第8話 編集

「先生! もう無理です!」

「無理なことあるか! そんなこと言ってる暇があったら手を動かせ!」


 俺は腑抜けたことを言うアシスタントに発破をかける。締め切りまではあと4時間しかないのだ。俺はすでに4徹目の覚悟を決めている。


「そんなこと言って毎度無理矢理間に合わせてるから大変なことになってるんでしょう!」


 アシスタントが噛み付いてくるが、それでも手を止めないあたり、逼迫した状況をよく理解していようだ。


「先生、大変です!」

「どうした?」


 職場で唯一の女性アシスタントが声を上げる。


「また主人公が存在しちゃいけない時間軸にいます!」


 ちっ!またか。


「それは、あれだ。伏線だ。似た顔してるが主人公の兄弟だ」

「先生またそれですか! これで主人公7つ子ですよ!」


 いつの間にそんなに増えてたのか。毎度毎度矛盾が発生する度、辻褄を合わせるように設定を変えていたら大変なことになった。

 新しく週刊連載を始める漫画家全てに忠告したい。処女作で複数次元を股にかけるSF物はやめとけ。


「先生! ヒロインが失恋して髪を切ったはずなのにロングに戻ってます!」

「それも......あれだ。伏線だよ。ヒロインはタイムトラベラーなんだよ」

「先生それはいくらなんでもやりすぎでは!?」


 いいんだよ。俺は締め切りだけは過ぎたことがないんだ。それにとりあえず締め切りに間に合えば後は考察厨が勝手に盛り上げてくれるんだからさ。


「よし、とりあえずこっちのペン入れは終わった。まだ完成してない原稿あったら俺にも回せ」


 アシスタントにそう言い残して、空になったコーヒーカップを満たそうと席を立つ......瞬間気付く。足下に散らかっている紙切れに。


"やばい! 原稿踏む!"


 足が原稿を踏む直前、無理な体勢を取りながらも足を宙に投げ出す。そしてそれに引っ張られるように身体があらぬ方向に傾く。


"原稿守って死んだら元も子もないよな。というかこれで死んだら過労死扱いか?"


 思考がスローになる感覚。

 ぶっ倒れながら、よくもまぁそんなくだらないことを考える時間があるもんだ。

 流石に転んだだけで死にゃしないだろうに。

 そう思いながら身体に合わせて回転する視界に映った物を1つ1つ確認する。

-見慣れた天井

-未完成の原稿

-使い古したコーヒーカップ


そして、


-机の角


"いやそれはまずい"


 そう思ったのも束の間、頭に強い衝撃が走り意識が遠のく。


 こうして漫画家、小波留戸キラメの人生は終わりを告げた......



はずだった。




「~|€<*]%\>~£{+#*」

「~£~+?^{$$\>[+|>%,|」


 若い男女の声で目を覚ます。何を言っているか分からないが、心地良い声だ。


「\*|^;+\€_*#+?;$」

「“\+|^^+;+\$‘<>’+”<+€」


"いや、何話してるか分からないから日本語で話せよ"


『スキル:【設定改変】を使用しました。常用言語を日本語に変換します』


"は?"


「シードくん、パパですよー?」

「ママだよー! 今日もアルダードで一番かわいいよー!」


 急に飛び込んできた情報の波に頭が付いていかない。頭を抱えようとしてもその手は頭には届かず、異様に小さく未発達な手が視界に入るだけだ。


“なんだこれは?”


 そんな言葉を頭の中で口にしながらもその反面、頭の隅では正解に辿り着こうとしていた。


 今までの事を思い出す。


-机の角に頭をぶつけ、気を失ったこと

-頭の中で突如聞こえた【設定改変】というスキル

-自分の事をパパ、ママという男女

-縮んだ自分の身体

-そして、アルダードという俺の漫画の中でしか聞かない世界の名前。



“まさか、俺は......”


