深淵の探索者

第17話 ままならない世界と私

 ——どうして、世界はこうもままならないのだろう。


 十四歳らしからぬ言葉だと内心で自嘲しながら、ティナ・バレンスタインは自身の白い裸体にそっと手を沿わせた。

 腰から浸かっている湖の透き通った水を掬い上げ、細い腰に、華奢な肩に、膨らみかけた胸元に、伝わせていく。


 その冷たさに身を震わせまいと意地を張り、ティナはきっと頭上を見上げた。


 導きの大樹。


 湖に根を張るその木はゆうに30メートルの高さを誇る。

 大きく枝を広げ、葉を生い茂らせる様は、この辺りを囲む森林の主とも言うべき貫禄だ。


 まだらな葉の陰の向こうは、一枚岩の天井が塞いでおり、そこにびっしりと生えた特殊な苔が光を放ち、洞窟内を昼間のように明るく照らしている。


 ここは『新しき深淵』と呼ばれるダンジョンの中だ。


 別名『C—02』——聖華歴803年に自由都市同盟スナフ王国領で発見された、巨大地下空洞である。


 発見日前日には旧バルクウェイ公国を震源とする巨大地震が発生しており、スナフ王国北部の山岳において大規模な崖崩れが発生した。

 被害を確認しようと派遣されたスナフ王国軍が地下空洞の入り口を発見、今に至る。


 中は旧大戦あるいはそれ以前から存在する遺跡と自然に発生した洞窟からなる階層構造になっている。


 ここはその第二層だ。


 『新しき深淵』内部で入手可能な資源は非常に有用だ。

 その一方で独自の生態系が発達しており、魔獣の巣窟でもある。

 数々の探索者が調査しているが未だ全容は不明、そしてティナもまたそのうちの一人というわけだ。


(とはいえ、私は別に『新しき深淵』の全貌になんか興味はないのだけど……)


 心の中で独りごちたティナは、さすがに体温の低下を感じ、湖から上がることにした。


 湖のほとりに置いてあった荷物からタオルを取り出し、濡れた体を拭く。

 頬に張り付くベージュがかった金髪は肩の上ほどの長さしかない。

 こちらも簡単に拭いておけばやがて乾くだろう。


 次にティナはバックパックの傍らに畳んであった服に袖を通す。

 黒い胸のバンドにホットパンツ、ニーハイソックス、革製のブーツ。

 白いミドルコートを羽織り、最後に水色の長いマフラーを巻けば、完成だ。


 直に体温が戻り、輝く翠眼を細めたところで、ティナは愛銃を持ち上げる。


 それはまだ幼いティナの身の丈ほどもある、ライフルだった。

 濃紺の塗装に、金色で描かれた装飾が、この銃の高い矜持を表しているようでティナは気に入っている。

 銃身に取り付けられた長いスコープが狙撃に特化していることを声高に主張していた。


 名を『クラリオン』——自分に寄り添うように立てられた銃を、ティナはそっと撫でる。


(伝説の探索者、アーミア・バレンスタイン。……母さんの銃)


 それ以上の思考に区切りをつけるため、ティナはぎゅっと目を閉じた。

 そして再び双眸が開く頃には、無表情を装うことができた。


 クラリオンのスリングを肩に掛け、バックパックを背負ったティナは、バックのポケットの中から保存食の干し肉を取りだした。

 包み紙を半分開いて、奥歯で噛み千切る。

 唾液と混ぜ合わせると肉と調味料の味が染み出て、僅かながらの満足感を覚える。


 ティナはそうして残り少ない食料を味わった。


 ちょうど干し肉を食べ終えた頃、周囲を囲む森林の入り口に辿り着く。


 そこには森林への道を阻むようにして、鉄の巨人が立っていた。


 ——従機、ブラウ・ローゼ。


 クラリオンと同じく、ティナの頼れる相棒である。


 全長は4.5メートル。

 ちょうど森を成す木々と同じ高さだ。


 塗装はくすんだ水色。

 小ぶりな頭部には赤い魔晶球ましょうきゅう操縦槽そうじゅうそう、両脚部には張り出したガード、左肩部には腕部を全て覆っても尚足りないほどの大盾が装備されている。


 お世辞にもバランスが良いとは言えない機体だ。

 遠慮無く言うのであれば『不格好』の一言に尽きる。


 それもそのはず、ブラウ・ローゼは元々、十歳のティナがファースト・フロントのジャンク置き場から発掘したものであり、発見時の状態は酷い物で、胴体と腰しか無かった。


 ティナはジャンクを拾い集めてはこつこつと修理し、三年の月日をかけてブラウ・ローゼを完成させた。

 そして十三歳で冒険者ライセンスを取得し、愛機を駆って、この『新しき深淵』へと探索に出たのである。


(あれから、もう一年)


 未知への憧れに心躍らせていたあの頃の自分はもういない。

 今、ティナの胸に巣喰うのはじりじりとした焦燥、そしてある種の閉塞感だった。


 物思いに沈んでいるティナをブラウ・ローゼが静かに見下ろしている。

 ティナははっと我に返って、頭上を仰いだ。


「お待たせ。行こうか、ローゼ」


 脚部のガードを撫でてやりながら、ティナは愛機に向かって自嘲気味に微笑んだ。


 ——本当に、どうして世界はこうもままならないのだろう。


 先ほどとまったく同じ思いが頭の隅を過るのを、見て見ぬ振りしながら。


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