第10話 章末(1)
てん-せい【転生】
生まれ変わること。輪廻。
(広辞苑より抜粋)
高校の頃、なろう系に出会った私はこの言葉を聞いただけでワクワクしていた。
なろう系主人公のように転生するならどんな世界が良いか。
異世界に転生したらどう生きようか。
異世界に持っていくならどんな能力が良いか。
そんなことばかり考えていた。
しかし、母親になると分かってから、その見方が大きく変化した。
自分の子どもが転生者だったらどう思うだろうか。
自分の子どもが転生者だったら教育方針はどうしようか。
自分の子どもが転生者だったらちゃんと愛してあげられるだろうか。
転生する主体が自分から自分の子どもへと変わったのである。
もちろん、本気で自分の子どもが転生者なんじゃないかと疑うほど私も沼ってはいない。
きっと妊娠時の言いようのない不安をそんな言葉で紛らわしていたのだろう。
変わっていく身体。
変わっていく生活。
変わっていく周囲の反応。
そして、
変われない自分。
私の心だけが置いてかれる感覚。
私はあの時、唐突に訪れた荒波のような変化に恐れていたのだ。
......天成と出会うまでは。
「あ~......なんか身体が重い~......」
私は力なく呟く。誰も聞いてないのだから、声を張る必要はない......いや、そんなことを言ったら呟く必要もないのだけれど。
身体が重い理由を考える。すると、パッと思いつくだけでいくつかの候補が挙がってきた。
もしかして:夜更かし?
“いやいや、あのくらいの夜更かし。全盛期なら特段珍しくもなくやってたし”
そう私は思い、本気でゲームをやり込んでいた頃を思い出す。
確かに数年前は夜更かしなんてザラだったし、よく徹夜でゲームをしたもんだ。
“数年前”は。
もしかして:歳?
私は嫌な予感が頭をよぎるが首を振り、その考えを振り払う。
“ダメダメ、そうやって素人が勝手に判断するのは危険なんだから!
病院へ行くべきよね! それはもう早急に!”
私は今日病院へ行くことを決意する。これで寝不足ですとか言われたらどうしよう......
「よし! やる事は決まったし、さっそく動きますか!」
病院に行く前にやっておかなければならないことがある。
天成が帰って来るまでにタルト生地を作っておき、冷蔵庫の奥で冷やしておく必要があるのだ。
なぜかって?
それは、明日は1年に1回きりの特別な日だからだ。
“私、おいしいレアチーズタルト作るよ!”
明日、2月28日は息子の誕生日である。
1回目の焼成を終えたところで重石を取り除き、2回目の焼成に入る。
あと15分ほど焼けば完成だ。
“あとは夜中にレアチーズ生地を流し込めば、明日には食べられるよね!”
私は明日のサプライズパーティーまでのタイムスケジュールをもう1度確認する。
誕生日ケーキは間に合いそうだし、プレゼントももうすでに隠してある。
完璧なスケジューリングであった。
“あ、病院行く前に洗濯物を取り入れておこ!”
これが完璧に自分の生活をこなせている証拠であろう。誕生日パーティーの準備の間に、家事も卒なくこなす。まさに完璧な母親である。
“さ~て、そろそろやっけたっかな~”
洗濯物を取り入れ終わった私は、ノリノリでオーブンへ向かう。
正直に言おう。この時私は自分に酔っていたのだ。
キッチンに入ると、オーブンの中を熱心に覗く息子がいた。
「え? なんで? どうしているの?」
驚きと焦りから思ったことが素直に口から出る。
息子もオーブンの中に集中していたからだろうか。私の顔を見ると一瞬驚きながらも私の質問に答える。
「今日はハイキングがあるからそのままお家に送ってもらうって言ってなかったっけ?」
あ〜、そうだった。
課外活動があるから、家が近い子は幼稚園に戻らずそのまま帰って来るんだった......
“というかまずい、見られちゃった”
別に誕生日パーティーがサプライズじゃなきゃいけない決まりはないが、このままだと今までの計画が全て破綻してしまう。なんとかごまかさなければ。
「えーと、これはね。あのー......」
「あー、オーブンの中真っ暗で何を作っているのか分からなかったよー」
息子の棒読みがキッチンに響く。
「へ?」
「もう何も見えないオーブンを見ててもつまらないから自分の部屋にもどろー」
息子は息つく間もなくそう言い切ると、回れ右をして部屋の方に歩いていく。
この息子の対応......
これは、まさか......
“鈍感系主人公!?”
鈍感系主人公。
なろう系の主人公でよく使われる、特に異性からの好意に鈍感な主人公である。最終的にハーレムを作るなろう系作品では、最初から主人公がハーレム狙いだといろいろな所で角が立つため、
“気づいた時には、複数人から好意持たれちゃってた! もうこれは全員と付き合うしかないな!”
