第57話 お前はすごい子だ


 ——あたたかくて、大きな手を覚えている。


 フィア・マギステア家の広大な邸宅の一角、薄暗い研究室でいつも引きこもっていた自分に、何度もかけてくれた声を。


「クラリーナ。お前はすごい子だ」


 父の声はいつも胸の奥に響く、深い音を持っていた。

 あれは確か14歳の時、『——磁力兵団招集オーダー・マグネット・スカードロン』の基礎理論を完成させた時だ。

 父にいち早くみてもらいたくて、遠方の魔術学会に出向いていた先へ手紙を出した。

 父は帰還するなり、クラリーナの研究室を訪れてくれた。


「砂鉄と磁力をこんな風に扱うなんて。誰にも考えつかないよ」


「だって……うち、それしか魔法、使われへんから……」


「自分に与えられたもので戦う。皆が忘れている大切なことさ。いや、だが、実に素晴らしい。ちゃんとした論文に纏めて発表したら、学会の魔術師がさぞ驚くだろうな、ははは」


「そ、そんな褒めやんといてや」


「可愛い娘の大手柄だぞ、父さんにも喜ばせておくれよ」


 基礎理論を書き記した書類の束で、照れた表情を隠す。

 父は尚もクラリーナの頭を撫でた。

 こうして子供のようにされるのは、そろそろ恥ずかしい年頃だったが、どうしても父の手のぬくもりから逃れられなかった。


「なぁ……。うち、これでお荷物じゃなくなるかなぁ」


 ぽつりと呟いた言葉を、聞き逃す父ではなかった。


「何を言っているんだ。お前は今も昔もお荷物なんかじゃない」


「でも、みんなは『失敗作』っていうもん……」


 じわりと目尻に涙が滲む。


 代々、小人族の魔導士のみで繁栄してきたフィア・マギステア家。

 魔法の名家において、実験的な試みで人間との交配で生まれたのがクラリーナである。


 クラリーナは二人の姉と一人の兄を持つが、クラリーナのみがハーフであり、一人だけ父親違いの子供だ。


 一般的に他種族とのハーフは、高い魔力や身体能力などの恩恵を持って生まれるとされている。

 クラリーナも例に漏れず三人の姉兄を凌駕する高い魔力を持って生まれた。

 その潜在能力から当初は、次期当主となることを期待されていた。

 しかしクラリーナが異質な魔法の才能を見せたことで、その期待は裏切られる。


 クラリーナは砂鉄を生み出す土魔法と、磁力を操る雷魔法にのみ才能を発揮し、この二つにおいては、稀に見る卓越した魔法を作りだすことができた。

 その集大成が今、父に見せた『——磁力兵団招集オーダー・マグネット・スカードロン』の基礎理論である。

 しかし、それ以外の魔法に関してはまるきり才能がなく、せいぜいが初級止まりの魔法しか操ることができなかった。


 一族の大きな期待は裏切られた。

 クラリーナは『失敗作』と。


 そして父は『失敗作の父親』と、一族の中で白い目で見られることとなる。


 前者に関しては甘んじて受け入れよう。

 事実、どんなに頑張ってもクラリーナには他系統の魔法を十分に扱うことはできなかったのだから。

 しかし——父が罵倒されることだけは、許すことができない。


「お父ちゃんにまで、迷惑掛けて。うち、うちは……」


「——クラリーナ」


 強い語気に言葉を遮られる。

 父はぎゅっと眉根を寄せていた。

 怒らせてしまった、と肩を竦めたクラリーナだったが、父はすぐに笑顔になった。


「いいか、自分を卑下してはいけない。周囲に理解が得られないなら尚更、自分だけは自分を傷つけてはいけないよ。それからお父さんのことは心配するな、こう見えて面の皮だけは厚いんだ、ほら」


 といって、自分の頬を摘まんで左右に広げてみせる父の顔に、クラリーナは思わず吹きだした。


「ぶっ、あははは、なんやのそれ! 変な顔!」


「言ったな? クラリーナのほっぺもこうしてやるぞ!」


「いひゃひゃ、やめへや、おとうひゃん!」


 父と娘の笑い声が、研究室に響く。

 窓の外では雲が切れ、一筋の光が差しこんでいた。


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