第19話 地上最強の男
(……誰?)
ここにいるということはおそらくティナと同じく探索者だろう。
その声が信頼に値するかどうか、逡巡したのは一瞬だった。
ティナはブラウ・ローゼを反転させ、声のした方へと走る。
密集した木々を掻き分けるブラウ・ローゼを、カジャフザードが唸りを上げて追いかけてくる。
薄暗い映像盤の向こう、赤と白の塗装に襤褸切れのような長いマントを左肩にひっかけた、妙な機兵が姿を現した。
『そのまま真っ直ぐ来い!』
赤と白の機兵が大きく手招きする。
その先にオーロラのような光を見つけ、ティナは声の主の策略を悟る。
ひらひらとしたオーロラの帯は密林の木から垂れ下がっていた。
ブラウ・ローゼは身を屈め、滑り込むようにしてそれをかいくぐる。
一方のカジャフザードは目の前の獲物しか見えていなかったのだろう、頭を高く上げ、そのまま突っ込んできた。
しかしオーロラの帯に触れた瞬間、耳障りな悲鳴を上げる。
突然、帯が意思を持ったように、カジャフザードの全身に巻き付いていた。
「クリーパーの密生地……」
安全な木陰に逃げ込んだティナは、カジャフザードがのたうちまわっている様に瞠目した。
クリーパー。
見たとおり、半透明の薄いベール状の植物系魔獣だ。
洞窟の天井から、50cm〜2m程度の長さで垂れ下がってゆらゆらと揺れている。
彼らは触れた生き物を、猛烈なスピードで巻き込んで捕らえる。
次第に、カジャフザードの動きが鈍くなってくる。
その周囲が白い霧に包まれていく。
クリーパーは獲物を捕らえると同時に根の部分から麻痺性の神経ガスを噴霧して獲物を無力化し、絞め殺してゆっくりと消化して吸収するのだ。
(このまま放っておけば……)
そう楽観しかけたティナはぎくりと肩を強張らせた。
カジャフザードの尾が持ち上がり、最後の力を振り絞って、大きく地面を叩いたのだ。
クリーパーの拘束が不意に緩み、大蛇の鎌首がもたげる。
ギャアアアアッ、と周囲に響き渡るのは紛れもなくカジャフザードの怒声だった。
紅玉の瞳をギラギラと輝かせ、ブラウ・ローゼに向けて再び尾を振り上げる。
その驚くべき生命力に、ティナの胸中にも火がついた。
(逃げてばかりいられるか、このッ——!)
蛇行する尾の動きを見定めて、パイルバンカーを振り下ろす。
頑丈なナノカーボンが鱗を貫き、楔のように尾を地面に縫い止めた。
『任せろ!』
自信漲る操手の声と共に、赤と白の機兵が武装である
その剣筋は見事で、鱗と鱗の間を削ぐようにして、カジャフザードの尾を叩き切ってみせる。
最大の武器を切断されたカジャフザードは断末魔を上げた。
そしてふたたびクリーパーが獲物を締め上げにかかる。
大蛇が動くことはもう、なかった。
『ほら、離脱すんぞ』
機兵が再び手招きする。
もう片方のマニピュレーターにはちゃっかり、カジャフザードの尾が握られていた。
探索者を騙す探索者も中にはいるが、カジャフザードとクリーパーを相手にしてまで詐欺を働く者はいないだろう。
ティナはとりあえずこの男を信頼し、密林を抜けた。
再び導きの大樹の元に戻ってきたところで、苔の光が降り注ぐ。
苔の光で輝く映像盤の中、向かい合った機兵の操縦槽のハッチが開いた。
挨拶をしようというのだろう。
ティナも礼儀として自ら姿を現す。
未だ光に慣れないため、細めた視界の中に、若い男の姿があった。
ティナより少し年上の少年だ。
目の覚めるような赤い髪を逆立て、精悍な顔立ちに不敵な笑みを湛えている。
くすんだ黒いマントを羽織り、左腕にはガントレットを装着している。
男は操縦槽の中で立ち上がり、胸を張った。
「オレの名前はレッド・クリフ。地上最強の男だ!」
尋ねてもないのにそう宣言され、ティナは呆気に取られた。
(……地上最強って?)
なかなか聞かない傲岸不遜な物言いである。
ティナは到底仲良くなれそうにもないな、と思いながら——まぁ、あまり自分と仲の良い人間はこの世にいないが——気の進まない口調で返した。
「ティナ・バレンスタイン。探索者よ。助けてくれてありがとう」
「ティナ、ね。ティナ、ティナ。良い名前じゃねえか」
「どうも」
素っ気ない返事を気にした風もなく、レッド・クリフを名乗った少年はブラウ・ローゼを不躾に見回した。
「そりゃ、ご自慢の兵装か? 銃身が溶けてるぜ?」
「え?」
操縦槽から身を乗り出すと、『フレイミィ・クインリィ』がカジャフザードの毒液によって破損していた。
足のガードと大盾以外にも、パイルバンカーの根元が一部溶けている。
よく折れなかったものだ。
(これじゃ、今日の探索は断念するしかない……)
また目的が遠ざかる。
意気消沈するティナに、レッドが声をかけてくる。
「お前、ソロか? まぁ、オレもだが」
レッドが首を巡らせ、先ほどまでいた密林を眺める。
「第二層ともなると、さすがのオレでもてこずるんだよなぁ。ま、地上最強の男ですらこうなんだ、お前が気に病むことはねえよ」
(勝手なこと言って……)
ティナは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。
だがレッドの言い草は不問に付すとしても、その言葉は的を射ていた。
「ほら、これやるよ」
レッドの機兵がずいっと差し出してきたのは、カジャフザードの尾だった。
鱗と合わせて肉を卸せば、それなりの値段になる。
「修理に金がいるだろ、持ってけよ」
「……いいの?」
「おう」
どうやら
ティナはしばし逡巡したが、もらえるものはありがたくもらっておくことにした。
「帰るんだろ。ついでだ、送ってやろうか?」
「……それは結構です」
「そっか。まぁ、生きてたらまた会おうぜ、ティナ」
にべもないティナの拒絶を、やはり意に介した様子はなく、レッドはさっさと操縦槽のハッチを閉め、再び密林へと向かった。
気持ちだけはティナも同じようにしたかった。
けれど渋々、ブラウ・ローゼの踵を返し、ティナは帰路についた。
揺れる操縦槽の中で、悶々と考える。
(悔しいけど、あいつの言うとおりだ。もうソロの探索は限界があるのかもしれない。私は基本的に狙撃や砲撃がメインだし、せめて
脳裏に浮かんだのは、先ほどのレッドが見せた、地形把握と戦術の鮮やかな手腕だった。しかし、
『オレの名前はレッド・クリフ。地上最強の男だ!』
(いや。ない、ない……)
軽く首を振り、その真新しい光景を振り払うと、ティナは深い溜息とともに、シートへ背中を預けた。
考えを巡らせ続けるものの、どうしても自分が誰かと組んでいる姿が想像できないのだった。
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