第58話 死にたない


 少し、ぼうっとしていたようだった。


 クラリーナはごうんごうんと降下する昇降機の音を耳にして、はっと我に返った。

 愛機『アンティ・キティラ』の操縦槽は、あの研究室よりも尚暗かった。

 映像盤もほとんどが闇に塗りつぶされている。

 ファースト・フロントにも夜は来るのだな、と他人事のように思った。


 やがて停止した昇降機から出て、新しき深淵の第一層へ出る。


 アンティ・キティラの機走輪スピナーが唸りを上げる。

 クラリーナが足踏板を思い切り踏み抜くと同時に、機走輪は檻から解き放たれた猛獣のような咆哮を上げて、一気に加速した。


 クラリーナが深淵の第三層にまで辿り着いたのは、この機走輪スピナーの機動力が一因でもある。

 大抵の魔獣からは逃れることができたし、そうでないとしても『磁力兵団招集オーダー・マグネット・スカードロン』で迎え撃つだけだ。


 さっそく第二層に辿り着いたクラリーナは、密林の洞窟に突っ込んでいく。


「見てろや……」


 誰へともなく呟いて、操縦桿に力を込める。


「うちは、一人でもできる」


 目指すは第三層。

 ——禱手ゼト・トゥリゴノの元だった。


 移動する間、脳裏を過るのは——あの墓地での光景だった。

 孤高に見えたティナまでもが、仲間などという意識に囚われている。

 いくら手を貸せと言われても、信条ゆえにそれはできない。


 クラリーナに仲間なぞ、存在しない。

 後にも先にも信じられるのは父だけ。

 クラリーナにできることは——父に課せられた汚名を雪ぐことだけ。


「一人でやり遂げてみせる。もう誰にも……『失敗作』なんて言わせへん!」


 そう、気炎を吐いた瞬間だった。

 唐突なプレッシャーを感じ、クラリーナは機走輪に急制動をかけた。

 がくんと反動で前のめりになる体をベルトが押さえこむ。


 瞬間、目の前を大きな影が通り過ぎた。

 鋭い嘴に大きな両の翼。

 密林の木すらも凌ぐ巨体が、樹木を薙ぎ払っていった。


「なんや……!?」


 止まるのが少しでも遅ければ、体当たりの餌食になっていた。

 クラリーナは背筋に冷たいものを感じながら、急いで後退する。


 距離を取るにつれて、その巨体の全貌が明らかになる。

 映像盤に映し出されているのは、奇妙な形をした魔獣だった。


 翼と胴体は竜のような形だが、足や鋏は甲殻類を彷彿とさせる。

 尾とそれよりも長い二本の太い触覚を持ち、そのどれもが逆立つ棘に覆われていた。


 赤黒い胴体を長く伸ばし、魔獣はクラリーナの動向を窺っている。

 鋭い牙が生えた口内は薄緑色の涎にまみれ、白い蒸気のような呼気が絶えず吐かれていた。


 確か、ファースト・フロントで最初に受けた探索者研修で見たことがある。


 魔獣の名は——


「シャッコウアギト……」


 目の前のシャッコウアギトは明らかに成体だった。

 確か成体は深淵の深くにしか生息しなかったのではなかったか? 

