第5話 異世界
異世界。
現代の世界、特に日本とは異なる世界を表す言葉であり、大抵のなろう系主人公が転生、転移する場所である。
現代の日本と異なっていれば異世界ではあるので、作品によっていろいろな世界があるのではないかと考える人も多いかもしれない。
しかし不思議に思えるだろうが、その世界観はどの作品でも似通ることとなる。
「中世ヨーロッパ風」風。
ここに作者が好きな、剣や魔法、精霊、異種族などをトッピングして世界観が作られる。
風が2つくっついているのは、最近の作者がサボることを覚え、
『この世界は、よく小説で言われる中世ヨーロッパ風の世界観に近いだろうか』
などという言葉を使うことが増えてきたからである。サイゼのイタリアンしか知らない人間が家庭で作ったイタリアンみたいな状態だ。「たらこパスタシシリー風」風である。
なぜ、「中世ヨーロッパ風」風の世界観が流行ったのかというのはまた今度考察したいのだが、この世界観によって生まれる弊害の1つに、現代社会で使っている言葉をそのまま使えないという問題がある。
その最たる例の1つとして挙げられるのが......
「ねぇ、お母様聞いてる?」
「うん、聞いてるよー」
息子のおままごとに付き合う平日の昼下がりというのも乙なものではないだろうか。
なろう系を読み漁っているとはいえ、まだ幼稚園児。幼稚園では少し背伸びをしているらしいが、私の前ではまだまだ子どもである。
「でね、こっちの粘度で作ったのがお金でね......」
今は息子がおままごとの設定を決めているところだ。
『今日は家で待たなきゃいけないものがあるから家の中で遊ぼう』と言った手前、今回はその設定に最後まで付き合ってあげようと思う。
「この×が付いた小さいのがアーイェン銅貨だよ」
「アーイェン銅貨......?」
嫌な予感が胸をよぎる。これは、
“オリジナル通貨!”
オリジナル通貨。
異世界であれば通貨も日本と変える必要があるだろう、と作者考えた結果の産物。
日本円と同価値、もしくは価値を1桁ずらすのが基本となっており、1桁減らして、
『りんご1つで、10“オリジナル通貨”』とすることが多い。ちなみに1桁増やす作品もあるが、無駄に数字が大きくなるだけなので悪手だろう。
しかし、ここで終わらないのがオリジナル通貨の厄介なところで、ごくたまに、通貨の複雑さ=世界観を深さと勘違いする作者がいる。その場合、全ての値段の後ろに(日本円にして~円)というのが書かれることになる。
“頼む! 円と同じ価値であってくれ!”
「1000アーイェンで1円の価値なんだよ!」
「1アーイェン1銭の価値もないのかよ!」
1円の価値を1000分1に刻んでいく悪手。しかも、単位がアーイェン。
単位の名前を3文字以上とすると書くのも読むのも大変になるため、絶対にしてはいけないというのがなろう作家の義務教育のはずなのだが、未就学児なのでそこはしょうがない。
“ダメだ。息子はこの先の全ての値段に(日本円にして~円)を付けなきゃいけないんだ”
息子が歩むこの先の地獄のような人生を悲観して諦めようとしたその時......
刹那の閃きがよぎる。
“いや、待てよ”
「さっき、アーイェン銅貨がその小さいのって言ったよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、アーイェン銀貨もあるはずだよね?」
銅貨→銀貨→金貨システム。
「中世ヨーロッパ風」風では通貨に紙が使用されないため、このシステムを導入することが多い。そしてこの価値と言えば、
「そうだよ! 銀貨が10アーイェンの価値で、金貨が100アーイェンだよ」
“やはり、10倍システムを採用している!”
銅貨→銀貨→金貨の順に価値が10倍で上がっていくシステム。
その言葉を聞けた私は心の中で微笑む。
こうなれば後は詰将棋だ。
「1000アーイェンの通貨はどうするの? このままだと大きな買い物がしにくくなっちゃうよ?」
「あー、そっか。そこまで考えてなかった......」
設定の甘さを悔しがるように息子が少し俯く。息子の設定に茶々を入れるのは少し心苦しいがやむを得まい。
そんな息子に対し、私はアドバイスを授ける。
「だからさ、もう1つ通貨を決めればいいんじゃないかな?」
通貨の再設定。銅貨、銀貨、金貨の3種類で表せなくなった時に作られる新たな通貨。
そう、私がこれを設定すればいい。
王手だ。
「1000アーイェン=1イーイェンとかどうかな?
頭文字もアからイで分かりやすいし」
「確かに!」
これにて終局。
1円=1イーイェン。
多少ネイティブな発音になって聞きにくくなるかもしれないが、話をする分には大きな問題はないだろう。
「僕、イーイェン銅貨も作ってくるね!」
そう言って部屋に粘土を取りに行く息子を見送る。
“今日はなんとかなったかな”
息子の人生の軌道修正を無事終えたところで、お茶を飲もうと立ち上がったその時、家のドアの方向から鍵の回す音がする。
“ん? 鍵?”
「お父様だ! お家で遊んでたのはお父様が早く帰って来るからだったんだね!」
息子がドアの方向へ走っていく。それを追いかけながら私は背筋に冷たい汗が流れていくのを感じた。
「お父様おかえりなさい!」
「ただいまー」
息子が嬉しそうに夫に抱き着く。
私がその後ろから見ていたのはそんな息子と父親の感動のシーン......ではなく、夫の手に握られている熱帯雨林印の小包であった。
“しまった。置き配設定を解除し忘れた!”
置き配。
宅配物をドアの前に置いていく宅配方法。
家にいようが不在であろうがドアの前に置いていってくれるので、普段使うには便利な宅配方法なのだが......
今回は仇となった。
“どこまで勘付かれた?
中が限定フィギュアということは?
経費じゃなくへそくりから買っていることは?
そしてこれがちょっとお高めだということは?”
本当のところ、今日は家で待機して夫に見つかる前に回収し部屋にしまおうと思っていたのだが、まさかのミスで失敗に終わった。
“こうなってしまったらしょうがない。 私の巧みな話術で煙に巻いてやろう。”
そう、ここからは私と夫の高度な心理戦が繰り広げられ......
「で、これいくらしたの?」
怖いくらいの笑顔で聞いてくる夫を見て、確信に至る。
“あ、これ全部ばれてる奴だ!”
1番の理解者というのは1番の敵になり得るということなのか......いやまぁ多分前科があるからなんだろうけども。
こうなってしまったらもう抵抗しても遅い。普段は自由にさせてもらっているが夫は怒らせると怖いのだ。
諦めて正直に言うしかないだろう。
「いっ......12000000アーイェンくらいかなぁ......」
無駄な抵抗も虚しく。この代金はしっかり、来月以降の私のお小遣いから引かれるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます