違うだろ!”
俺はあの後悔を2度と味わいたくはない。
そして教え子にも決して味わわせてたまるものか。
俺は答えを探すことに本腰を据える。
“俺ができることはなんだ?”
ここで俺が正解を言ってもきっとこの子達は納得しないだろう。
いや、そもそも自分で正解を見つけなければこの2人は納得しないだろう。
“この2人が間違いを犯さないために”
俺は焦って間違えた答えを出した。その結果幼馴染を深く傷つけてしまった。
でも、この子達はどうだ。
俺と違いまだ時間がたっぷりある2人。
ここで区切りを付けなければ、確かに2人の言い争いは続いてしまうかもしれない。
しかし。
焦った答えでお互いを否定して傷つけ合ってしまうよりは。
この先も言い争いを続けて答えを探していく方が。
数段良いのではないだろうか。
自分の中で正解を導いた俺は、その答えを口にする。
「まだ、結論を出すには早いんじゃないかな」
2人はまだ6歳。そう、まだ先があるのだ。
これからも言い争いを続ければいい。そうやって何度となくぶつかって、成長して。
その先で自ずと出てきた結論であれば、きっと2人も納得がいくのではないだろうか。
「そうですね......」
「そうだね......」
2人も分かってくれたようで、言い争いを止めこちらを見てくる。
その目は的確な助言をくれた先生に対する尊敬の念
......ではなく、哀れみの念に満ちていた。
“ん? 哀れみ?”
2人は同時に俺の肩に手を置いて言った。
「「確かに恋愛経験のない先生にはまだ早かったかもね(しれませんね)」」
―キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴り、立っていた子ども達全員が席に座るために動き出す。
呆気に取られて動かない男は、この期に及んでまた、ここからも逃げ出す算段を立てるのであった。
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