 俺は、どうやら自分の漫画の世界に転生してしまったようだ。



――――――――――――


 序章部分を読み終わった私は、とうに冷めてしまったお茶を飲んで一息つく。

 目の前の若葉七海先生が、期待のまなざしでこちらを見ている。

 そんな若葉先生を見て私は、ここに来る前に編集者である私に対して送ってきた若葉先生のメールの内容を思い出す。


『水上さん! 圧倒的に面白い作品ができました! もうなろう系小説とはおさらばです! 是非家に読みに来てください!』


 ......私は、今持っている小説のタイトルを見る。


『漫画を描く中で生まれた矛盾を全部「伏線です!」と言い張って早数年。気付くと主人公は7つ子、ヒロインはタイムトラベラーになってました』

〜チート能力【設定改変】を持って転生した俺はこんなふざけた世界も余裕で生き延びます〜 (仮)


............ふぅ~。


“バッチバチになろう系やないかっ!!!”


 私は心の中で全力でツッコむ。これを口に出してしまったら編集者失格だからだ。


“でもなぁ~。この人のなろう系小説なぜか売れるんだよなぁ~”


 これは編集部七不思議として数えられているのだが、若葉先生のなろう系作品はなぜか固定客が付き、安定した売り上げを誇る。

 その要因の1つには、なろう系に対する客観的な視点での分析を行えていることが挙げられるのだろう。

 なろうファンが何を求めており、どのように無双すれば心地良いか、どのようなヒロインが好かれるか等々が分かっているからなせる業だろう......なぜか自分の作品には盲目的で、絶対に自分の作品をなろう系とは認めないのだが......

 ちなみに、今フィナーレへと向かっている若葉先生の作品もどっぷりとなろう系に浸かっており、味方陣営の半数はすでに神の領域に足を踏み入れている。


“この小説をボツにしていいものか......”


 編集部でも揉めるこの案件。若葉先生の作品がなぜ売れるのかは謎であり、その解明に関してはとうにお手上げ状態だ。どのくらいお手上げなのかというと、あらゆるベテラン編集者が諦めた結果、私のような新卒編集者が担当になるくらいお手上げなのだ。



“多分、これも売れるしこのまま書かせてみるかぁ”


 そんな軽い気持ちで書かせようと声を掛けようとしたその時、


 若葉先生の純真な眼が私の胸をつく。


“いいのか? ほんとにそれで?”


 私が今、この作品がなろう系だということを隠し、若葉先生に続きを書いてもらうことは簡単だ。そしてその結果、この作品はある程度売れるのだろう。

 そしてその反対に、ここでなろう系ということを若葉先生に直面させてしまえば、それこそ泥沼。なろう系しか書いたことのない若葉先生は、いつ出られるか分からない創作の沼にはまること確定だろう。


“でもここでこの作品がなろう系であることを指摘しなければ、誰がそれをするんだ?

 その役目こそ、編集者である私の役目なのではないのか?”


 編集者。

 編集者の仕事とはいったい何なのだろうか。

 作品を面白くするために助言をすればいいのだろうか。

 作者に締め切りを伝え、それまでに書かせればいいのであろうか。

 作者に気持ちよく作品を書いてもらえばいいのであろうか。


 否。

 編集者とは、作者と共により良い作品に向かって苦悩し、二人三脚で壁に立ち向かっていくものだ。

 作者が脱なろうを望んでいる今、編集者である私は最後まで地獄の道を共に歩むべきなのだ。


 そう。だから、私は心を鬼にして口にするのだ。

 若葉先生をこの先苦しめるであろう言葉を......



「いやぁ~、なろう系とはやっぱ格が違うっすね!

 なんか読んでてオーラが違うっていうか、若葉先生1枚剥けたっていうか!

 もうこれでいきましょう!」


“ごめん、先生! 私今月末彼氏と旅行なんだ!”




 この作品が後に一大ブームを巻き起こし、アニメ化までされるというのはまだ先のお話。

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