第4話


「ママ、うちにもサンタさんくる?」


 夕食どき、ゾーイは母親に訊ねた。コーヒー色の肌と厚い唇が少女の血筋を表していた。


「あんな悪魔、こないほうがいいのよ」


「でも、クラスのみんなはサンタさんにプレゼントもらうんだっていってたよ。パティもリリアーナも、それにカーリーも。アーリーンはサンタさんにお手紙かいたって。お手紙にほしいものをかくと、それがクリスマスツリーの下におかれてるんだって」


「そうしてサンタクロースは子供たちをたぶらかそうとしているのよ。ものなんかで人間の心を釣って堕落されようとする卑しい悪魔。いつもそういってるでしょ」


「おとなりの」まだ八歳のゾーイはあきらめきれずに食い下がった。「ジェイは、お父さんのミスター・メイズに、〈宇宙船XL-5〉のおもちゃをサンタさんにもらえるようにお願いしたって。ジェイはこうもいってたわ、パパやママは、サンタさんとお話ができるって」


〈宇宙船XL-5〉は六年前のドラマだが、年にいちどは再放送されていたので、ゾーイのクラスメイトの男の子はみんなとりこになっていた。〈宇宙船XL-5〉のロケットのおもちゃはクリスマスプレゼントの定番のひとつだった。ゾーイはドラマどころかテレビ番組を見たことがなかったから、ほとんど知ったかぶりだったが、とにかくとてもクールなおもちゃなのだろうと漠然と想像していた。


「悪魔崇拝者だからよ」と母は一蹴した。「悪魔を崇拝しているから、悪魔と交信ができるの。だから、サンタクロースと話ができない人間が、正しい人間なの」


 だからゾーイの家にはクリスマスツリーもない。クリスマスカードも。


「クリスマスは邪教のお祝いよ。くれぐれもそんなものに参加しないこと。魂が汚れちゃうからね。汚れた魂の持ち主はどうなる?」


「……じごくにおちる」


「よろしい。じゃあお祈りをするわよ」


 夕食が並ぶ。大量のポテト。大量の卵。大量のケチャップ。


「ママ」お祈りを終えたゾーイは、おそるおそる訊いた。「クリスマスカードくらいはいいでしょ?」


 母親の顔が強ばった。


「もらったの? あげたの?」


「もらった」


「もらった!」母は天井を仰いだ。「なんてこと」


「あのね、ペパーミントパティが、チャーリー・ブラウンをびっくりさせるために、内緒でクリスマスカードを書いてたの。それで、アーリーンがわたしにもカードをくれたの」


 ゾーイは正直に打ち明けた。母親に、そう、それはよかったわね、だいじにとっておきなさいと言ってほしかった。堂々と所有し、飾ることもできる。


「あげてはいないのよね?」


 ゾーイは何度も首を横に振った。母はあからさまに胸をなでおろした。


「あげてないなら、まだとり返しがつくわ。もらっただけなら、まだ事故みたいなものだけど、あげたとなると、自分から積極的に異教の儀式に参加したことになるからね」


 それからゾーイを真正面から見据えた。


「ここにもってきて」


 ゾーイは言われたとおりにした。アーリーンにもらったクリスマスカードは部屋に隠してあった。母に差し出した。


「燃やしなさい」


 母はきっぱりと命じた。


「でも……」


「燃やしなさい」母は繰り返した。さらに付け加えた。「いまから、外で。見ていてあげるから」


 母のいうことは絶対だった。マッチを持たされたゾーイは家の前の階段を下りた。振り返ると、ドアの前で腕を組んだ母が促した。ゾーイは、アーリーンへの罪悪感に胸を痛めながら、マッチを擦って火をつけ、つまんだカードの角を炙った。カードは無言の悲鳴を上げながらみるみる炎に包まれた。熱さに耐えられずゾーイが歩道に捨てると、カードだったものは次第に縮こまって灰になった。アーリーンからの優しさも。


 任務を終えたゾーイが戻ると、母はぎゅっと抱きしめた。


「これもあなたのためを思ってのことなのよ。異教徒のお祭りに参加するっていうことは、サタンに魂を売って、永遠に神さまによって滅ぼされることにほかならないの。わたしはあなたをサタンの世界に落としたくないのよ。わかってくれるわよね?」


 母はゾーイを抱いたまま続けた。「音楽も聴いちゃだめよ。映画も見てはだめよ。漫画もアニメもテレビも、誘われたって見てはだめよ。おなじ信者以外の子とはお友だちになってはだめよ。お友だちになりたいなら、ゾーイがその子を入信させるの。そうすればゾーイの魂のステージもあがるわ」