 それにこの極度の興奮状態はなんなのだろう。


 いや、どうせ考えても分からないのだ。

 だとしたら、クラリーナのすべきことは一つ。


「そこをどかんかい」


 怒気と共に映像盤を睨み付ける。


「うちには——斃すべき相手がおるんや!」


 アンティ・キティラの魔杖にエーテルを注ぎ込む。

 ブラッドグレイルと呼ばれる赤い球体が光と熱を帯びた。


『磁力の戦士たちよ 我が元へ集え ——磁力兵団招集オーダー・マグネット・スカードロン!』


 砂鉄の嵐が吹き荒れる。クラリーナは魔杖を勢いよく振りかぶった。


『アロー・オーダー!』


 砂鉄が磁力を帯びて、一斉に数百本の矢を形成する。

 それはちょうど鉄が磁石に向かっていくように、一直線にシャッコウアギトを襲った。


 しかし手数は多いが、威力は低いアローは——ことごとくその固い鱗に防がれた。


 そして攻撃されたことにより、シャッコウアギトはさらに興奮状態に陥る。

 膨らんだ喉から、大きく開かれた口から、迸る叫びは——アンティ・キティラの操縦槽までをも揺るがした。


 シャッコウアギトの翼が開く。

 あの凶悪な体当たりをしかけるつもりだ。

 クラリーナは目の前の敵を厳しく睨み据える。


「ランス・オーダー!」


 アローが駄目なら、もっと攻撃力の高いものを。

 そうクラリーナが願い、命じると、砂鉄が再び動き出し、今度は数本の大槍を生み出す。


 槍はシャッコウアギトめがけて殺到した。


 一方のシャッコウアギトはクラリーナの放った槍などおかまいなしに突撃してくる。

 翼を広げ、地面すれすれを滑空していた。

 当然、槍がその体に突き刺さる。

 翼に、胴に、胸に。矢とは違い、確実にダメージを与えている。


 しかし——シャッコウアギトは止まらない。

 それでどころか怯む様子もない。

 まるで痛みそのものを感じていないようだった。


「な、なんやねんッ……!」


 さしものクラリーナも危機感を覚える。

 シャッコウアギトはすぐそこまで迫っていて、回避が実を結ぶかは分の悪い賭けだった。

 クラリーナは別の選択肢を取る。


「シールド・オーダー!」


 砂鉄が即座に分厚い盾を象った。

 アンティ・キティラとシャッコウアギトの間に、計五枚の盾が形成される。

 ばりんばりんと薄いガラスを破るようにして、盾を破壊し、迫り来るシャッコウアギト。


 ちょうど三枚目の盾が破られた隙を狙って、クラリーナはすぐ傍の密林へ飛び込んだ。

 次の瞬間、四枚目と五枚目の盾をシャッコウアギトが貫いていく。


「なんちゅう硬いやっちゃ……!」


 正攻法では勝ち目がない。

 クラリーナは密林の木々に紛れながら、シャッコウアギトの背後に回った。

 いかに強固な鱗に覆われているといえども、関節部はどうしても防御力が低くなる。

 なんとか弱点をつくしかない——


 密林から飛び出し、後ろを取ったクラリーナは三度魔杖を掲げた。

 しかし、その刹那、機体がずるりと滑るように倒れた。


「えっ……?」


 無様に尻餅をつくアンティ・キティラ。

 慌てて右の機走輪を見ると、水たまりのような場所に足を取られていた。


 いや——ただの水たまりではない。

 その色は薄い緑色をしており、機走輪は泡を吹きながら、端から溶けていく。


 シャッコウアギトの唾液は——確か、強酸だ。

 クラリーナはそれに自ら足を突っ込んでしまったのだ。


「な——」


 全身が総毛立つ。

 慌てて映像盤を目の前に向けると、シャッコウアギトが尾を振り回しながら、こちらに振り向くところだった。


「うそ、うそやろ……」


 尻餅をついたまま、ずるずるとアンティ・キティラを後退させる。

 しかし一度ついた酸が簡単に取れるはずもなく、右の機走輪は今も尚融解していく。

 機動力を削がれた機兵が辿る道は想像に難くない。

 ましてや目の前に強力な魔獣がいるのなら尚更だ。


「うそ……いやや、うち……お父ちゃん」


 歯の根が合わない。

 全身が氷のように冷たい。


 なすすべもなく震えるクラリーナに、しかし現実は非情だ。

 シャッコウアギトは洞窟の暗い天井に向かって吼えながら、でたらめなスピードで走り、アンティ・キティラに迫る。


「いやぁ、いやや——」


 操縦槽のシートの上で、自分自身を強く抱きしめる。

 映像盤がやがてシャッコウアギトの赤黒い巨体でいっぱいになる。


 アンティ・キティラごと圧殺され、水風船のように弾け飛ぶ、自分の死体までもが鮮明に浮かんだ。


「死にたないッ……!」


 ——次の瞬間。


 シャッコウアギトの姿が、黒い幕に覆われた。


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