という状況を作り出す。その時に便利なのがこの鈍感系主人公である。
また、この主人公タイプはなろう系に関わらずラノベにも登場し......
“いや、よそう。 現実に目を背けるのは”
解説をすることで現実逃避をしていた自分を止める。これは鈍感系主人公でもなんでもない。
これは、ただの
“ただの大人の対応だ!”
息子が部屋へと消える背中を見つめる。
子どもの成長というのは早いものである......
「「お誕生日おめでとー!!」」
「ありがとー!」
息子が素直に嬉しそうな声を出す。誕生日パーティーが始めるまでは気づいていないフリをしていて表情も硬かったのだが、始まってしまえばその必要はない。
存分に楽しんでもらいたいところだ。
「はい、これが誕生日プレゼントだぞ!」
「やったー! 開けていい?」
そう確認を取りつつもすでに開け始めている息子。手渡した夫もなんだが誇らしげである。
「え、これって?」
息子がプレゼントを見て疑問符を頭に浮かべたので、私が説明をする。
「これは、キーボードとローマ字練習用のソフトだよ」
夫と何度も議論を重ねた結果、行き着いたのがこれだった。
息子はすでに自分で詠唱を考えるなど書き手としての人生に興味を持ち始めている。
これ以上なろう系に染まるのは大変遺憾ではあるが、それにしたって今の内からタイピングに慣れておいて損はないだろう。そう思ってのプレゼントだ。
「これで天成も、お母さんの後を継げるな!」
夫が嬉しそうに息子の頭をなでる。
夫の言葉を聞いてやっとプレゼントの真意に達したのか息子は嬉しそうに微笑みながら、
「うん! 僕、お母様も超える立派な小説家になるよ!」
と決意を表明するのだった。
「じゃあ、改めて今日6歳になった天成から今年の抱負でも聞いてみようかな?」
夫が軽い無茶ぶりをする。
「そんな急に言われても困っちゃうでしょ」
私は夫を制しようとしたが、息子の考えは私とは違ったようだ。
「分かった!」
そう言うと目を爛々と輝かせながら生き生きと語り出す。
「まずね、このプレゼントでローマ字を覚えるでしょ!
それで、ローマ字を使って小説を書くんだ!
あとその小説をネットにも上げてみたい! 少し怖いけど自分の作品を誰かに読んでもらいたいんだ!
それにね、今年から小学校に上がるでしょ! だからそこで友達たくさん増やすんだ!
あとね、勉強も始まるからそこでいっぱい勉強する! それに勉強すればそれだけ小説の出来もよくなるでしょ!
それにね、あとね、あとね......」
息子が楽しそうに1年の予定を語っていく。それは尽きることがなく、夫が静止するまでずっと続いていた。
「そんないっぱいしてたら1年で収まりきらないぞ」
夫は笑って言うと、
「でもそれくらい来年が楽しみなんだ!」
息子が笑顔で返す。
“あぁ。息子は変化を何も恐れていないんだな”
私は改めて実感する。
幼稚園から小学校に変わるこの1年で生活は大きく変わる。
きっと今までのような家で息子と一緒にいる時間は減るのだろう。
そして息子は小学校での生活が中心となっていくのだ。
新しい友達と会って意気投合するかもしれない。
もしかしたら、反りが合わずにけんかをしたりするかもしれない。
頼りになる上級生のお兄さんを見つけることができるかもしれない。
もしかしたら、やんちゃな上級生に生意気だって怒られるかもしれない。
新しい先生にも出会って、いろんなことを教えてもらうかもしれない。
もしかしたら、怠け者で何も教えてくれないかもしれない。
良いことも悪いこともこの先にはたくさん待っているだろう。
でも、息子はなにも恐れていない。そのどれもが全部楽しみだというのだ。
“そっか。 変化は怖がらなくていいんだね”
私は息子が生まれた時のことを思い出す。
出産するまでどうすればいいか分からなくて、分からなくて。不安でずっと泣きそうだった。
それなのに生まれてきた息子の顔を見た時、ふと思ったのだ。
“あぁ、何も怖がる事はない。
この子と、夫と一緒に人生を歩めばそれでいいんだ”
と。
私は今日また、改めて息子に教えてもらったのだ。
変化は楽しいものなのだと。
「私も今年の抱負を言います!」
「え、どうしたいきなり!?」
「お母様どうしたの?」
夫と息子の戸惑いの声を振り切って、私は高らかに宣言する。
「私は今年、このお腹にいる子を、天成の弟を元気に出産してみせます!」
張り裂けんばかりの夫と息子の驚きの声を聞きながらも、私の胸は希望に満ち溢れていた。
~序章 幼稚園編 完。
11話より
第2章 小学校入学編 開始〜
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