 もちろん試みたことはあった。一年生のとき、同級生のヴィヴィアンに「お友だちになりたいから、信者になってくれる?」ともちかけた。ヴィヴィアンは、気味がわるそうな顔をして離れていった。以来、ただでさえ腫れもののように扱われているのに、勧誘すればさらに嫌われるのだと子供心に理解して、クラスの子を入信させるのはやめた。信者でなければ友だちにはなれない。だからゾーイには友だちがいなかった。学校にも、近所にも。


「さあ、お家に入りましょう」母がゾーイの背中を優しく押したときだった。


「そこのあんたら」


 声がかかった。女性のようだったが、酒と煙草に喉を好き放題荒らされた人間特有の嗄れ声だった。


「車を貸しな」


 ブロンドの白人で長身ということ以外になんの取り柄もなさそうな女が、回転式拳銃を母娘に向けて、通りの向こうから歩いてきていた。アンナだった。「貸してくれりゃ、なんにもしない」


 ゾーイの母親はとっさに娘を背後に隠した。


「ばかなことはやめて! ほしいものはあげるから」


「よし。家に入りな」


 母は拳銃から目を離さず――まるで拳銃から視線を逸らしたら撃たれるとでも思っているようだった――後ろ手でスクリーンドアを開け、ゾーイに「大丈夫よ、大丈夫」とささやきながら後退した。アンナも続いて家に入った。


 母親は鍵を抽斗ひきだしから取り出して、アンナに渡そうとしたが、向けられている銃口が恐ろしくてなかなか近づけなかった。さらに、明るい室内に移ってはじめて、アンナの顔と髪に返り血が付着しているのがわかって、恐怖に拍車をかけた。


「いいよ、投げてくれたんでいい」


 母親は激しく震える手で鍵を投げた。


 アンナは足元に落ちた鍵を拾った。あしは手に入った。すると精神的に余裕ができたのか、家の様子が気になりはじめた。


「クリスマスだってのに、ツリーもないのかい」


 アンナも母や祖父母らとはクリスマスを祝ったことがない。だがそれはむしろ異常で、ふつうの家庭はクリスマスをあたたかく過ごすのだと知っていた。ところがこの家には飾り付けがなかった。しかも、なぜか冷蔵庫の扉には南京錠がかかっていた。


「こう……七面鳥とかはないのかい」


「よけいなお世話よ。早く出ていって!」


 母はゾーイをかきいだいて、敵意のこもった眼差しをアンナに向けた。アンナも軽く両手を上げて「それもそうだね」と背を向けようとした。


 遠くに響くパトカーのサイレンがアンナの耳朶じだを打った。サイレンはだんだん大きくなっているようだった。この母親は、アンナが家をあとにすればただちに通報するだろう。たとえ車があってもたやすく手が後ろに回ってしまう。


 アンナは二人へ振り返った。ゾーイが葡萄のようなくりくりした目に不安を浮かべ、闖入者を見上げていた。


「来な」アンナはゾーイの細い手首をつかんだ。「あたしと来るんだよ」


 母親が色を失った。「だめ、やめて! その子だけは。お金ならあげるから、お願い、その子はやめて!」


 そのときすでにアンナはゾーイの小さな体を脇に抱えて外へ飛び出していた。「ママぁ!」ゾーイが泣き叫ぶのもお構いなしだ。


 アンナは家の前に駐めてあったシェヴィーⅡの助手席にゾーイを放りこみ、運転席に乗り込んだ。


「サツになにか言ったら、このガキを五十個に切り刻んで全州に送ってやる! いいね!」


 追いかけてくる母親に吐き捨て、アンナはアクセルを踏み込んだ。無免許だったがヒッチハイクで旅をしているあいだに見よう見まねで運転できるようになっていた。赤の古いクーペは老いた猛獣のような咆哮をあげてウェスト・チャットフィールド・ロードを駆けた。


 ゾーイはドアを開けて飛び降りようとした。時速四十マイルで走る車から降りたらどうなるか考えが及ばなかったのかもしれない。とにかく知らない人といっしょに車に乗っているのが耐えられなかったのだ。アンナは愚行に走ろうとしている黒人少女をひっぱたいた。


「死にたいのかい? おとなしくしてな!」


 それでもゾーイはいうことを聞こうとしなかった。ドアのロックのつまみを上げようと何度も試みた。そのたびにアンナの右手が飛んだ。「このくそったれ!」銃を向けると、しゃくりあげながら、ようやく脱出をあきらめた。そのかわり、前にもまして大声で泣いた。


「夜は泣くなってママに教わらなかったのかい?」


 耳障りな鳴き声に、アンナは銃を握ったまま自分の頭をかきむしった。


 それから当てもなく車を走らせた。なにをどうすればいいのか、わからなくなっていた。ずっと以前からそうだったのかもしれない。

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