2章 第11話 名前

 私の名前は若葉七海。しがない二児の母......になろうとしている人間である。


 お腹に子どもがいる状態で働くのは大変ではあるが、それでも無理なく続けることができる小説家という職業はとてもありがたいものなのだ。

 編集の水上さんからも、

『おめでとうございます! 今度お祝い持っていきますね!

 あ、あと仕事に関しては私から上司に言っておくので無理しないで大丈夫ですよ!』

 と言われている。そんな軽くて大丈夫か水上さん......と少し不安にはなったが、まぁお言葉に甘えさせてもらう。

 とりあえず書きかけの小説だけは出産前に完結させよう。



 夫と息子に第二子を報告した息子の誕生日。その場は騒然となった。

 でも、すぐにありがとうと頭を撫でてくれた夫、弟ができると喜び手を取ってくれた息子に囲まれて、私は恵まれていると改めて感じた。

 精神的に病んでいた天成の時とは異なり安定しているのは、そんな2人を含め、近くで支えてくれる人がたくさんいることを知ったからだろう。



「お母様打てたよー!」


 息子がうれしそうにタブレットの画面を見せてくる。


 息子の名前は若葉天成。6歳に満たずしてなろうの沼にはまってしまった悲しき被害者である。

 彼は今、誕生日にもらった新しいおもちゃに夢中である。

 キーボードを繋いだタブレットを常に持ち歩き、思いついたものをなんでもかんでもタイピングしている。きっとローマ字の練習をしているのだろう。

 キーボードを与えてしまったため、この先本格的に小説......まぁ多分なろう系を書き始めるのだと思うと少し気が重いのだが、それはもうしょうがない。十分に活用してもらいたいものだ。



「僕、弟の名前考えたんだ!」

「え!?」


 息子が文字列の並んだタブレットを生き生きと見せてくる。すると画面に映っていたのは、


 若葉八(エイト)


 ......いやこれは紛れもなく


“キラキラネーム!”


 キラキラネーム。

 現代の日本でも問題になっている、親が子どもの名前をオリジナリティのあるものにしようと考えた結果付けられる、独創的すぎる名前である。


 この名前というもの、なろう系においても注意しなければならない点がある。


 主人公が世界転生する作品の場合、異世界に適したカタカナの名前が転生した際に付けられるので大きな問題は起こり得ない。


 しかし、異世界に転移する場合はそうはいかない。

 主人公は日本で名付けられるため、その名前は漢字となる。けれど、その主人公を異世界人が呼ぶとなった際に漢字表記をしてしまうとなんとも言えない違和感があるのだ。そのため、作者は名前をカタカナ表記することになるのだが、その際にあまりにも世界観から浮いていると没入感を低下させてしまう。


 つまり、なろう系の異世界転移系主人公には、カタカナ表記で異世界に馴染み、漢字表記で日本に馴染む名前を付ける必要があるのだ。



“いや、だとしたら名前『八』だけはバランス悪いだろう!“


 多分、カタカナ表記に釣られすぎたのだろう。日本で浮かない名前という観点がおざなりになっている。


「いやぁ、いい名前だね。考えておくよ......」


 私は息子の方を向いてプライドを傷つけないよう、やんわりと断る。

 

"ん?"


 すると、その時に気付く。八の下に他の案があることに。


若葉塩素(シエル)


 シエル......?

あー、なるほど...... 塩素(Cl)だけにシーエル。シエル......


“いや、分かりにくすぎる! しかも妹じゃなくて弟だぞ!”


 私は心の中でツッコむ。

 どうやら息子にはネーミングセンスがないようなのだ。息子が盛り上がって勝手に決めてしまわない内に、私もちゃんと考えておかなければ。


「僕、もっと考えるね!」


 息子がまたタブレットに文字を打ち始める。

 名前の案に期待できないのは残念だが、別のところで少し安心する。


"息子も弟を楽しみにしてくれているんだね"


 心配しなくても息子はもうすでにお兄ちゃんなのだ。私が何か言うまでもなく。


 私なんかが思っているよりも、息子の成長は著しい。

 きっとこのまま段々と、私が何か教えるということも少なくなっていくのだろう。


 でもそれでいい。


 だって息子には、他人を気にせずただ伸び伸びと成長してくれることを願ったのだから。



「そういえば、お母様!」

「ん? どうしたの?」

「僕の名前の由来はなんなの?」


 弟の名前を考えていたら、自分に立ち返ったらしい。息子が私に質問する。


「そうだな......生まれた時、転生者だと思ったからかなぁ......」


「え!? ほんと!?」


 なぜ嬉しそうなんだ息子よ。


「なんてね。うそだよ!」

「えー!」


 思ったよりも大きなリアクションをとる息子に私は笑う。



 そんな休日の昼下がり。

 何気ない、そして貴重な毎日が、今日も過ぎていく。




てん-せい【天成】

人力によらず自然にできあがること。天然自然なこと。

(広辞苑より抜粋)

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