第56話 深淵に消えたクラリーナ
夜、19時を回っていた。
孤児院の自室のベッドの上で、ティナはまんじりともせず、座っていた。
あの後すぐさま孤児院に帰ったティナだったが、こんな時間になってもクラリーナは帰ってこなかった。
(どこに行ったんだろう……。行くあてもないのに)
ティナは俯くのをやめ、立ち上がった。
日中はファースト・フロントをうろうろして探しては、入れ違いになったかもしれないと孤児院に戻ったりを繰り返していたが、事ここに至ってはもう闇雲でもいいから探すしかない。
それになによりもうティナ自身がじっとはしていられなかった。
マザー・カミラに一言言い置いて、外に出る。
いつもより空気が重たく、どんよりしている気がした。
ティナは孤児院前の道を南に向かって歩きながら、顎に手を当てて思案する。
(クラリーナが行きそうな場所は、どこ……?)
ファースト・フロントを見物でもしているのかと思ったが、直前までレッドに案内されていたし、それにあの別れ方じゃ観光気分でもないだろう。
一人で十分だ、とクラリーナは豪語していた。
ティナは想像した。
もし自分がクラリーナのように今もソロに固執していて、自分一人の力を示すときはどうするだろう、と——
(——まさか)
嫌な予感が脳裏を過った。
ティナはそのまま道を南にひた走り、ファースト・フロントの端まで辿り着いた。
肩で息をしながら、駐機場の受付に辿り着く。
昨日、レッドやグレインと食事をしていた小さな酒場からは時間帯もあってか、人々の喧噪が降り注いでくる。
それを振り切るようにしてティナは駐機場へと急いだ。
待機している機兵が巨人の群れのごとく居並んでいる。
その中にはブラウ・ローゼやレッド・ロードもあった。
(確か、ローゼの隣に駐めていたはず——、ッ!?)
——ない。
そこの一機分だけが、ぽっかりと空いていた。
(やっぱり、深淵に向かったんだ。あの後すぐ行った? それとも少し時間を置いてから? 一体、出発して何時間経っているの? ……待って、落ち着け)
焦燥する感情を抑え、ティナは冷静になるよう努める。
今すぐブラウ・ローゼの操縦槽に乗り込みたい気持ちを抑え、受付施設に舞い戻る。
事情を話して通信機を借り、レッドが借りている探索者集合住宅に連絡を入れる。
管理人がレッドを呼び出す間の時間が、ティナには永遠に感じられた。
『なんだ、ティナ?』
「クラリーナが帰ってこない。駐機場を見たら、アンティ・キティラがなかったの」
『なんだって? 深淵に行ったのか?』
「ごめん、気づくのが遅れた」
『気にすんな。けど……今の時期に深遠に潜るなんざ、自殺行為だぞ』
「うん……」
ティナはかろうじて頷いた。
年単位で潜っている探索者なら、そして協会に登録している探索者なら、誰もが心得ている情報を——おそらくクラリーナは知らない。
ティナは苦々しく続けた。
「明日から、シャッコウアギトの産卵期だ。昨日の探索の時も成体に近い奴が徘徊していたし。……かなり危険だと思う」
シャッコウアギトは新しき深淵の二層以降に生息する魔獣だ。
昨日、レッドがいち早くその存在に気づき、隠れてやりすごした相手である。
極めて攻撃的な種で、他の魔獣や探索者に積極的に襲い掛かる様子が報告されている。
本来なら、1メートル未満の幼体だけが第二層にいる。
理由は不明だが成長するにつれて、より深く潜っていく事が明らかとなっている。
だが例外がある。
それが産卵期だ。
成体となった個体は交尾を終えた後、第二層まで飛翔し、産卵する。
当然のことながら、産卵期のシャッコウアギトは神経質で、さらに気性が荒くなる。
第二層まで上昇してくるこの時期——今年は明日からの一週間、深淵への立ち入りが制限されるほどだ。
それを——クラリーナは知らないで、深淵に潜ったのだ。
「レッド……一緒にクラリーナを探して」
『んな不安そうな声で言うなよ。リーダーはいつでも毅然としてるもんだぜ?』
レッドの軽口に幾分か緊張がほぐれる。
ティナは受話器越しに頷いた。
「ブルーローズは今からクラリーナの捜索に出発する。レッド、駐機場で待ってる」
『了解、地上最強の男に任せとけ!』
通信が切れる。
受付に通信機を返却しながら、ティナは細く長い吐息を漏らした。
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